史書から読み解く日本史

歴史に謎なんてない。全て史書に書いてある。

桓霊の代

2019-02-14 | 有史以前の倭国
後漢朝の第十一代皇帝である桓帝は、三代章帝(光武帝の孫、二代明帝の子)の曾孫に当たり、章帝の子の河間王劉開の孫として生まれ、十代質帝が大将軍梁冀に毒殺された後、その梁冀に擁立されて十五歳で即位しました。従って桓帝の二十余年に及ぶ在位期間のうち、実に十年以上は跋扈将軍と言われた梁冀とその一派が国政を壟断しており、皇帝は梁一族の傀儡に過ぎませんでした。梁冀は八代順帝の皇后梁氏の兄に当たり、父梁商から大 . . . 本文を読む

後漢と諸民族

2019-02-14 | 有史以前の倭国
後漢と周辺諸国の関係について軽く触れておくと、基本的に後漢は前漢に比べて他国や諸民族との交流には淡白で、前漢のように漢帝国が東亜全域を覆い尽くして、凡そ知り得る限りの世界の果てにまで一元支配を敷く気はありませんでした。むしろ諸民族が後漢に従属する意思を表し、漢帝を頂点とする封建体制の枠組みの中で共存する限りは、帝国の藩屏として自主権を認めるという方針であり、どちらかと言えば劉氏を盟主とする緩やかな . . . 本文を読む

後漢書と倭国

2019-02-13 | 有史以前の倭国
范曄の『後漢書』は、本紀十巻、列伝八十巻、志三十巻の計百二十巻から成り、倭伝は東夷伝の中に、夫餘・挹婁・高句麗・東沃沮・濊・三韓と並んで収められています。その倭伝の内容を簡単に記すと、まず倭の所在地や、漢との関係についての説明から始まり、倭の国情や風習、後漢への訪朝の記録と続き、邪馬台国と女王卑弥呼について触れた後、江南の海上に点在するという複数の島々の話で終ります。尤もその中で実際に後漢時代の倭 . . . 本文を読む

後漢書と范曄

2019-02-12 | 有史以前の倭国
西晋から東晋の時代に掛けて、『東観漢記』の記録を原典として、後漢の一代史を再編しようという試みが数多く為され、確認できるだけでも七種の『後漢書』が作成されており、『続漢書』や『後漢紀』など書名の異なるものも含めれば、その数は更に多くなります。范曄の『後漢書』もそうした流れの中で成立した訳ですが、その完成度の高さから次第に好評を得て、晋代までに発刊された他の後漢書が淘汰されて行く中で、宋代という最も . . . 本文を読む

後漢書と東観漢記

2019-02-11 | 有史以前の倭国
倭人の国が初めて史書に記された例は、『後漢書』の東夷伝になります。著者の范曄は南北朝期の人物で、もともと范家は晋朝以来の名門の家柄とあって、范曄自身も父子二代に渡って劉氏の宋に仕えて重職を歴任し、『後漢書』の執筆を始めた時には太守の地位にありました。つまり彼は史家としての顔を持ちつつも、日頃から文士として生活していた訳ではなく、あくまで本職は南朝の官僚であり、職務の合間を縫って著述を行っていたので . . . 本文を読む