saoの猫日和

小学生5年生から、ジュリーとタイガースのファン。
猫が好き。ガーデニングとレトロ建築巡りが趣味です。

12月16日、ラジオ大阪「武田鉄矢の三枚おろし」聴くたびに疑問が増えてゆく?

2024年12月17日 21時13分50秒 | ジュリー

関西ローカルのお昼前の人気番組「よ~いドン」。人気コーナーの「となりの人間国宝さん」は、地下鉄西神山手線・新神戸/後編
ますだおかだの岡田圭右さんが、ブラブラと街歩き。

岡田さんが話を聞いたのは、70年代にエジプトから日本に留学して、エジピト料理を広めたいとレストランを開いているジーナさん。ジーナさんに岡田さんが、好きな歌手はと聞いたら、なかじまみゆきに五輪真弓さん。
岡田さんが70年代ならジュリーちゃう?と一節チャンチャンと、勝手にしやがれ(のような曲)を口ずさんだら、ダレ?と言われてしまい、こけていました。
正直に言って、岡田さんの音程は??でした。ジュリーと言わなければ何の曲?という感じ(^^; 




12月16日、ラジオ大阪「武田鉄矢の三枚おろし」
昨日は聴けなかったので、聞き逃しで聴きました。聴くたびに、??と思う所が増えてゆく感じ・・


 

(武田鉄矢)ネタ本があります、「何故 沢田研二は許されるのか」実業の日本社、田中稲著。読み方はイネさんでいいの??
振り返ることの多い一冊です。
沢田研二さんが19歳で、僕のマリーでデビューしてから、色んなことと歌謡界で孤軍奮闘して、ジュリーを演じて時代の先端の中に身を置いた。これから80年代の後半から始めます。

皮肉なもので、1980年代の後半にアイドルを卒業せねばならぬ、アイドルはずっと務まらない、どっかでスタイルをチェンジしないと生き残れない、日本ではね。変わらないと、私でもそう思っていました。
別種の人間的ふくよかさを手に入れないと。名前は言えないけど、昔は可愛らしい男性アイドルで60過ぎたら無惨という人、いっぱいいますよね。お察しください。「わかります」と、女性アシスタント。(誰やねん?!)

老けゆくなら、老けてゆく姿も見せていかないと、アイドルのまま若々しいのは痛々しい。若い人は残酷な事を言いますよね。
沢田さんは齢を取ることを宿命として引き受けて歳をとる。アイドルを卒業しなければならないという年齢になった。
そういう時にアイドルブームが来た。タノキン、チェッカーズ、安全地帯にオニャンコ、バンドブーム。その時代の波に彼は乗れない。
彼は毒のある花、大衆はそんなものを求めていない、毒の無い小さな可愛いアイドル、花束たち。
彼はあまりにも絢爛であり、唯一無二の眩しい存在であった。沢田さんに苦悩もあったと思います。80年代の後半は大きな樹として使ってもらいない、自分のキャラ作りに華と毒を捨てよう、自分のキャラ作りに腐心する。
アイドルを捨て、100人単位のお客さんでACTシリーズをスタート。90年代は500人を最高として、ショーを見せる。
1995年、沢田さんはベートーベンの運命に乗せて、雨にも負けずの宮沢賢治を目指す。沢田研二を宮沢賢治に作りかえる、花と毒の人が、稲に仕立て上げよう。

インタビューで『今は沢田研二という素うどんなんです。素うどんを好きな人に食べてもらいたい、トッピングをつけて食べさせたいとは思わない。私は素うどんの沢田研二でいい』
ハッキリ申し上げて、私ども海援隊は素うどん、そういう生き方も有る。万単位のお客様ばかりではない。
沢田さんはそういう経験もされているのがスゴイ。



 

海援隊とジュリーを一緒に語るな~!!と思いますわ。あまりにも立ち位置が違い過ぎるやろ。(武田さんご自身は認めていますが)

1980年代後半のジュリーは40代を目前にして、確かに悪戦苦闘をしていました。歌が上手い下手は関係が無く、若くて可愛いアイドル達とは、もうフレッシュさが全然違う。TV番組で若いアイドル達と並んでいると、居心地が悪そうに感じました。同じくGS時代、デビューしたてのタイガースが下手だと言われながらも、若さと可愛さと勢いで、それまでのGSを古いものにしてしまった、それと同じことを今の自分が受けている。そんな気持ちはあったかもしれません。

『100人単位のお客さんでACTシリーズをスタート。90年代は500人を最高として、ショーを見せる。』ここの部分、大きな誤解を与えています。ACTシリーズは確かに、グローブ座や新神戸オリエンタル劇場という演劇を見せるようなステージですが、数千単位の劇場で普通にコンサートもやっていました。狭い所ばかりでやってたのは、ACTの時だけです。

但し、コンサートではないACTシリーズは、グローブ座ではともかく、新神戸オリエンタル劇場では1週間ほどの公演中、満員にならない日もありました。ACTという舞台や内容が一般に浸透していないという辛さがありました。

『雨にも負けずの宮沢賢治を目指す。沢田研二を宮沢賢治に作りかえる、花と毒の人が、稲に仕立て上げよう。』それはないのでは💦 自分が興味のある人を演じるジュリーは、演じている最中は宮沢賢治に共鳴はしただろうけど。自分を宮沢賢治に作り替えたいとまでは思っただろうか。私は稲のジュリーを追いかけたいとは思わない。この辺は、あくまで著者の感想だろうけど、ナマのACTは見ていないでしょう。

80年代の後半、認めたくはないけれど、さしものジュリーでも歳を取るのだと私はようやく自覚しました。でも、その当時のジュリーの気持ちはどうあれ、ジュリーが素うどんだなんて思いたくないのよ。トッピングが無くたって、ジュリーは絹の様に白く輝く素うどんなのよ、そうあって欲しいの 昔からジュリーを見続けていた、根っからのジュリーファンには。

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2 コメント

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Unknown (あこ)
2024-12-18 07:46:03
丁寧にジュリーの年代記を
ありがとうございます。
ご本人にもスタッフにも
試行錯誤があった事で
しょうね。

夫72歳の誕生日
カフェのケーキを
買ってきます(*^^*)
返信する
Unknown (sao)
2024-12-18 10:04:47
> あこ さんへ
> 丁寧にジュリーの年代記を... への返信
ご主人様のお誕生日おめでとうございます✨
返信する

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