1993年頃だったろうか、モチベーションという言葉を
初めて目にしたのは。 そこには日本語訳で「動機付け」とある。
今では普通に使われているが、当時から何か違和感。
その人物が目的に向かって行く原動力という意味だから動機付けという
言葉は最適なのだろうが無気力シラケ世代ど真ん中の私には何か
引っかかる。
やりたい事、目標がある人はまだいい。
夢と言えるものがある人もしかり。
私は子供の頃から憧れの職業などありはしなかった。
高校も専門学校もただ皆が行くのが当然の様になっているし
世間体もあるし、なんとなく行っただけ。
バイトで張り切れたのはこんな自分を応援してくれた方達が
居たお蔭。
その頃の経験が下地となっていったわけだがそれまでは孤立無援の状況が
多くお世話になった方々のお蔭でなんとかやってこられた次第。
だが、特に高齢者が口にする「人生なんとかなるんだから」というのは
なんとかならなかった人達を私は沢山見て来た。
永遠のテーマなのだろうが「TO BE OR NOT TOBE」
ではなく「人は何故生まれて死んで行くのだろう」そもそも人生など
押し付けられるものなのだろうか。
おそらく今日も動機付けを見つけられないまま生きる人が多数時間を過ごすのだろう。
そして私は本日も痛みと闘っている、安らぎなどありはしない
初めて目にしたのは。 そこには日本語訳で「動機付け」とある。
今では普通に使われているが、当時から何か違和感。
その人物が目的に向かって行く原動力という意味だから動機付けという
言葉は最適なのだろうが無気力シラケ世代ど真ん中の私には何か
引っかかる。
やりたい事、目標がある人はまだいい。
夢と言えるものがある人もしかり。
私は子供の頃から憧れの職業などありはしなかった。
高校も専門学校もただ皆が行くのが当然の様になっているし
世間体もあるし、なんとなく行っただけ。
バイトで張り切れたのはこんな自分を応援してくれた方達が
居たお蔭。
その頃の経験が下地となっていったわけだがそれまでは孤立無援の状況が
多くお世話になった方々のお蔭でなんとかやってこられた次第。
だが、特に高齢者が口にする「人生なんとかなるんだから」というのは
なんとかならなかった人達を私は沢山見て来た。
永遠のテーマなのだろうが「TO BE OR NOT TOBE」
ではなく「人は何故生まれて死んで行くのだろう」そもそも人生など
押し付けられるものなのだろうか。
おそらく今日も動機付けを見つけられないまま生きる人が多数時間を過ごすのだろう。
そして私は本日も痛みと闘っている、安らぎなどありはしない