ノロウイルスワクチン開発の困難と挑戦
Front Immunol 2020; 11: 1383
1972年にノロウイルスが発見されてからほどなくして、ノロウイルスはあらゆる年代の急性腸炎の最も多い原因であることが明らかになった。ロタウイルスに対する効果的なワクチンが開発され、小児の接種スケジュールに組み込まれるようになってから(日本は任意接種) は、ノロウイルスの疫学上の存在感はさらに増している。
ノロウイルスは健康、社会、経済に多大な損失を与えており、ノロウイルスに対する効果的な予防策が求められている。しかし、1. ヒトのノロウイルスを培養するための細胞株と、2. 薬効を試すのに適した動物モデルが確立できていなかったことが、ノロウイルスに対するワクチンの開発を難しくしていた。
最近になってノロウイルスの培養が可能になり、ノロウイルスに対するワクチンの開発に光明が見えてきた。そして、2016年に世界保健機関はノロウイルスに対するワクチンの開発は最優先事項であると宣言した。
だが、研究が進むにつれてノロウイルスに対するワクチンの開発は極めて難しいことが分かってきた。最近になってようやくいくつかのワクチン候補について臨床試験が行われてきた。
1. なぜノロウイルスワクチンが必要なのか
ノロウイルスは世界で最も多い急性胃腸炎の原因である。世界では年間 27-40億例の下痢が発生し、このうちの最大 18%がノロウイルスによるものである。この割合は先進国 (20%) と下痢による死亡率が高くない発展途上国 (19%)とでは変わらない。一方、下痢による死亡率が高い発展途上国では細菌性の急性腸炎の割合が高いため、ノロウイルスによる下痢の割合は 14%とやや低い。
先進国での調査によると、毎年 3.8-10.4%の人がノロウイルスに感染する。つまり、私たちは生涯に 3-8回はノロウイルス感染による下痢になる。特に幼い時期と 65歳以上で罹りやすい。英国での調査では、全世代の罹患率が 37.6 /1000人・年 (95%信頼区間 31.5-44.7) であるのに対し、5歳未満の子どもの罹患率は 142.6 /1000人・年 (95%信頼区間 99.8-203.9) と有意に多かった。また、65歳以上でのノロウイルス腸炎罹患は 15-64歳と比較して 2倍多いと報告されている。
ノロウイルスに感染した人の 20-30%で無症候であり、他に医療機関を受診しないで済む程度の軽症者もいるので、真の罹患率は報告されているものよりも高いだろうと言われている。
軽症の場合は 2-3日で自然に軽快するが、10-20%の場合で救急外来を受診し、1-5%で入院する。この傾向は先進国でも、発展途上国でも同様である。予想される通り、重症例は 5歳未満の子どもと高齢者、また免疫不全患者で多い。
さらに、世界ではノロウイルス感染による急性腸炎の患者の 3%以上が亡くなっている可能性がある。2010年の統計では、世界で 6億7700万人がノロウイルス感染症と診断されており、このうち 21万3515人が死亡した。さらに、5歳未満に限れば 43%が死亡した。
固形癌がある場合や骨髄移植後など免疫不全患者では、ノロウイルス感染は慢性化し、数週間~数年間感染が持続することがある。ノロウイルス慢性感染では長期間にわたってウイルス排泄と下痢が続き、衰弱して死に至る場合がある。ノロウイルス感染によって死亡した 123例を検討した研究では、10 例が化学療法や移植後で免疫不全状態にある患者だった。
ノロウイルスはたいへん感染性が高い。嘔吐物や糞便には大量のウイルスが排出されるが、感染成立にはウイルスが 10粒子あれば十分である。さらにノロウイルスは環境中でも安定で、感染すると数週間ウイルスを排出し続ける。感染経路は糞口(あるいは嘔吐物-口) 感染が主であり、人から人に直接感染する場合がほとんどである。しかし、汚染された食品や水、食器などを介した感染もあり得る。ウイルス伝播で最も重要なのは子どもである。子どもが発端となり介護施設や病院にノロウイルス感染が広がると劇的な結果となる。
2.ノロウイルスワクチン開発の挑戦
ノロウイルスには 7種類の遺伝型がある。さらにそれぞれの遺伝型において、カプシド蛋白 VP1 および RNA 依存性 RNA ポリメラーゼの遺伝型が複数ある。現在までに 30種類以上の遺伝型が報告されている。
ヒトで急性腸炎を起こすノロウイルスの遺伝型は、Genogroup I (GI) 、II (GII)、IV (GIV) である。このうち世界で優勢な遺伝型は GII である。2005年から2016年にかけて、欧州、アジア、オセアニア、アフリカで収集した 16,635 のウイルス株の遺伝型を調べたところ、91.7% が GII、8.2% が GI、0.1% 未満が GIV だった。同じ遺伝型の属していても、抗原性に関わる遺伝子の配列は少しずつ異なり、抗原性は大きく異なる。さらにノロウイルスの遺伝子は頻繁に点変異と組み替えを起こし、抗原性は変化し続ける。
上記のような性質のために、ノロウイルスのワクチン開発は難しく、同じ遺伝型のウイルスに何度も感染する。実際、ノロウイルスによる急性腸炎の原因として最も多い GII.4 株については、1990年代から 2-3年毎に新しい変異株が出現し、世界中で少なくとも 7回エンデミックを起こしている。
3. ノロウイルスに対する感染防御のマーカー
ノロウイルスに感染すると数年間は同じ遺伝型のウイルスには感染しなくなることが知られている。ノロウイルスに感染すると、ノロウイルスに対する抗体の濃度は増える傾向がある。しかし、ノロウイルスに対する抗体の濃度が高いことはノロウイルスに対する感染防御とは関連しない。ノロウイルスに対する感染防御を示唆する示唆する信頼できるマーカーがないこともワクチン開発を難しくしている。
一般集団の最大 20-30%は遺伝的にノロウイルス感染に対して抵抗性があることが知られている。このノロウイルスに対する抵抗性は特定の遺伝型あるいは株に対するものであり、ヒトの血液型抗原 (FUT2 (Secretor) 、FUT3 (Lewis)、ABO型) による。これらの抗原はノロウイルスが上皮細胞に接着し、細胞内に侵入するときの共役因子としてはたらく。FUT2 酵素が欠損または発現低下している場合、GI.1 および GII.4 の感染に対して完全または部分的に抵抗性となる。
最近、血液抗原に対する抗体とノロウイルスに対する IgA がノロウイルスに対する感染防御に関連することが示唆されている。他に唾液や便中のノロウイルスに対する IgA やノロウイルスに特異的なメモリー B 細胞についてもノロウイルスに対する感染防御と関連すると報告されている。
4. ノロウイルスワクチンの候補
現在、ノロウイルスに対する 3種類のワクチン(virus-like particle (VLPs) 、P particle、組み替えアデノウイルス) が開発されている。
VLPs は本物のウイルスに構造が似るがウイルスゲノムを欠くもので、比較的安全で安く作れるのが利点である。ノロウイルスの場合、主要なカプシド蛋白である VP1 を真核生物の細胞で発現させると、自発的に集合して VLPs を形成する。VLPs はウイルス粒子と抗原性が似ており、経口的あるいは非経口的に投与すると、特異的な抗体を産生させることができる。
P particle はノロウイルスのカプシド蛋白の Protruding domain である。このドメインはウイルス受容体と結合する部位であり、抗原として投与すると、液性免疫と細胞性免疫の両方を誘導する。P particle は安定で大腸菌でかんたんに作れることも利点である。しかし、VLPs の方が P particle よりも強い免疫反応を引き起こせることから、最近は VLPs の方が好まれている。
GI.1 や GII.4 の VP1 を発現する組み替えアデノウイルスも開発されている。
しかし、いずれの方法を使う場合も、どの遺伝型に対してワクチンを作るかが最大の問題である。
当初は最初に遺伝子配列が分かった GI.1 に対するワクチンを開発していたが、後に GII.4 が急性腸炎の原因として最も多く、GI.1 とは抗原性が大きく異なることが分かったので、GI.1 とGII.4 の二つに対するワクチンが開発された。最近は別の遺伝型の組み合わせに対するワクチンも開発されている。
5.ノロウイルスワクチンの臨床試験
GI.1 の VLPs にアジュバントとしてモノホスホリルリピッド A (monophosphlyl lipid A: MPL) を添加したワクチンを経鼻投与すると、ノロウイルスに対する特異的抗体が誘導された。さらに、このワクチンを接種した被験者とワクチンを接種していない被験者にノロウイルスが混入したワクチンを接種すると、ワクチンを接種していた被験者では接種していない被験者と比較してノロウイルス感染および急性腸炎の発症リスクが有意に低下 (感染: 61% V.S. 82%, P = 0.05、発症: 37% V.S. 69%, P = 0.006) した。この結果を受けて、複数の遺伝型の組み合わせに対するワクチン開発が進められている。
GI.1 と GII.4 の VPLs からなる二価ワクチンを武田製薬が開発している。乾燥粉末をアロエの抽出した多糖でゲル化してモルモットに経鼻投与すると用量依存的に VLPs に対する特異的抗体を誘導できた。一方、経鼻的に投与するよりも筋肉注射で投与する方がより早く、より多くの抗体産生を促した。
現在は、GI.1 と 3つの GII 株に対する4価ワクチンを開発している。このワクチンが現在のところ最も開発が進んでいるワクチンである。
2価ワクチンにアジュバンドとして MPL、ゲル化剤として水酸化アルミニウムを添加したものを18-83歳の成人に投与する第 I 相臨床試験が 2件行われ、いずれも抗原特異的な免疫応答が得られることを確認した。1ヶ月空けて 2回接種すると、GI.1 と GII.4 に対する特異抗体の血中濃度が速やかに上昇し、7日以内にピークに達した。初回投与後の血清学的反応は GI.1 については 88-100%、GII.4 については 69-84% で得られた。一方、ブースター接種に対する反応は軽度だった。ほとんどの被験者で年齢によらず、血液抗原に対するブロッキング抗体の有意な上昇が確認された。
2価ワクチンの臨床的効果については二重盲検ランダム化比較試験で検討された。この試験では 18-50歳の成人にワクチンまたは偽薬を 4週間空けて 2回接種した後に GII.4 株を接種した。この結果、急性腸炎の発症率および重症度はワクチン接種群で低かったが、統計的には有意ではなかった。嘔吐と下痢についてはワクチン接種群と非接種群でそれぞれ重症: 0% V.S. 8.3%, P = 0.054、中等症: 6% V.S. 18.8%, P =0.068、軽症: 20.0% V.S. 37.5%, P = 0.074 だった。重度の副反応は認めなかった。
現在、二価ワクチンの第 II 相臨床試験が行われており、最適な抗原の量や比率が検討されている。MPL の有無は抗原特異的な免疫反応と関連がなさそうで、MPL を添加すると総 IgG と血液抗原に対する抗体が増加すると報告されたので、現在は MPL を含まないものがワクチン候補となっている。
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC7358258/