間もなく東日本大震災から2年6カ月が経とうとしている。
安全神話とともに作られた原発。
地球上で起きる地震、その多くはこの日本で起きている。
そして、その上に建てられた原発。
これまで無関心、無頓着だった私たち国民の責任は否めない。
今は、何とかしてこの問題を終息させなければならない。
政府は早々と終息宣言したが、
また新たな汚染水漏れが発覚し、
何時になったら解決するのか。
「経済を立て直す」、そして
「東京は安全」と宣言し、
今朝、2020年のオリンピック東京開催も決まった、
だが、本当に安全なのか?
そして、福島の人達の生活はどうなるのか?
躍起になって諸外国へ原発を売り込もうとしている政治家の行動を
黙って観ているだけでいいのだろうか?
反原発集会が毎週のように開かれていることを
何故かマスコミは報道しない。
7月の終わり、仲間とともに第1原発の周辺を見学する会に参加して参りました。
参加者は56名。急遽大型バスに切り替えての出発でした。
首都高を経て常磐道、廣野町へ到着。
現地では、地元の方が待っていてくださった。
<原発から 20キロ圏すぐ外側にある廣野中学校>
除染後白い砂が復土されているも雑草の繁茂する校庭。校庭での活動は皆無。
現在は、除染作業が終わり、
安全が確認され、学校は再開されています。
戻った生徒は震災前の約2割。
遠く、いわき市などから通って来るそうです。
ちょうど下校時と言うことで、校舎からスクールバスへ移動する生徒。
屈託のない笑顔の生徒。
更に北へ向かう。
あの日、あの時、この地を逃れようとしていた人々に思いを馳せる。
警戒区域に入る。
< Jヴィレッジの表玄関 >
嘗て 福島サッカー界の本拠地として利用された施設。
現在は、原発で作業される方達の前戦基地として使われている。
元サッカー日本代表専属料理長の西さん。ご自身も被災し、
現在もこのJヴィッジに残り、作業員に美味しくヘルシーな食事を提供されている。
西さん曰く、「復興とは?何を持って復興とするのか定義が見つからない。
」 除染に掛ける莫大な費用。 だが、果たしてその効果は。 」
西さんは、静かに、淡々と語られた。だが、強い憤りが伝わって来る。
20キロ圏内、富岡町。
校庭には牛の群れが。
常磐線富岡駅 津波の被害を受け、駅舎は何も残っていない。
線路は草で覆われて
商店街は、津波の被害を受けたままの状態
桜並木が続く
かつて行われていた富岡町の桜祭り(富岡町HPより)
住宅街。
道を境に右は立ち入り禁止区域
立ち入り禁止区域は鉄条網と監視カメラが設置されている
きれいな町並みが続く。
けれど、そこは誰も住めない町
帰りたい人々は今どこへ。
私たちが住む日本にあるこの現実を、
国民はどう受け止めて行くのか?
先日、政府は、原発の事故処理を東電に任せる事はできないと明言した。
これまで任せきりにしてきた政府に責任はないのか?
震災による行方不明者の捜索は遅々として進まない。
かつてこの町の人口は、16000人前後だった。
町民は現在も各地で避難生活を余儀なくされている。
帰還の見込みのない現在、
福島県内の人口流出に歯止めは利かない。
廣野中学校では生徒がようやく2割戻った。けれども、そのことをどう評価するのか?
除染は進んでいる反面、
人が生活できるレベルまで除染することは可能なのか?
除染した土の行き場は未だ決まらず、
2013年8月現在も、巨大な袋の山が地区内に堆く残る。
都市部の繁栄のために犠牲になった福島。
暴走したら手が付けられなくなる危険な原発を
けれども手掛けたら最も儲かる原発を
今後も推進しようとしている人々。
今日の午後には、7年先を見越したコマーシャルが流れ、
日本は、東京オリンピックまっしぐら。
一昨日聞いた福島の人の言葉が心の残る。
「原発の問題で苦しむ福島がある日本と、オリンピックムードに沸く日本は、別の国のように思えます。」
※富岡町
福島県双葉郡の中心にある町。東京電力福島第二原子力発電所がある。
平成23年(2011年)に発生した福島第一原子力発電所事故の影響 により、
同年3月17日以降、仮役場を郡山市にあるビッグパレットふくしま内に設置している
(wikipediaより)