サスケの日曜日

小さな発見を楽しみに!

フラッグからミサンガへ、新たな繋がり

2017-04-08 19:30:00 | 東日本大震災


宮城県南三陸町、歌津の伊里前福幸商店街には全国のサッカーチームから多くの応援フラッグが届けられています。

商店街の周囲に掲げられたカラフルなフラッグは、現在では遠くから初めて訪れる人にとり目印となっている。


長い間強い海風にさらされたフラッグは、痛みは著しく更新するものも出ています。勤めを終えたフラッグを「ミサンガにして応援して下さったチームやサポーターの方々にお返ししては」と言う提案から新たな取り組みが始まっています。生地は痛みからとても脆くなっていますが、思いが実現出来れば、またそこから新しい繋がりが出来るのではないかとの思いから製作が始まったのは1年前のことでした。
生地が弱っているので作業の途中でちぎれてしまうこともしばしば。そこで、リボン、毛糸、ヘンプコード、レース糸などと共に編み込む事で補強するなどの工夫が加えられました。現地へ行けず遠隔地から支援する人達によりミサンガが編まれ、やがてサッカー選手やサポーターの手へ戻って行く事になりました。
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震災から6年余りが過ぎ、商店街の皆さんのご苦労が実りこの4月にようやく本設の商店街の完成が実現へ。
これまで歌津の伊里前福幸商店街は、
〈ハマーレ歌津〉と名前を改め
いよいよ4月23日にオープンします。

国道45号線を気仙沼方向に車を走らせると本設の商店街でもカラフルなフラッグが出迎えてくれます。是非、皆様お近くへお越しの際はハマーレ歌津へお立ち寄りください。地元のたくさんの美味しい海と山の幸と共に商店街の人達の暖かい笑顔に出会えます。
ps 度肝を抜かれるイベントも年がら年中開催していますよ。笑&汗💦

八十ハ夜

2015-05-03 09:07:57 | 東日本大震災

昨夜は八十八夜だったそうで。

庭梅が何時もより早く色づいてきました。

東北の一部では、気温上昇の影響で、
例年行われる五月の連休の田植えを控えている所もあるようで、
絶えず気候と睨めっこの農業なんだと改めて気づかされました。

宮城の方のお話では、未だに風評被害の影響があり、
丹精込めて作った米も値崩れしているとのこと。

需要と供給の安定した関係は、
農業を守り、私たち国民の食卓も守ることになるんですね。


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誰もいなくなった町

2013-09-08 17:06:48 | 東日本大震災

間もなく東日本大震災から2年6カ月が経とうとしている。

安全神話とともに作られた原発。

地球上で起きる地震、その多くはこの日本で起きている。

そして、その上に建てられた原発。

これまで無関心、無頓着だった私たち国民の責任は否めない。

今は、何とかしてこの問題を終息させなければならない。

政府は早々と終息宣言したが、
また新たな汚染水漏れが発覚し、
何時になったら解決するのか。

「経済を立て直す」、そして
「東京は安全」と宣言し、
今朝、2020年のオリンピック東京開催も決まった、
だが、本当に安全なのか?

そして、福島の人達の生活はどうなるのか?

躍起になって諸外国へ原発を売り込もうとしている政治家の行動を
黙って観ているだけでいいのだろうか?

反原発集会が毎週のように開かれていることを
何故かマスコミは報道しない。

 



7月の終わり、仲間とともに第1原発の周辺を見学する会に参加して参りました。
参加者は56名。急遽大型バスに切り替えての出発でした。

     
     首都高を経て常磐道、廣野町へ到着。
     現地では、地元の方が待っていてくださった。

    
     
            <原発から 20キロ圏すぐ外側にある廣野中学校>



     除染後白い砂が復土されているも雑草の繁茂する校庭。校庭での活動は皆無。

     現在は、除染作業が終わり、
     安全が確認され、学校は再開されています。
     戻った生徒は震災前の約2割。
     遠く、いわき市などから通って来るそうです。
     ちょうど下校時と言うことで、校舎からスクールバスへ移動する生徒。
     屈託のない笑顔の生徒。

     更に北へ向かう。
     あの日、あの時、この地を逃れようとしていた人々に思いを馳せる。

     警戒区域に入る。

 

 


     
    
         < Jヴィレッジの表玄関 >

     嘗て 福島サッカー界の本拠地として利用された施設。
     現在は、原発で作業される方達の前戦基地として使われている。

     元サッカー日本代表専属料理長の西さん。ご自身も被災し、
     現在もこのJヴィッジに残り、作業員に美味しくヘルシーな食事を提供されている。

     西さん曰く、「復興とは?何を持って復興とするのか定義が見つからない。
」     除染に掛ける莫大な費用。 だが、果たしてその効果は。 」
     西さんは、静かに、淡々と語られた。だが、強い憤りが伝わって来る。

 

     20キロ圏内、富岡町。
     
     
       校庭には牛の群れが。 



     
     常磐線富岡駅 津波の被害を受け、駅舎は何も残っていない。


     
     線路は草で覆われて


     

      

 


     
                商店街は、津波の被害を受けたままの状態
     
                           

                         
 



   
     桜並木が続く

     
                   かつて行われていた富岡町の桜祭り(富岡町HPより)

 

 

     
     
     住宅街。

     
     道を境に右は立ち入り禁止区域
     立ち入り禁止区域は鉄条網と監視カメラが設置されている
     

     

 

 

     きれいな町並みが続く。
     けれど、そこは誰も住めない町
     帰りたい人々は今どこへ。



     
     私たちが住む日本にあるこの現実を、
     国民はどう受け止めて行くのか?





     先日、政府は、原発の事故処理を東電に任せる事はできないと明言した。
     これまで任せきりにしてきた政府に責任はないのか?

      
     
     震災による行方不明者の捜索は遅々として進まない。
     かつてこの町の人口は、16000人前後だった。
     町民は現在も各地で避難生活を余儀なくされている。
     帰還の見込みのない現在、
     福島県内の人口流出に歯止めは利かない。

     
     廣野中学校では生徒がようやく2割戻った。けれども、そのことをどう評価するのか?
     
     
     除染は進んでいる反面、
     人が生活できるレベルまで除染することは可能なのか?

     除染した土の行き場は未だ決まらず、
     2013年8月現在も、巨大な袋の山が地区内に堆く残る。

     都市部の繁栄のために犠牲になった福島。

     暴走したら手が付けられなくなる危険な原発を
     けれども手掛けたら最も儲かる原発を
     今後も推進しようとしている人々。

     今日の午後には、7年先を見越したコマーシャルが流れ、
     日本は、東京オリンピックまっしぐら。



     一昨日聞いた福島の人の言葉が心の残る。

     「原発の問題で苦しむ福島がある日本と、オリンピックムードに沸く日本は、別の国のように思えます。」

     
     
          
        
    
         
    ※富岡町
     福島県双葉郡の中心にある東京電力福島第二原子力発電所がある。
     平成23年(2011年)に発生した福島第一原子力発電所事故の影響  により、
     同年3月17日以降、仮役場を郡山市にあるビッグパレットふくしま内に設置している
                                                        (wikipediaより)

    
    



     
          
    

        

     


     
     
     
     


     
          
    
    




海岸清掃 ー奥松島ー

2013-07-07 16:40:00 | 東日本大震災


梅雨明け間近の7月5日、
東松島宮戸島の月浜海岸の清掃に参加して来ました。
6日深夜には帰浜する、車中1泊の日程です。

今回も平塚市の神田交通さんにお世話になります。
そして、何時ものように満席状態です。

行き先の関係で30分遅れの出発。
個人面談が長引いていたKさんも
滑り込みの参加です。

石巻行きキラキラ号の前に私たちの乗る[東松島1便]が。
トランクに、スコップ、レイキなどの道具を積み込み、そして私たちの荷物も。

冬と違い軽装ではあるものの、
装備は一通り用意します。
作業に合わせ手袋だけでも3種類。
強風が吹けば、ゴーグルやマスクは欠かせません。
雨で体が冷えたら仲間にも迷惑を掛けてしまいます。
この時期は、熱中症対策も必須です。

9時30分、東松島に向け、いざ出発。

東松島市は、一昨年の11月に東名の個人宅で、床下の泥だし作業をさせて頂いて以来の訪問です。

ここは、多くは報じられていませんが、
近隣市町村の中で、人口比率からみて最も被害の大きかった所です。
中でも野蒜(のびる)・東名地区の被害は甚大なものでした。

2年4カ月が過ぎた今でも、水が引かず、復旧の目処が立たない地区すら残っています。



<野蒜地区:運河の向こうは海ではなく、未だ水の引かない水田と宅地の跡>



 

 

宮戸島は、景勝地奥松島の一つとして広くその名を知るところです。

室浜等と並び、海岸の「月浜」は、これまでにも何度も海岸清掃を繰り返し、
ようやく二週間後の海開きが実現しようとしています。 

 

<海岸清掃前、たくさんの海草が打ち上げられています>

 

<近寄ると、海草の中には無数のゴミが>

東松島市は、瓦礫の98%を自力処理しています。それ故、分別は徹底しなければなりません。

粉々になったプラスチックや金属等を黙々と、取り除きます。
気の遠くなる作業です。


 

本日一緒に作業する埼玉県の方が到着。
あら失礼、御着換え中ですね。




気温28度、1時間もしない内に汗で衣服はぐっしょりに、
作業リーダーが2~30分に一度、休憩の声かけ、繰り返し水分補給を促します。
塩あめをみんなで頬張る。
普段はあまり口にしない塩あめが美味しく感じるのも、
身体が塩分を欲してからでしょう。

この間、男子陣は、竹を切りだて杭を打ち、安全柵を作っていきます。
 

<分別が終わった海草の山>

 

 流失した家の跡地は、車500台を収容する駐車場に。
除草作業も行い、

 

 

作業終了のころは、近くに住むご家族連れが
ビーチボールで遊ぶ姿も。

 

 <作業後の月浜海岸>

来週、第2便が仕上げの作業を行います。


今シーズン、何件か民宿も再開し、
海水浴だけでなく、
シーカヤックなどの体験ができる海岸として再スタートです。

次は、是非とも観光で伺いたいと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 


海辺の森をつくる

2013-06-17 22:02:11 | 東日本大震災


 5月に気仙沼へ行ってまいりました。
 3月をもって県のボラティアセンターが閉所し、今回は有志による活動です。 

  

  ここは、気仙沼、名勝岩井崎のすぐ近く「お伊勢浜海水浴場」です。

砂浜がどこまでも続き、地元の住職さんが『東洋のワイキキビーチ』と仰ってましたが、
かつては、地元で人気の海水浴場でした。

津波ですっかり白い砂は流失し、
後にはガラス破片など危険なものが無数に。

夏に向け、子どもたちに海水浴を楽しんでもらおうと海岸清掃が進んでいます。




 
          民宿が建っていた所は、タンポポの咲く原っぱに。





海辺のこんもりとした丘には古くから自生する樹木がしっかりと根を下し、
激しい潮に流されることもなく、
そして、その樹木に掴り、多くの方が津波から生還しました。


これから先もこの地に住み続けるために、
丘をつくり、木を育て、海辺に森をつくろう。

気仙沼の方々が立ち上がり、昨年はじまった取り組みです。


 「じょうぶに木が育ちますように」
 皆で心をこめて雑草を抜きました。

 中央の天に向かって建つのは龍のモニュメント。「早く追いつけ、追い越せ」

 



 たった一日の作業でしたが、ほんの少しお手伝いができました。

 その後は、地元の亀の湯さんで汗を流し、
 復興商店街「紫市場」で気仙沼ホルモンを堪能しました。
 お魚市場で買ったタコせんべいは、予想以上にワサビが効いてました。

 折しも復興大臣でなく防衛大臣になられた小野寺さんが帰郷され、
 港界隈はちょっとにぎやかでした。


 
 
 
 お伊勢浜海岸近く、岩井崎にできた新たな名勝? 「龍の松」です。
 津波でほとんどの松が持って行かれるもたった一本残った、
 岩井崎のど根性松。
 痛んだ枝を剪定し偶然できた形は「龍」そのもの。



 そして、潮吹き岩や、岩場に残る無数の化石群は一見の価値有りです。

   

   
   ホヤの美味しい季節も始まり、ゆるキャラ ホヤぼうやも待っています。

   







怒りを原動力に。

2013-06-14 21:51:35 | 東日本大震災

お久しぶりです。
沖縄は既に梅雨明けしたようで、
間もなく暑い暑い季節がはじまります。(=_=)

急に暑くなる時期は、暑熱順化ができていないので危険な時期とか、
熱中症にはくれぐれも気をつけましょう。

昨日深夜、twitterで知り合った方からの情報で
「負けねど!津波」と言うテレビ番組を見ました。

石巻市内で旅館を営んでいた方がオープンするまでのドキュメンタリー番組です。

あの日まで持っていた包丁をノコギリに持ちかえて、
奮闘するそのエネルギーの源は…

「負けねど、負けねから~!!」

海に向かって叫ぶご主人の横顔は…。

湧き上がる怒りを前に進むエネルギーに変えて、
美浦旅館のご主人が日々格闘する様子を
ブログに投稿していらっしゃいましたのでご紹介します。

http://yoidore082.blog32.fc2.com/blog-date-201306.html

美浦旅館さんのHPは⇒http://yadomiura.web.fc2.com/index.html

                           

                                美浦旅館のご発展を祈りつつ。