時間を追うごとに被害の様子が明らかになってきました。大変なことになってしまいました。
東北や長野県の皆様には心よりお見舞い申し上げます。
3月11日 午後2時46分。今までにない大きな揺れを体験しました。
当時放課後でしたが、校内には一部の児童が残っていました。
ぐらっと揺れ間もなく停電となり、防災盤の警報が鳴る中、子ども達を安全な所に避難させました。
1回目の揺れがおさまるまで、時間がとても長く感じました
子ども達たちは、恐怖で表情を強張らせていましたが、幸いけがをした子はいませんでした。
保護者の方へ引き渡すまでの間、お腹に入れるものを調達するため、二手に分かれて近くのコンビニとスーパーへ。
既に店内の棚には商品がほとんどありませんでしたが、辛うじてパンとスープを買うことができました。
停電で薄暗い通路に長蛇の列ができ、電卓を叩く店員の表情は殺気立っていました。
(防災備蓄庫内の備品は、防災拠点になった場合のみ使い、職員が勝手に使うことは許されていません。)
ライフラインの内、水道とガスは使うことができるので、懐中電灯と、理科室のロウソクで明かりをとり、午後6時過ぎに軽食を摂らせました。
子ども達は懐中電灯の明かりの中で、歌集で歌を歌ったり、ゲームをしたり、宿題を済ませる子さえいました。
午後8時 最後の児童が帰宅し、私たちは本日の任を解かれました。校長先生は本日保健室に一泊します。
暗闇の中、駐車場へ向かうと、星がとてもよく見え切なく思えました。
反町に住む同僚を送り届け、家に帰りついたのは午前3時でした。
連絡の取れなかった松島の伯父夫婦は無事が先ほど確認できました。
息子も、無事でいることが判りました。
配置転換で、この日仙台を発つ予定でしたが、勤務先の仙台病院には負傷者が多数運び込まれているようで、応援要員として暫く留まることになったようです。 被災された方々のためにしっかり働いてください。