朝から唸る。法律とはいったい何なのでしょうか?
我々庶民はいつも置き去りで法律の専門家、判事、検事、
弁護士などが激論を交わし立派で公正・公平な法律を
作っているのでしょうか?
それらを受けて政治家が国会で改正できるもの、或いは
新しい法律を作っているのでしょうか?(民法・刑法)
ですが、逆発想で言えば、庶民の意見を聴取して納得が
いくような法律を作っているんでしょうか?
間違っているかも知れませんが庶民とは無関係でいつの間
にか法律改正があるのが実感です。これで良いのかです。
頭が悪い僕は、この点を充分に把握できていない。
悪意で言えば、法律家の権力者が主観的に判断しているか?
その一端は、最高裁の裁判官だろうと思います。
例えば大きな問題となっているヒジャーブ(スカーフ)が
法律になくても裁判上で「合憲」と判決で判断すると
どう対応するのか?あまりにも飛躍していますがどうか?
そこで、気になるのが先日の「性別判定条件」が話題です。
現行法では「生殖機能を失くす(♂→♀)」のはマストです。
明確に「失くす」と明記がありますから誰でも分かる筈です。
しかし、最高裁の裁判官15名全員一致で判決を下したのは
「生殖機能をなくす(♂→♀)」のは「違憲」と判断した。
何だかスッキリしないと思いませんか?
この裁判で、是々非々を問うのは非常に変だと思います。
15名の裁判官は法律の知識を充分に理解していると思います。
でないと判決を出してはいけないと思います。
法律の条文では、この判決自身を認めていませんよ。
従って、裁判官の判断は間違っていると言わざるを得ません。
悪法であっても法治国家の条文は正しいと認めざる得ない。
法律の運用は、条文に記載されていることに「合憲か違憲か」
を判断すべきです。なので、15名の個人的な見解で「違憲」と
判断できるのであれば法律の条文は不要となります。
僕が言いたいのは、この「違憲判決」に反対している訳では
ありません。裁判の仕組みとルールはこれで良いのかと疑問
を持っています。
例えば、ある犯罪があって条文では犯罪であっても最高裁の
裁判官15名が「否定」すれば「有罪」と認定できないのか?
もしもこれに賛成であれば裁判官は国会の決議された法律の
条文を無視しても「正義」だと主張できるのか?
簡単に言えば、有権者の代表及び代弁者の衆議院・参議院の
政治家諸君よりも最高裁裁判官の判決は勝っているのか?
「三権分立」とは何か?条文にない物も超越できるのか?
この点が良く分かりませんが国会が最優先か?司法の15名が
優先か?と考えた場合には大いに疑問が残ります。
今回の判決を正しく表現するのであれば現行法では「合憲」
と判決しないのは変です。
正しくは、「合憲」ではあるが現状の時代では妥当とは
言えない為に「改正」が必要と主張しないのは変です。
どうして「違憲」と言い切れるのでしょうか?
誰が考えても現行の条文を遵守するなら「合憲」が正しい。
そこで、勘違いの多い人は、最高裁が「違憲」と認めたから
この法律を守らなくても良いと考えるのは違和感が有ります。
これじゃ法律の条文なんかは全く意味がなくなりませんか?
簡単に言えば、何でもかんでも15名の裁判官に聞けば良い?
では、その裁判官を誰が選択したのか?庶民ではないと思う。
では、裁判官は絶対に間違いのない判断が可能なのか?
僕が勝手に思うのは、時々変な判決が出ていると思う。