「静高VS静商定期戦」は、昭和6年から始まった。静岡県の高校野球をけん引してきた2校の試合は昨年(平成23年)で53回目を数え、5月8日に草薙球場で行われた。静岡高(旧静岡中)が12-2で静岡商に圧勝。通算成績を34勝19敗とした。この対決は毎年、生徒やOBに一般ファンを加えた1000人以上が観戦し、勝利校には優勝旗が贈られる。
明治29年創部の静岡高は大正13年夏、県勢として初の甲子園出場を果たし、通算36回出場で29勝。静岡商は昭和3年創部で昭和9年春に甲子園初出場。通算15回出場だが、勝利は23勝と肉薄。ともに全国制覇1回、準優勝2回で仲良く並んでいる。
大正から昭和初期、静岡中のエースとして甲子園5回出場を誇る上野精三は、大正15年夏の甲子園優勝投手。慶大に進み、慶大と日本石油の監督を務めた。
昭和30年夏出場の捕手、種茂雅之は立教大-丸善石油から東映入りして日本一に貢献。イケメン捕手で「マスクを被るのがもったいない」と言われた。阪急、日本ハムでコーチや2軍監督を歴任。同35年夏準優勝チームの主将だった石山建一は、アマ球界で活躍。早大-日本石油を経て早大監督に。松本匡史(巨人)や岡田彰布(オリックス監督)らを育て、プリンスホテル初代監督や巨人の編成本部長補佐も務めた。同40年春出場の4番・小田義人は早大-大昭和製紙からヤクルト入り。スカウト部長としても手腕を発揮した。
同48年夏の準優勝チームの主砲が植松精一。法大では江川卓らと同期で黄金時代のメンバーとなり、阪神でも活躍した。近鉄でクローザーとして一時代を築いた赤堀元之は同62年夏の出場。最優秀救援投手賞5回は、佐々木主浩(横浜)と並ぶプロ野球記録だ。
現役では現在、巨人の中継ぎで活躍する高木康成。平成11年春・夏出場で、倉吉北戦での17奪三振など、3試合連続2ケタ奪三振を勲章に近鉄入りした。駒大-東芝を経て日本ハム入りした増井浩俊は昨年、リーグ3位の34ホールドポイントをマークした。
静岡商も多くの名選手を輩出した。杉山光平は専大から近鉄入り。南海時代に首位打者となり、ベストナイン4回。バットを地面に垂らし、持ち上げて打つ「円月打法」で人気を博した。昭和27年センバツの優勝投手となったのが田所善次郎。全4試合連続完封は大会史上3人目の大記録。国鉄では2ケタ勝利2回をマークした。
同29年夏準優勝チームの4番が興津立雄。専大から広島入りし、強打の三塁手として活躍した。滝安治は関東学院大-三菱重工川崎から巨人入り。V9時代のスーパーサブで、解説者としても人気があった。
同43年夏、静岡商は1年生エースが甲子園を沸かせた。新浦壽夫だ。定時制に入学して1年後に全日制に編入。黒ぶちメガネで細身の左腕は準優勝投手となった。当時はまだ韓国籍で、規定では外国人はドラフトにかける必要がなかったため、争奪戦の末に中退して巨人に入った。先発とリリーフにフル回転した後、韓国プロ野球や横浜、ダイエー、ヤクルトでもプレー。日本球界では通算116勝39セーブを挙げた。
新浦と同じ準優勝メンバーには、中大から中日入りして新人王を獲得した藤波行雄がいる。藤波の1年後輩の池谷公二郎は、広島の黄金時代に先発投手として貢献した。2人とも現在は解説者。
大石大二郎と久保寺雄二は、昭和49年夏と50年春の連続8強の同期生内野手だった。久保寺は南海でのレギュラー5年目となるはずだった同60年1月4日、帰省していた静岡・三島市の実家で就寝中に体調不良となって急逝。大石は、その葬儀で弔辞を読み号泣した。亜大から近鉄入りしていた大石は、同58年に世界の盗塁王・福本豊(阪急)の14年連続盗塁王を阻止。プロ17年で通算1824安打、415盗塁(歴代7位)をマークし、近鉄球団の日本選手で初の1億円プレーヤーとなった。オリックスのコーチから監督となり、クライマックスシリーズ進出。現在はソフトバンクのヘッドコーチで、昨季は日本一に貢献した。
静岡勢は、両校以外にも韮山(昭和25年春)、浜松商(同53年春)、常葉菊川(平成19年春)が全国制覇を経験。だが、2校の力は衰えない。最近では平成18年夏に出場した静岡商は、いまだに夏の甲子園での初戦敗退がない。静岡高も昨年夏の甲子園に姿を見せた。昨年秋の県大会では静岡商が優勝。静岡高は3位で、ともに東海大会に進んだ。気候温暖の野球県を、名門2校がリードし続けている。=敬称略
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