自宅マンション前を流れる白子川、少し上流に遡った処に懸かる白子橋を左に少し入った狭い道路沿いに、関東大震災で本郷の自宅を無くし東京から移り住んだ清水かつらの住居があった。
板橋区と和光市の県境にある白子橋の親柱には、童謡「靴が鳴る」の歌詞が刻まれており、近くの白子川遊歩道には「清水かつら生誕100年記念碑」も建てられている。
今ではすっかり住宅街となったが、昔は草木が生い茂り、湿地帯もあって小鳥や小魚、昆虫なども身近に観察できるような自然豊かな武蔵野の原風景そのものの場所であった。
当に清水かつらの詩情を掻き立て,童謡詩のモチーフを提供するのに格好の場所柄であったと思われる。
大正時代は児童文学、童謡の最盛期、鈴木三重吉の雑誌「赤い鳥」には芥川龍之介の「杜子春」、鈴木三重吉の「お馬」、新見南吉の「ごん狐」等の童話に加え、北原白秋の「からたち
の花」や西條八十の「かなりや」等の童謡が掲載され、一年遅れで発刊された野口雨情の「金の船…後に金の星に改題」には志賀直哉唯一の童話「菜の花と小娘」の他、雨情の童謡、「七つの子、15夜お月さん」 等を掲載、覇を競っていた。童話、童謡共に、今に残る不朽の名作揃いである。
これらの雑誌が世に出る少し前(1916年…大正5年)、清水かつらは中西屋書店出版部に就職、上記二つの雑誌に先駆けて同社が雑誌「小女号」を発刊するのに当って編集長の鹿島鳴秋
に誘いを受けこの雑誌に係ることになった。(中西屋書店は後に丸善に吸収された。)
「靴が鳴る、叱られて、雀の学校」は大正8年から10年に掛け小女号で清水かつらが発表した童謡詩である。
「靴が鳴る」は本郷の小学校時代に行った遠足の懐かしくも楽しい思い出が明るい童謡として残されたものであると言われている。
「叱られて」は自宅近くの白子の子供達が成増の町まで使いにされることがよくあったが、途中鬱蒼と木が生い茂った急な坂道があり狐や狸が出るとの噂もあって、渋る子供達を親が叱る
場面を何度も目にし、その子供達を思って作詞されたと言われている。
戦後生まれた「みどりのそよ風」は暗い世相を乗り越え子供達に希望を与えようと白子川を主題に作詞され、草川信の明るいメロデイと相俟って多くの子供達に愛される童謡となった。
東武東上線成増駅北口には緑のそよ風の大きな歌碑があり、又南口には歌の時計塔が設置され上記4曲に加え清水かつらの「あした」、鹿島鳴秋の「浜千鳥」を加えた6曲が午前8時から
午後6時まで2時間おきに放送され街の風物詩となっている。
白子川は周辺が宅地開発され汚染と洪水を繰返した為、治水管理の必要からコンクリートで固められ、かつらの時代の風情は見る影もないが、長年の努力の甲斐あって美しい鯉が多数放流され、春・秋にはボラや鮎の稚魚が群れをなして隅田川、新河岸川から遡上し、それを追って白鷺,鵜、鴨のような水鳥が多数みられるようになって近くの園児や通りすがりの大人たちの目を楽しませている。
板橋区と和光市の県境にある白子橋の親柱には、童謡「靴が鳴る」の歌詞が刻まれており、近くの白子川遊歩道には「清水かつら生誕100年記念碑」も建てられている。
今ではすっかり住宅街となったが、昔は草木が生い茂り、湿地帯もあって小鳥や小魚、昆虫なども身近に観察できるような自然豊かな武蔵野の原風景そのものの場所であった。
当に清水かつらの詩情を掻き立て,童謡詩のモチーフを提供するのに格好の場所柄であったと思われる。
大正時代は児童文学、童謡の最盛期、鈴木三重吉の雑誌「赤い鳥」には芥川龍之介の「杜子春」、鈴木三重吉の「お馬」、新見南吉の「ごん狐」等の童話に加え、北原白秋の「からたち
の花」や西條八十の「かなりや」等の童謡が掲載され、一年遅れで発刊された野口雨情の「金の船…後に金の星に改題」には志賀直哉唯一の童話「菜の花と小娘」の他、雨情の童謡、「七つの子、15夜お月さん」 等を掲載、覇を競っていた。童話、童謡共に、今に残る不朽の名作揃いである。
これらの雑誌が世に出る少し前(1916年…大正5年)、清水かつらは中西屋書店出版部に就職、上記二つの雑誌に先駆けて同社が雑誌「小女号」を発刊するのに当って編集長の鹿島鳴秋
に誘いを受けこの雑誌に係ることになった。(中西屋書店は後に丸善に吸収された。)
「靴が鳴る、叱られて、雀の学校」は大正8年から10年に掛け小女号で清水かつらが発表した童謡詩である。
「靴が鳴る」は本郷の小学校時代に行った遠足の懐かしくも楽しい思い出が明るい童謡として残されたものであると言われている。
「叱られて」は自宅近くの白子の子供達が成増の町まで使いにされることがよくあったが、途中鬱蒼と木が生い茂った急な坂道があり狐や狸が出るとの噂もあって、渋る子供達を親が叱る
場面を何度も目にし、その子供達を思って作詞されたと言われている。
戦後生まれた「みどりのそよ風」は暗い世相を乗り越え子供達に希望を与えようと白子川を主題に作詞され、草川信の明るいメロデイと相俟って多くの子供達に愛される童謡となった。
東武東上線成増駅北口には緑のそよ風の大きな歌碑があり、又南口には歌の時計塔が設置され上記4曲に加え清水かつらの「あした」、鹿島鳴秋の「浜千鳥」を加えた6曲が午前8時から
午後6時まで2時間おきに放送され街の風物詩となっている。
白子川は周辺が宅地開発され汚染と洪水を繰返した為、治水管理の必要からコンクリートで固められ、かつらの時代の風情は見る影もないが、長年の努力の甲斐あって美しい鯉が多数放流され、春・秋にはボラや鮎の稚魚が群れをなして隅田川、新河岸川から遡上し、それを追って白鷺,鵜、鴨のような水鳥が多数みられるようになって近くの園児や通りすがりの大人たちの目を楽しませている。