追憶の彼方。

思いつくまま、思い出すままに、日々是好日。

「テルテル総理ご都合主義の改革路線」...(3)

2020年12月24日 | 政治・経済
「テルテル総理ご都合主義の改革路線」...(3)

世の中がバブル経済で浮かれていた頃、赤坂や新橋の料亭前に黒塗りの高級車が列をなし異様な光景を呈していた。密室政治の元凶と世の批判を浴びた「待合政治」である。バブル崩壊後は下火になったように見えるが、批判をかわす為、単に待合からホテル、高級レストランに場所を移しただけに過ぎない。安倍の時代から頻度が増えたが、菅の場合は一種病的である。
待合政治は幕末、長州・薩摩を中心とする倒幕に逸る下級武士集団が、藩や出入りの富豪を脅かし搔き集めた金で、京都の「池田屋旅館」や、祇園の「一力亭、魚品と言ったお茶屋(=待合)」で豪遊しながら倒幕の策を練ったのが発端である。維新前後には厨房を備えた「料理茶屋」に変貌し、伊藤博文達「元勲」が酒を飲み、芸者を呼んで宴会をしながら政治を論ずることが習慣となった。成り上がり者の下級武士が殿様や上級武士を真似て我が世の春を満喫した悪弊が今も形を変えて息ずいているのである。世界に類例の見ない待合政治、心根の卑しい政治家達には特権階級を意識できる恰好の場として、敗戦を機に世の中が大きく変貌した中でも雑草の様にしぶとく生き続ける「悪弊の最たるもの」である。
加藤官房長官は菅首相の各界の人との会食は「幅広い情報集め」に不可欠だから、今後も継続すると反省の姿勢全く見られず、豪華会食に呼ばれたい茶坊主評論家達も情報収集手段として必要だと、異口同音の大合唱である。
しかし王・江本・小早川と言った元プロ野球選手、俳優の杉良太郎やみのもんた、このような会食相手から得られる国家運営に必要な貴重な状報とは一体どの様なものなのか。お気に入りの一握りの人間の情報に頼って国家の重要事項を判断するのは極めて危険な事だとは多くの識者が指摘する処である。

その妥当性の問題はさて置き、3か月で朝・昼・晩、1500回の豪華会食、その費用の殆んどは官房機密費から支出されている可能性が高い。第2次安倍内閣が発足してからの7年間で使った「内閣官房機密費」は86億円余、そのうち領収書不要で会計検査院にも説明の必要のない“つかみ金”=「政策推進費」名目で78億円もの巨額な税金が使われたことが明らかになっている。新型コロナウイルス対策として、260億円をかけるアベノマスクや「桜を見る会」など、税金の不可解な使い方が次々と明らかになる安倍内閣、当時の機密費は菅官房長官自身が管理し、菅氏に渡った時点で支出が“完了”したものと扱われる為、使い道は菅や安倍首相官邸の裁量で決まる為、私的に流用しても一切表面化しない構図になっている。只関係者から漏れ伝わる情報では「外遊する国会議員に対する餞別」、「政府が国会対策と称して、曽ての筆頭野党であった社会党等、野党への見舞金」、「一部有名言論人やマスコミ懐柔資金」「政治評論家への盆暮れの巨額な謝礼金」などとその実態の一部を故塩川財務大臣がばらしている。文芸評論家の福田和也は「小泉時代にワタシが政権の悪口を書いていたら、内閣調査室の人間が来て、50万円を握らされそうになったことがあると著書の中で述べている。政治家主催のパーテイ券購入や、議員の自宅建設費、背広仕立て代、等私的流用の噂も後を絶たない。 第3次小泉改造内閣で内閣官房長官を務めた安倍晋三が支出した官房機密費の使途公開を要求する行政訴訟がおこされている。日本共産党の塩川鉄也議員は、2010年3月、議会で安倍が内閣官房長官在任期間中に「会合」の名目で計504回の官房機密費支出をおこなっていたことが判明したと主張、乱脈を極めた実態を報告している。
この胡散臭い使途不明金の使途はこれに止まらない。官房機密費予算14億円の内「内閣特別調査費」に振り当てられるのは2億円、残り12億円と、それ以外に外務省機密費約55億円から20億円を上納させるので、官邸の機密資金は優に年間30億円を超えるのである。こんな巨額な金が何の遠慮も無く自由に使える立場に居た安倍・菅、しかも元々自己抑制意識の乏しい二人、感覚が麻痺しブレーキが効かなくなって、今の乱脈ぶりに繋がっていることが容易に推測できる。これは一種の公金横領である。10月3日「Eggs ’n Things原宿店」と言う有名なパンケーキ店で60名近い首相番記者オフレコ懇談会が開催された。朝日、東京新聞2社は欠席したがNHK・西日本新聞が幹事会社として取り仕切り、批判が高まったので、外部からの詳細問い合わせには一切応じない、2千円程度の会費制にすると取り繕ったが上辺だけの話だろう。赤坂待合政治が原宿パンケーキ屋に変貌したのである。立派な官邸を作ったのだから、なぜ活用しないのか、全く以って宝の持ち腐れ、パンケーキをほお張る番記者の悲しくも卑しい姿が目に浮かぶ。
「危険・過酷な医療従事者がコロナな影響で減給や満足にボーナスも出ない為、退職者が後を絶たない」「コロナ不況で職を失い、ローンが払えずやっと手に入れたマイホームを泣く泣く手放さざるを得ない、一日一食の子育て所帯の悲鳴」と言うような暗く・悲しい話が数多く伝わってきている。その様な状況を無視し愚にもつかない情報集めの豪華会食・散財の話である。国民の為の政治等とは口が裂けても言える話ではないだろう。
自公政権議員の金にまつわる不祥事が後を絶たないのは政権トップのやりたい放題により政界全体にモラルの低下が蔓延している結果である。
政権与党を中心とする政治家は「政治家を稼業にし生活の糧、金儲けの極めて便利な手段」と考えている為、世襲化しその権益を維持する為有りとあらゆる努力を惜しまない。安倍の桜の会招待による選挙民買収もまさにその典型である。政権与党の議員が政権幹部に異論を唱えず盲従し、或いは一丸となって政権維持に狂奔するのも稼業を維持する為である。汚い金に手を付け、選挙民を買収するのも全ては稼業維持が目的である。
今年の国会開催は通常国会1月20日~6月17日の150日間、臨時国会10月26日~12月5日の41日間、実働はなんと190日。一方彼らの年収は「歳費+期末手当(ボーナス)」で平均2,200万円、それ以外に政治活動費として1)使途公開・報告義務のない「文書・通信・交通・滞在費」が年1200万円、2)「立法事務費」、年780万円、3)政党によっては盆暮れの「氷代・餅代」が政党交付金から100~400万円、これらの金が監獄に収監されていようと議員辞職しない限り支給が保障される。景気が悪く、税収がガタ減りでもお構いなし、ボーナス減額・返上等聞いたこともない。
国会議員の年収を比較すると日本:2,100~2,200万円 アメリカ:1,400~1,600万円 カナダ:1,100~1,300万円
ドイツ:1,000~1,150万円 フランス:900~,1,000万円とずば抜けて高い。
総理大臣の場合は別途特別職給与法の定めにより、基本給は月収205万円、それに各種手当やボーナスなどが加わって、年収は大体5,000万円程度(最高裁長官と同じ)、国務大臣3000万円、副大臣2800万円。これに対しアメリカ大統領4200万円、ドイツ首相3500万円、イギリス首相2000万円。国会で官僚の差し入れメモが無ければ答弁が出来ない閣僚ですらこの巨額報酬である。
何故このような巨額の報酬を出さねばならないのか。一番に帰ってくる答えが「国会議員の質を落とさない為」であるが漢字が読めない、日本語が覚束ない、意見表明が出来ない総理がいる国、十分議員の質は落ちており、いっその事報酬を半減すれば議員の質向上に繋がるのではなかろうか。
政府が閣議決定した来年度予算案見ると「財政規律のたが」が完全に外れている。来年度一般会計の総額は106兆6100億円程度で、今年度の102兆6580億円を超えて過去最大となる見通しで、100兆円を超えるのは3年連続である。今年度は、3度の補正予算を加えると当初予算の約1.7倍に膨らんだ歳出のために、国は112兆円、新たに借金を増やした。これは、当初予算の一般会計総額を上回る驚くような規模の借金だ。我が国の債務残高はGDPの2倍を超えており、主要先進国の中で最も高い水準である。必要なお金の3分の2を次の世代に頼る状態、日本は世界でも際だった「借金大国」だが、コロナ対応を理由に財政健全化の声はかき消され、25年度に国と地方の基礎的財政収支(プライマリー・バランス)を黒字化する目標は何処かにすっ飛んでしまったかのようである。
今の自公政権には政権維持(=稼業の維持・保全)の為には、追加財政支出はやむを得ないとの考えが根底にある。財政赤字が膨らむ原因は、自分の腹は痛まない「他人のお金」に頼っている処に原因がある。他の人が払った税金やこれから生まれてくる様な将来世代が返済負担を負う国債=他人のお金という感覚から抜けきれない為無駄遣いが後を絶たず、稼業維持の為、予算の分捕り合戦が始まるのだ。
菅内閣発足時、新任の文部科学副大臣と政務官が18日深夜に初登庁した際、職員ら100人以上が待機して出迎えたとの報道を受け、河野行革相が「ヤメレ!」と号令を発し有名となったが、この時女性職員が豪華な花束を贈呈している映像を見て、小さいことだが税金の無駄遣いが垣間見えたと思ったものだ。豪華な花束も税金、職員の残業料・食事代、帰宅の為のタクシー・ハイヤーの費用、一事が万事税金の無駄遣いオンパレード。自分の懐が痛む個人や中小企業の経営者ならあり得ない話である。全ては他人の金=自分の懐が痛まない処から来ている。
今年の9月イタリアでは国民投票により議員定数大幅な削減の憲法改正を行った。働かない政治家は不要とばかり、批判を押し切って、下院の定数を630から400へ、上院は315から200へと言う荒療治である。イタリアは日本と同じ時期に政権交代のある民主政治を実現する為、小選挙区比例代表並立制を導入した。イタリア政治は長い間混迷を続けたが、政治改革を成功させたのはイタリアだ。政党間の競争が働き、政権交代の緊張感が適度の改革を生み出している。
財政赤字の削減も日本より実効を上げ、大胆な地方分権も実現させた。両国の大きな違いは有権者の知的水準の違いではないだろうか。イタリアの投票率は70%台を維持しているのに対し日本は50%すれすれの水準、有権者の政治参加意識の差が極めて大きい。日本人が何時「茹でガエル現象」から脱却できるのか。
携帯電話料金の値下げや学術会議メンバー等不要不急の問題で「政治をやってる感」を出している暇はない。



「テルテル総理ご都合主義の改革路線」
喫緊の課題・政治改革…(4)
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「テルテル総理ご都合主義の改革路線」...(2)

2020年12月18日 | 政治・経済
「テルテル総理ご都合主義の改革路線」

日本学術会議の任命拒否問題をめぐって、静岡県の川勝知事が「菅総理の教養のレベルが露見した、学問をした人ではない、単位を取るために大学を出た。」と痛烈に批判した。
兎角、不規則発言の多い知事だが、政治家に必須の発信能力の欠如、「自らの言葉で自分を表現できない姿」を批判したのが真意だったと考えれば100%合点がいく。「政治は言葉、国会は言論の府、議員の活動の基本は言論であり,言論によって問題が決定される 」とは中学で学んだ社会科公民の必須項目である。
医療従事者や事業者がコロナで苦しみピリピリしている国家の異常事態の時に、テレビ番組でニタニタ薄笑いを浮かべ「ガースーです」と自己紹介、これは安倍以下だなと心底落胆した。一方同じ日、ドイツ・メルケル首相はベルリン連邦議会で国民に厳しい感染対策が必要な理由を情熱的に説いた。彼女はドイツ国家のアイデンテイを語り、その前提にあるのが啓蒙の精神、すなわち「知を愛すること」であるとして科学的知見の重要性を強調した。トップが力強くコロナと戦う姿勢を示した演説は瞬く間に世界に伝播し多くの感動を集め、ニューヨークタイムズは「ガースー自己紹介」の記事と併記して紹介した。
首相に必要なのは、学歴とか地頭ではなく、国民に恥ずかしい思いをさせない「教養・知性」である。ガース―には中身があまりにスカスカ過ぎて、自ら教養を身につける努力を積み重ねて来た形跡が感じられない。
自分達の政権に楯突いたというだけでその学者の研究や実績なども知らずに学術会議から排除したり、自助・共助・公助・絆と言った陳腐なスローガンを掲げたり、「携帯電話料金の値下げ」「不妊治療の無料化」など場当たり的な政策をアピールするのも、理念やその基となる教養のなさとも無関係ではない様に思える。自民党の総裁選演説や所信表明演説でも、「日本をどういう国にしたい」という国家観がまるで感じられなかった。記者の質問をはぐらかしたり、官僚を恫喝したりすることは得意だが、所詮手堅いと評される番頭に過ぎない。「総合的、俯瞰的」な視点が最も欠落している総理と言えよう。
官房長官時代から安倍の虚偽答弁を肯定・上塗りして来たのを其の儘引き継ぎ、首相として日本学術会議を巡る答弁で小さい嘘を積み重ね、自縛状態に陥った。嘘もひどいが、「答えを差控える」「答える立場にない」「問題はない」「仮定の質問にはお答え出来ない」等、答弁拒否は度が過ぎている。しかも、舌足らずで、たどたどしく、呼吸も浅く、きちんと日本語がしゃべれない。
「人事の事は答弁を差し控える」というのは公正な人事をしていない証拠である。現役時代外国人従業員も含め多くの人事考課を行ったが、要求があれば必ず考課の理由を説明することを実行してきたし、そうするよう指導され、指導もして来た。不真面目な人事考課は許されないので、その時期には悩み抜いたものである。人事の事は話せない等の発言は時代遅れも良いところ、今時そんな世界があると聞くのは驚きであり、人の上に立つ資格ゼロであろう。
又「仮定の質問」に答えられないの発言は政治家失格である。国際政治・経済、疫病,天変事変等、激変する世界情勢の中で「対処療法、対症療法」では国民を壊滅的な被害に晒すことになる。国民の生命・財産を守るのが政治家の最大の使命であり、其の為に政治家に求められるのが「危機管理・予防医学」である。物事を行う前に起り得るリスク・トラブルを仮定・予測し対策を準備することが危機管理・予防医学の鉄則である。物事を事前に多面的に調査し、リスクを予測し、対策を立てる事は大変な労力を要するが、面倒なことは後回しにすることは単なる「神頼み」に過ぎず、日本を滅亡させた東條や軍人官僚達から一歩も前進していないことになる。11月28日~12月6日臨時国会での答弁拒否は80回、説明責任放棄というより、行っている事が場当たり的、支離滅裂、綻びだらけで説明出来ないと言うのが本音であろう。「Go to…」が「Go to トラブル」と揶揄される所以である。
菅首相、就任後国会での施政方針演説もせず東南ア外遊に逃げ出したが、ベトナムの日越大学でのスピーチではベトナム語でベトナムが好き、アセアンが好きと小学生並みの挨拶、その後日本語に切り替えた途端アセアンをアルゼンチンと言い間違い。どうしてこの場面で全く無関係なアルゼンチンが出てくるのか、摩訶不思議であるが、全ては菅の場合「自ら語る、演説する」のではなく「他人が書いた原稿を棒読みする」という作業に没頭し、意味をよく理解していない為に、このような読み間違いが起こるのである。前任の安倍と全く同じ頭脳構造である。
ジャカルタでの記者会見では事前に打ち合わせた質問以外は受け付けないのはどうしてかと現地記者から不満が出た。事前に質問を提出すると言う世界に類例のない悪弊のお陰で、まるで馬鹿でも首相になれる日本の姿が浮き彫りになった。政治経済もまともに勉強せず知性教養に欠ける菅には想定外の質問にアドリブで答えるなど所詮無理な話、やらせ会見しか出来ない、自助なんて言う資格は無い。中国の王毅外相との会談でも終始メモを読んで居る姿を見て今後国際社会で海千山千の外国首脳との会談で大丈夫かと不安を搔き立てる。
菅首相は総理就任以来150回超の豪華会食が話題になっているが、政府の感染症対策分科会の尾身会長は10月23日、「5人以上の会食は控えてほしい」と要請し、政府も折に触れ同様の注意喚起しているが、分科会の提言翌日以降、首相が夜に5人以上で会食した回数は少なくとも9回に上ったと報じられている。官僚の書いたメモを読むだけなので頭を素通りし、記憶として残らない為、行動に結びつかないのである。今月14日夜。コロナ蔓延に歯止めがかからず、医療崩壊を防ぐため、「Go To トラベル」の全国一時停止を公表した後、企業経営者ら15人前後とホテルで会食。さらに、自民党の二階幹事長やプロ野球ソフトバンクの王会長、俳優の杉良太郎等最も注意を要するヨレヨレの老人7人以上が集ったステーキ店での「忘年会」もはしごをしていた。これがやり玉にあがり非難轟々、慌てて16日謝罪会見したが、「国民の誤解を招くという意味では、真摯(しんし)に反省している」と述べた為、この誤解発言が火に油を注ぐ結果となっている。頑なに謝りたくないのだろうと言う人もいるが、単に教養の無さから来る表現力のプア―によるものであろう。会見で謝罪した後、6時43分から都内ホテルの日本料理店で銀行幹部1人と、7時37分にはフランス料理店て御用メディア幹部3人というように豪華会食の梯子をしている。 何れも小人数ながら菅の豪華会食症候群は止まるところを知らない。
それにしても場当たり「「Go To トラベル」の中止が12月27日からの意味が理解できない。心配される年末の医療崩壊を防ぐには、今すぐストップを掛けるべきではないのか。この「GO to 事業」は旅行業界会長である自民幹事長二階肝いりの利権絡み、国の金を[餌]に付しコロナウィルスを全国に拡散散布、国民の命と健康を危険に晒す支離滅裂な暴挙策である。コロナが落ち着いたら実行すると言う事前説明を無視し、十分な事前設計も無きまま強行した為、事業中止で発生するキャンセルfeeは国税で負担すると言い出す始末、国税無駄遣いここに極まれりである。
 「国民の為に働く内閣」のスローガンは、スッカラカンの頭からすっかり雲散霧消してしまい、今や朝から晩まで続くホテル・料亭での卑しい豪華会食だけに満ち溢れる状態に成り果てた気がする。
外国メデイアも「菅首相、銀座でステーキ会食」のニュースを速報扱いで伝えた。ブルームバーグやロイターに加え、ワシントン・ポスト紙などの主要メディアや各国メディアが次々と追随。瞬く間に「スガ、ステーキ豪華会食」の話題は数か国語に訳されて、世界に広がってしまった。
ネットの怒りの投稿…何が「パンケーキおじさん」だ 何がたたき上げの苦労人だ 単に食い意地が張った無能なジイサンだろうに  早々と国会を閉じストレス溜まらぬ人間を集めて贅沢三昧、国民の為に働くとはよく言ったもんだ。コロナ対策会議を放り投げ、情報集めを名目に飽食三昧、挙句胃腸が悪いと政権を放り投げた安倍と何ら変わらない(投稿拝借 Tks)


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「テルテル総理ご都合主義の改革路線」... (1)

2020年12月12日 | 政治・経済
「テルテル総理ご都合主義の改革路線」
テルテル政権は政権成立100日のご祝儀、ハネムーン期間が過ぎ、化けの皮が剥がれて衣の裾から陰湿・不気味な尻尾がちらつき、早くもその人気に陰りが見え始めた。テルテル基本方針「既得権益・悪しき前例主義の打破」、聞こえは良いが、やろうとしている事は自分達のご都合に沿った物に過ぎない事が最早明確になってきた。
先ず2億円近い国税を使い内閣・自民党主催による故中曽根康弘元首相の合同葬である。よりによって天皇家が初穂を祝い感謝する天皇家の重要な祝祭「神嘗祭」の日を選んで挙行された。 これに関連し政府は2日の閣議で、合同葬当日に各府省で弔旗を掲揚し、黙とうすることを申し合わせ、更に加藤官房長官指示により前例に倣って、総務省は県や市町村に宛てに文書で、「当日は弔旗を掲揚し午後2時10分に黙祷して哀悼の意を表するよう協力を求め」、文科省も国立大学や都道府県教育委員会などに同様趣旨の要請文書を送付していたのである。宮内庁にもおめでたい祝際日に弔旗を掲げよと通達を出すなど非礼も甚だしい。これこそ「悪しき前例の踏襲」そのものであり、国家的事業以外の何物でもない。そもそも故中曽根は行政改革等の「功」ばかりが喧伝されるが、ロッキード事件・リクルート事件等、何時も危うい塀の上をふらつきながら歩いて来た「罪」の部分が完全に無視され、自民党政権により最高位の大勲位菊花章頸飾迄受賞している。そこには総理大臣も含め国会議員は国民の公僕であるという視点が完全に抜け落ち、明治・昭和の悪弊である御上(おかみ)意識が厳然と生きずいている証である。そもそも総理大臣が行政改革を行う事など極めて当たり前の業務であり、それ以外の歴代無能総理は公僕としての義務・役割を完全に放棄しているに過ぎないのである。このような政治家の不作為によって、世界における日本の地位はあらゆる分野で凋落の一図を辿っている。コロナ感染が勢いを盛り返す中、困窮であえぐ多数の国民を尻目に巨額の国費を使い多数の人が集めて葬儀をするなど狂気の沙汰、テルテルご都合主義の最たるものである。どうしてもやりたければ政党交付金など使わず、自公議員が支給されている議員歳費(給与)から出し合って自公政権だけでやればよい話である。更に秋篠宮家等皇族にも葬儀への参列を求めるなど皇族の政治利用も甚だしい。明治維新や、その後の軍国主義政権が天皇の名前を悪用・乱用し、アジアへの侵略、太平洋戦争で多数の国民の生命・財産を失わせ、国家滅亡に導いたのと同じ道を歩み始めているような不気味な気配を感じる。

続いて日本学術会議が推薦した学者の任命をテルテルが拒否した問題である。同会議が推薦した会員候補105人のうち6人をテルテルが相手の了解も得ず一方的に任命から除外していたのである。
日本学術会議とは、日本の人文・社会科学、自然科学全分野の科学者の意見をまとめ、国内外に対して発信する日本の代表機関、「原子力平和利用三原則」と言った様な科学に関する重要事項を審議する科学者の組織で、政府への提言も重要な仕事である。
79年前(1941年)12月8日未明、日本はハワイ真珠湾の米軍基地を宣戦布告もせず奇襲攻撃を仕掛け、愚かで無責任な軍事官僚の妄想により勝算皆無の太平洋戦争に突入、滅亡への道をひた走って1945年国内外の多くの生命財産を焼失させ敗戦となった。戦後日本はその反省に立って「平和国家」の理念を掲げて来たが、その不戦を守り続ける防波堤の一つが「学問の自由」を保障する憲法23条である。憲法制定議会で担当相の金森徳次郎は戦前の苦い経験を踏まえ「研究者の活動に国家が干渉し妨げることが無いようにする」と条文の趣旨説明を行っている。その後幾多の最高裁判例により補完され、学問研究の自由・研究発表の自由・大学での教授の自由、更に大学の自治・自立及ぶとの見解が定着している。この様な背景のもとに日本学術会議法が制定されているが、その基本にあるのは政府から独立した機関で、独立した職務を行う。政府が「諮問」し、会議が「勧告」を行うと言う対等で独立した立場であることが法律上も明言されている。その独立性を担保するのが「人事の独立性」であり、会議法7条で学術会議会員は「会議の推薦に基づき内閣総理大臣が任命する」とし、25・26条では病気等での辞職、会員の不適当な行為による退職でも会議の同意が必要としており、人事権は完全に学術会議に委ねられている事になる。首相の任命は天皇が内閣総理大臣・最高裁判所長官の「形式的な任命権」を有するのと全く同じなのである。
更に学術会議は内閣の所轄機関であって一般省庁の様な統括機関ではないと言うのが重要なポイントである。
1983年会議法が改定され会員の公選制から推薦制に切り替わったが、当時の総理府想定問答集でも「内閣総理大臣は【所轄機関】である日本学術会議に対し如何なる権限を有するか」との問いに「内閣総理大臣は学術会議の職務に関し指揮監督権を持っていない」となって居り、その時の審議でも「会議の推薦に対し任命を拒否する事は無い」と内閣の国会答弁によって立法府の解釈が確定している。現政権が信奉する中曽根元首相も同様趣旨のことを国会で明言している。立法府で決めたことを行政府が解釈変更で変えることなど三権分立をないがしろにする物である。曽て安倍が自分は「立法府の長」であると国会答弁し中学生を唖然とさせたが、安倍同様法学部出身のテルテルも憲法のイロハを理解していない可能性が強い。
上記の通り解釈変更には国会審議が不可欠であるが、この6名除外の決定を国会審議も経ず、何の権限もない杉田官房副長官が決定しテルテルは除外されたリストを精査もせず決定したと言うのである。任命拒否問題が10月1日に表面化すると、テルテルは当初「任命権者として総合的、俯瞰的に判断した」と説得力ゼロ、馬鹿丸出しの説明をしたが、その後、「若手が少なく出身や大学に偏りが見られることを踏まえ、多様性を念頭に判断した」、この説明も破綻すると「推薦リストは見ていない」と変え、リストも見ずに判断出来るのかと詰め寄られ、最終的には杉田がリスト作成を行ったと白状している。何故このような杜撰な答弁を繰り返す羽目になったのか、理由は一目瞭然頭、頭の中が整理されていないのと、『任命を拒否した本当の理由』が公然と説明出来ないからである。しかし実際には任命拒否した6人は安全保障関連法や特定秘密保護法、普天間基地移設問題などで政府の方針に異論を唱えてきた人物であり且つその内3人は共産党に関係ある人物である。しかし同じような主張をした人は他にも多数いるところから、この6人は謂わば見せしめである。杉田の共産党嫌いは有名であり、政府に楯突くものはこうなるぞと言う国民に対する恫喝である。楯突く者は排除する、テルテルと杉田が長年タッグを組んで進めて来た陰湿なスタイルだ。
今回の問題の本質は、「なぜ学術会議の会員候補6人が任命されなかったのか」という点以外に、杉田官房副長官という内閣情報調査室長として辣腕を振るった秘密警察の親玉のような人物が諜報活動で集めた情報で官僚等を支配し、人事権を掌握していると言う実態である。戦前亡国の宰相・東條英機が憲兵を秘密警察のように使い、社会の公安維持、一般民衆の思想取締まり、思想弾圧、防諜を行って社会を震え上がらせたのと同じ構図である。公安部門出身の警察官僚が長期に亙って政権の中枢を牛耳る危険性は歴史が示すとおりである。自公政権という知性・教養のない無能集団が強権をもって異論を排斥し官僚・メデイアに加え、学術会議を御用会議に仕立て日本の知性集団を骨抜きにしようとする危険極まりない行動であると言える。異論に耳を傾けず何が何でも排斥しようとする「幼稚・子供っぽさ」は安倍・菅に共通する性癖であるが、国の指導者としては全く不向きである。現在、政府の御用会議となり果てたコロナ専門家会議がタイムリーな確固たる提言が出来ず、経済も医療も壊滅的な様相をてし始めている惨状からも独立性の重要性が伺える。
元滋賀県知事の嘉田由紀子参議院議員は自らの経験から「権力行使は隅々まで理解できている領域以外はそれぞれの分野の専門家の意見をよく聞いて禁欲的になるべき」と述べている。当に名言、日本は何時childishな指導者から解放されるのか。
政権が苦境に陥るといった雰囲気が漂い始めた途端、自民党内や「応援団」的マスコミ、著名人から一斉に学術会議そのものに問題がある、といった声が噴出したがその多くは不正確、「フェイク」に近い言説である。
「会員にならなくても学問は出来る」とか、学術会議が「軍事研究を否定した過去の声明を継承する」としたのは自由な研究の侵害だと言うような筋違い発言が多い。学術会議には強制力はないのである。これらは明らかに学術会議をおとしめることで、論点をずらそうという意図が丸見えである。今政府与党での検討化委員会では民営化論議迄叫ばれているが、安易な民営化は日本の科学技術の弱体に繋がることは目に見えている。
国立大学を法人化した結果予算配分を盾に大学の独立性が失われつつあることを忘れてはならない。
 世界的な科学雑誌『ネイチャー』が社説で書いているように、「政治と学問は切り離せない。政治的決定は研究者の活動に対して生殺与奪の権を握っているが、それだからこそ研究者の側にそれに抵抗できるだけの力と独立性がなければ、学問は簡単に政治に侵食されてしまう」し、アメリカで専門家の助言をトランプが受け入れなかった為にコロナで多数の患者・死者が出て国民に多数の犠牲者を出すと言う悲劇が生じていることを銘記すべきである。

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