追憶の彼方。

思いつくまま、思い出すままに、日々是好日。

動物奇譚 (2) 酔っ払い動物達…2

2024年09月19日 | 文化・文明

動物奇譚

(2) 酔っ払い動物達…2

人類の祖先が木の上で偶然(アルコール耐性遺伝子)を獲得したことによって、動物最強の酒豪になった。確かに欧米やアフリカ系民族には飲んですぐ顔が赤くなるような「酒に弱い体質」の人は殆どいないが日本や中国、韓国にはワインのコルクを嗅いだだけで、顔が赤くなる下戸も多数いる事も又事実である。何故地球のごく一部地域、極東の人達が突然酒に弱くなってしまったのか、その謎を解く有力な仮説を中国の人類学者が打ち立てた。

酒を飲むと、アルコールは肝臓で分解されて、悪酔いや頭痛、動悸の原因ともなる 「アセトアルデヒド」という物質に変わる。この物質は体の細胞を傷つけ、癌など病気のリスクを上昇させる危険な物質で、酒を時には「毒」にもしてしまうのであるが、肝臓で(アルデヒド脱水素酵素)により(酢酸)に分解され、血液によって全身を巡り水と二酸化炭素に分解され、汗や尿、呼気中に含まれて外へ排出されると言う経過を辿る。

中国の研究者は祖先の⾻に残る遺伝⼦の情報から「アセトアルデヒド分解遺伝⼦」を読み解き、凡そ6000年以上前、この分解遺伝⼦の働きが弱い祖先が突如中国に出現した事を突き止めた。調査を進めると「酒に弱い遺伝⼦」の広がり⽅のパターンが、アジアでの「稲作」の広まり⽅とよく似ていることに気付いたのである。 稲作は中国の⻑江流域で始まり、先ず北東部へ、次に東南部へ、その後東アジア⼀帯へと広がった。この稲作の分布と、「酒に弱い遺伝⼦」の分布を重ね合わせると、ほぼ⼀致したのである。一致理由には幾つかの有⼒仮説があるが、その中で尤もらしいと考えられているのが以下のシナリオである。 舞台は、6000年以上前の中国。稲作に適した⽔辺に 多くの⼈が集まって暮らし始めていたが、当時は衛⽣環境も悪く、⾷べ物に病気を引き起こし生命に関わる様な悪性微⽣物などが付着することが多かったが、そんな時、意外にも⽶から造っていた「酒」が役⽴ったと考えられる。アセトアルデヒド分解遺伝⼦の働きが弱い祖先が酒を飲むと、体内には分解できない猛毒のアセトアルデヒドが増えていく。しかし、その毒が悪い微⽣物を攻撃する薬にもなった可能性があるというのである。こうして、「酒に弱い遺伝⼦を持つ⼈の⽅が、感染症に打ち勝って⽣き延びやすかった」 というのが、有⼒な仮説の⼀つで日本の学者もこの仮説を推奨している。 つまり稲作地帯の人達は、酒がもたらす毒まで利⽤し病原菌から身を守ろうと、「酒に弱くなる道を選んだ」可能性があると言うのである。 この「酒に弱い遺伝⼦」が、3000年ぐらい前に稲作⽂化と共に朝鮮半島経由⽇本列島に渡来し、酒に強い縄文人に交じり込んで、今では⽇本⼈のおよそ4割が 「酒に弱い遺伝⼦タイプ」になったと考えられる。中国人の52%、韓国人の30%、も同様である。 以上から日本人の酒豪はインドアーリア系か縄文人の血を引く人間だとの説に結び付く。

 

酔っ払い動物達に話を戻そう。世界には鳥からゾウまで、自然から得る天然のアルコールで、日常的に酔っぱらっている野生動物がいる。

大きな冠羽や黒いアイマスクのような模様など、印象的な羽毛で知られる北米の鳥であるヒメレンジャクは、数カ月にわたって果実だけを食べるという珍しい特徴を持っている。果実はエネルギー源として優れているが、熟しすぎた果物やベリーは目に見えない脅威となる。 天然の酵母が熟した果実を発酵させ、糖の分子をエタノールと二酸化炭素に変える。果実が腐り始めていなければ、食べても安全だが、ヒメレンジャクを(酔っ払い)にしてしまう。酒豪ではない彼等は、酔っぱらうと、反射神経が鈍くなり、判断力が低下し、補食されたり、車や電信柱、窓ガラスにぶつかって大怪我をすることもあると言う点では、渋谷に屯する人間達と何等異なるところが無い。動画等からの最近の研究では、半野生動物やペットを含む55種の鳥がアルコールを飲んでいることがわかった。動画の多くは、オウムやカラスなどのいわゆる「賢い」鳥が人の飲み物を口にするというものだったが、彼等が酔っぱらったどうかは定かではない。

ヘラジカはアルコール耐性が弱く、地上に落ちて発酵した大好物のリンゴを食べては酔っ払って木にぶつかるなんてことが屡々ニュースになり、カナダのローカル紙やテレビを賑わすことになる。

アフリカ象も同様でマルラの木の発酵した果実を食べて酔っぱらったという報告は、一般的な文献や科学的な文献にもあふれている。ヘラジカやアフリカ象はアルコールを代謝しにくい遺伝子を持っており、巨大な体でも発酵した果実で酔うことを示している。勿論、彼等は快楽を求めているわけではなく、ただ空腹なだけであると報告は述べている。只ヘラジカ、ゾウ以外の酔っ払い動物の中には空腹を満たす為だけではなく、快楽を求めてと言うケースも考えられるという。

アフリカ部族の中にはマルラの木の実を重要な食料源にして居る人達がいるが、象以外にもアフリカ草原の草食動物はこの木の実が大好物で、時には争奪戦が勃発する。 マルラの木は密生せず草原等で18メートルにも達する高木で,実を自由に食べることが出来るのはヒヒやキリンに限られる。そこで頼りになるのが象達、彼等は時に草食動物を集め、大宴会を催す。この木の下でヘベレケに酔っぱらい、酩酊状態の(象、サイ、キリン、ダチョウ、ヒヒ、イノシシ、鳥達)の様子が観察されて居り、(African Animals Getting Drunk Off Ripe Marula Fruit)という動画で視聴可能である。

最後に北米の草原に住む(プレーリーハタネズミ)の話。

彼等は1日にワイン15本分に相当する量を飲むことも出来る程の酒豪であるが、げっ歯類としては珍しい一夫一婦制で、大のアルコール好き。其の為、人間と比較する上で興味深い研究対象となる事が多い。オスのひとり飲みは浮気心を助長し、時に夫婦関係を悪化する。そこでプレーリーハタネズミの出番となった。学術誌「Frontiers in Psychiatry」に発表された論文によると、彼等がアルコール摂取後、オスはパートナーと寄り添ってくつろぐか、或いは見ず知らずの別のメスと時間を過ごすかという選択肢を与えた。 その結果、オスだけが酒を飲んだ場合、パートナーと過ごした時間が短いことがわかったが、別のメスと時間を過ごすかは目下実験中である。オスとメスがどちらも酒を飲んだ場合はどちらも飲んでいない場合と同様仲睦まじく過ごしたとの結果が出ている。しかし別の理由による夫婦関係の悪化がオスの一人飲みを誘発したのかと言う問題は残っている。プレーリーハタネズミについては興味深い話が尽きない。

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動物奇譚 (2) 酔っ払い動物達…1

2024年09月16日 | 文化・文明

動物奇譚

(2) 酔っ払い動物ー1

Drunken monkey hypothesis(酩酊猿仮説)と言うのがある。凡そ1200万年前、アフリカの木の上で果実等を主食にして暮らしていた我々の祖先に地球規模の気候変動が襲い、大地が急速に乾燥化した為、食べ物は落下した果実に頼らざるを得なくなった。落ちた果実は完熟し、糖分が⾃然発酵して、アルコー ル分を含む食料に変化してしまっていた飢えから逃れ、生きる為にはアルコールの分解遺伝子の無かった彼等は、酔っ払って木から落ちたり、肉食動物に襲われたりしながらも アルコール分のある完熟果実を食べ続けた。そんな中、或時⼀部の祖先の体内で遺伝⼦に突然変異が起き、アルコール分解遺伝⼦が偶然強⼒になって、発酵した果実を⾷べても酔っ払うことなく、栄養を得ることが出来るようになった。幸運にも「酒になった果実」を⾷べられるようになった祖先だけが⽣延び、数を増やして、「地球上最強の呑み助」となったのが私達⼈類だという説である。同じ類人猿の(ゴリラ・チンパンジー)も同様だが、類人猿でもオランウータンの系統は、不幸な事に遺伝子配列が変わる前に枝分かれしてしまっていたので、アルコール耐性が無く下戸の儘である。

所が最近、類人猿以外にとんでもない呑み助が居る事が判明した。マレーシアのジャングルで過去5500万年の間、毎夜ビアパーテイーを開催し、宴会の間決して酔っぱらう事が無いというネズミ程の小型哺乳類(ハネオツパイ)、自然発酵されたヤシの(ビール)を好む常習的な呑み助である。ブルタムというヤシの一種は、数種の酵母種の力を借りて自然発酵した花のミツを作り出す。アルコール度数は3.8%程度で一般的なビールとほぼ同じである。ブルタムは一年中花を咲かせるため、この熱帯雨林のジャングル・バーは何時でも開店していて、常連客のハネオツパイは、ここで毎夜2時間ほど過ごし、ちびちびとミツを飲み、(おつまみ・あて)の類はとらず、(花の蜜=ビール)が主食だと言う。彼等のアルコール摂取量は通常の哺乳類にとって危険レベルであることが判明しているが、人間よりも効率的にアルコールを代謝しているらしく、酔っぱらうことがない。進化により、アルコールを摂取し続けても体内に毒素がたまらないよう、分解機能が格段に発達した為ではないかとも言われている。「この生態学的関係は何千万年もの間続いてきた安定的なものだから、そこには酩酊状態など存在しないのだろう。このような小さな動物が酩酊状態になったら捕食者に襲われる危険が増すだけだ」と研究した学者が指摘している。

尤も、人間にも酒だけを主食にするという似たような人種がいる。アフリカ・エチオピア南部、標⾼約2000メートルの ⼭岳地帯に住む⺠族「デラシャ」。 彼らが飲んでいるのは「パルショータ」という伝統の「酒」である。 パルショータは、モロコシという穀物をすりつぶして、壺の中で発酵させて造られる。アルコールの度数はビール程度で彼等はこれを1⽇に5リットルも飲む。しかも、その他に⾷事は殆どとらず、この酒こそが彼等の「主⾷」、子供もアルコール度数を抑えたものを⾷事として飲んでいる。 殆ど酒しか⼝にしないのに、 皆んな逞しく、健康体、パルショータは栄養価の高い成分が含まれている事が分っている。

次にコウモリも酒に強い事が最近の研究で判明した。酒に酔っても木にぶつかったり、墜落したりせず、問題なく飛べるというのである。中南米に生息する熱帯性コウモリは、常食とする発酵した果物や果汁に含まれるアルコール分に酔っても、呂律が回ら無くなるような事は無く、生まれつき備わった“音波探知装置”を使って(しらふ)の時と同じように飛べるという。人間でいえば、法定血中アルコール濃度を超えても車の運転に支障がないようなものだ。コウモリに酒類の主成分で酒酔いを引き起こすエタノールを与え、唾液を採取して血中アルコール濃度を測定した結果、中には濃度が0.3%を上回ったものもいた。ちなみに、0.08%以上ならばアメリカの50州すべてで飲酒運転の罪に問われ水準との事。 さらに、コウモリの種類によって血中アルコール濃度が異なることもわかった。これはアルコール耐性に幅があることを示している。「奈良漬だけで酔ってしまう下戸もいれば、ボトルを2~3本飲み干しても酔った様子を見せない酒豪もいる」のと同じである。 また、人間と同様にコウモリのアルコール耐性はアルコール摂取の頻度と量に一部左右される可能性がある。 イスラエルで過去に行われた実験では、アルコールを摂取した(エジプトルーセットオオコウモリ)は南北アメリカ大陸のコウモリよりも障害物に衝突する回数が多かったという。南北アメリカ大陸のコウモリがオオコウモリ科のコウモリよりアルコールに強いのは、日頃から発酵した食物をより多く摂取している事に由来するらしい。

殆どの動物はアルコール耐性が無い。其れにも拘わらず天然のアルコールで、日常的に酔っぱらっている野生動物達が多数居る。

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動物奇譚   蚊について……2

2024年09月06日 | 文化・文明

動物奇譚 蚊について……2

世界で最も多くの人命を奪い“人類最大の敵”とまで言われる「蚊」。マラリアやデング熱、ジカ熱、日本脳炎、西ナイル熱、黄熱、原虫疾患であるマラリアなどなど、聞くだけでも恐ろしい感染症が主として蚊によって伝染し、其の死者が世界で年間72万人以上にも上ると言われている。

そんな中、世界では驚くような“蚊対策”が始まっている。ブラジルではデング熱の患者が増え続け、2024年だけで100万人を超えるブラジル人が罹患、しかもこのウイルスの4つの型すべてが同時流行し、4つの型の免疫を持っている人は殆どいない為、病院が対応しきれず対策に忙殺されている。 対策のひとつは、或る細菌を蚊に感染させることにより、蚊の免疫反応を高め、デング熱や他のウイルスの体内での増殖を抑えるというもの。この細菌に感染させた蚊を昆虫飼育場で繁殖させ、各地域に放出する。この蚊は野生の蚊と交尾するが、野生のメスが産む卵は孵化しなくなる。他にも、英国の企業が遺伝子組み換えした蚊の卵を提供している。孵化する蚊はすべてオスで、刺さないし、交尾してもメスの子孫は生き残れず、個体数が減少するというものである。一方日本の武田薬品は蚊を撲滅するのではなく、人間に高い免疫力を高め発症を食い止める新しい日本製ワクチンの提供を始めている。

他方、日本の花王は、蚊の足を詳細に研究した結果、化粧品やシャンプーなど様々な日用品で使われている液体「低粘度シリコーンオイル」を皮膚に塗ることで蚊が皮膚に止まれなくなるのを突き止めた。実際に、このオイルを使って実験すると、表面に接触した蚊はわずか0.04秒で吸血の体勢をとれないまま飛び去ることが分かり、試行錯誤の結果たどり着いたオリジナルのオイルは、すでにタイで商品化され、人々を蚊から守っている。

人間には嫌われ者の蚊も他の生物にとっては大変な御馳走でもある。蜘蛛や蟻、蛙、トカゲ,コウモリ等にとっては食卓を賑わし食生活を豊かにする無くてはならぬ副菜でもある。実際中米の一部で両生類の病気が発生したときに、マラリア患者が急増したことが突き止められた。又他の研究では、1時間に1000匹もの蚊を食べるコウモリもいることが明らかにされている。蚊だけを捕食して生きている蚊もいる。日本にも生息するオオカ、その幼虫は、木の窪みのような水の溜まった場所に生息し、他種の小さな蚊の幼虫を食べまくり、人間や動物には興味を示さない有難い存在である。

生態系学者から見れば違った世界が見えて来る。蚊は多くの生物の餌になり、更に蚊が血を吸うことで、その個体にストレスを与えたり、感染症を媒介したりして、ある特定の種が増え過ぎないように動物の数をコントロールする役割も果たしていて、生態系のバランスをとるという意味では、非常に重要な存在である。昆虫を駆除してしまうとそのバランスを崩し、周り廻って自らに跳ね返ってくる恐れがある事に留意して行動することが必要と言われている。

厄介者だからこそ、蚊は色んな角度から生態等の研究が行われ、其の成果として暮らしに役立つ技術に応用しようという試みも進んでいる。蚊の針をヒントに関西大学・ロボット・マイクロシステム研究室が進める「痛くない注射針の開発」である。蚊の針の細さは、一般的な採血用の針の10分の1、わずか0.05 mm程、その針を回転させながら皮膚を刺す事によって、刺した直後は何も感じないという仕組みを解明できたので、医療現場で活用しようというものである。

更に千葉大学で蚊の驚くべき飛行技術をドローンに応用しようという研究も進められている。蚊が暗闇でも壁とか床にぶつからないように飛べるのは羽で起こした空気の振動を自らのセンサーでキャッチして障害物を把握している事を解明した。この研究を応用したドローンの開発は、海外ですでに始まっていて蚊の気流感知システムを組み込んだドローンは、自ら起こした気流を感知し、気流が乱れると赤く光って障害物を認知、回避することが出来るというものである。尚蚊の羽ばたきは1秒間に600〜800回と、同程度のサイズの昆虫と比較しても、非常に高速で、その反射を感知するセンサーの感度は驚くべきものであると言われている。恐るべし蚊の先端技術!!。

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動物奇譚 (1) 蚊について

2024年09月04日 | 文化・文明

動物奇譚

(1) 蚊について

8月18日「天声人語」に(蚊)にまつわる記事が載った。漱石の弟子物理学者の寺田寅彦がエッセーの中で、「蚊帳の中は暑苦しい、しかし蚊に責められるのはそれ以上に嫌いだから仕方なしに毎晩いやな蚊帳にもぐり込んで我慢して居る」 と不満を漏らしている。しかし何時の頃からか、クーラーの普及と生活様式の変化で蚊帳が姿を消し、蚊に悩まされる事がとんと減った。しかし防御の無い屋外の動物はどうしているのだろう。蚊や虻(あぶ)、蚋(ぶゆ)などの虫よけに、尻尾という道具を備えてはいても、それだけであの猛攻は防ぎきれないだろう。

所が、山形県の置賜(おきたま)総合支庁が先ごろ、愉快な実験結果を発表した。放牧している黒い和牛をシマウマのような柄に塗ったところ、尻尾や頭を振って虫を追い払うしぐさが激減したそうだ。愛知県の技術開発を参考に「半信半疑でやってみたら、本当に虫が来なくて」、生産者も驚いたという。愛知県のホームページを調べたところ、「黒毛和牛をゼブラ模様に塗った「シマウシ」は吸血昆虫の飛来が減少、吸血昆虫対策技術の開発」と言う誇らしげな技術開発報告が掲載されている。曰く、「アブやサシバエなどの吸血昆虫は、ウシにストレスを与えるとともに、牛白血病などの病気を媒介するので、通常は薬剤で吸血昆虫を殺虫するが、今回薬剤に代わる新たな吸血昆虫対策技術を検証し、本成果は、米国の科学誌PLOS ONEに2019年10月4日に掲載された。」

(シマ牛の写真)

この記事を読んで真っ先に頭に浮かんだのは、尻尾を振らなくなった牛の「オックス・テールの美味しさは大丈夫か?」と言う点だった。尻尾は牛肉の中で1番動かす部位で、旨味がギュッと凝縮され、 こってりとした味わいと、しっかりとした肉質で、食べごたえ満点。特に和牛のテールは通常の牛テールよりも旨味と甘味、コクが凝縮されていると言われている。そう言えば、イギリスやアメリカの「オックステールスープ」や焼肉店などにある(テールスープ)を思い浮かべる事が多いが、しかし諸外国、特にイタリアではスープ以外の料理として食べられる事も多い。例えばローマ名物の「コーダ・アッラ・ヴァッチナーラCoda alla vaccinara」と言う名の下町庶民の家庭の煮込み料理がローマの伝統料理に昇格し今日に至っている。イタリアでは経験出来なかったが、ブラジルでイタリー人移民の手でハバーダ(Rabada)と言う有名料理として根付くことになり、サンパウロ出張時にその美味を経験する事が出来た。日本のCookpad レシピでも紹介されている。

(シマウシ)に話を戻すと、縞馬のシマの機能が明らかになったという研究論文が基になって実験が始まったと考えられる。論文は何故(シマウマ)は(シマシマ)なのか? 従来言われて来た4つの仮説に対して反論する事から出発した。

仮説1. 後ろの風景に縞模様が溶け込み、捕食者に見つかりにくい(最も有力だった仮説)。反論…他の縞をもった偶蹄類は、森林に住んでいるが、シマウマを含む馬の仲間は、開けた草原にいることが多く、縞によって紛れられるような環境にいることは少ない。

仮説2. 体温を下げるのに役立つ。縞の白と黒の部分で温度差ができ、空気が流れることで体温が下がるという仮説。 反論…同様の気温や日射のある場所に、シマウマも縞のないウマの仲間もおり、特別にシマウマが暑さに耐性があるとは考えにくい。

仮説3. 捕食者が獲物のサイズや逃げるスピードを間違える。これは、シマウマの縞模様のおかげで、捕食者がシマウマが走っている速さやシマウマのサイズを見誤り、シマウマを捕らえるのを失敗しやすくなるという説。 反論…シマウマの主たる捕食者はライオンだが、ライオンは縞馬狩りには群で行い、成功率も高いので余り役立っていないことが推察される。

仮説4. 群れの中で個々を見分けるのに使っている。反論…縞のないウマの仲間も、シマウマと同様の群れを形成しており、ウマが視覚、聴覚、嗅覚を使って、他個体を認識していると仮定するなら、縞が他個体を識別するのに差ほど重要とは考えにくい。

そんな中、新たに有力な説が唱えられた。縞が吸血性のハエの仲間に血を吸われないようにするのに役立っているのではないかという説です。吸血性のハエが、シマシマ模様の上にとまることが少ないという結果は、複数の論文で報告されていて、その理由は(体の輪郭がわかりにくくなる)、(背景とのコントラストが小さくなる)等により縞模様に近づかないという可能性が挙げられているのである。

蚊に戻ろう!。蚊は海外を含めると凡そ3500種類、日本には100種類ぐらいで、夜に刺すアカイエカ、昼に刺すヒトスジシマカ、北海道や東北で多いヤマトヤブカ、ビルの地下などにいるチカイエカ、汚い水たまりで発生するオオクロヤブカが有名。温度、二酸化炭素、水分という3つの要素に惹かれて近づくので、体温の高い人、活発な人、汗かきな人が刺され易い。但し汗をかきすぎると体温が下がるのであまり刺されないらしい。その他、水々しい肌の人、色黒な人、体脂肪の高い人が好かれ、血液型はO、B、AB、Aの順に刺されやすいという実験結果がある。酒を飲むと体温が上がり、二酸化炭素放出が増え、注意力散漫になるので格好の餌食となる。

しかし蚊の主食は花の蜜や樹液で、糖分さえあれば生きていける。事実、蚊に砂糖水をガバガバ飲ませて「蚊にウイルスに対抗する免疫力」を強化させ、感染症の媒介を防ごうとの研究も行われている。蚊が血液を吸う時、「プハ―、美味い、切れがあって,コクもある」なんて言っている訳ではない。 交尾したメスの蚊が卵を育てるために、良質なタンパク源である血を栄養リッチなサプリメントとして吸血している、謂わば次世代の為の生存戦略なのである。尻尾に叩き潰されたり、動物の背中で待ち受ける鳥達に食べられる危険を冒してでも必死で血を求める、血を充分吸えたかどうかで産卵数に大きな差が出るからである。吸血すると200個前後産卵するが、しないと4~50個に止まると言われている。オスや処女の蚊は血を吸わないのは勿論のことである。

動物奇譚 (1) 蚊について……2

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グリニッチセンター世界地図の勧め(7)最終―2

2024年01月24日 | 文化・文明

グリニッチセンター世界地図の勧め(7)最終―2 控え書き 

「ヨーロッパはピレネーで終わる」「アフリカはピレネーで始まる」。中世、隣国フランスがイベリア半島を蔑み、或いは異国趣味で語る時の言葉である。イベリア半島は、総じてピレネー山脈に繋がる山岳地の地形が多く、一部北部の「青いスペイン」と呼ばれる地域以外は乾燥した厳しい自然環境の中に有り、世界最大のコルクの産地、柑橘類の世界有数の輸出国としては有名だが後は世界に誇れるものは痩せた山岳地帯に放牧されたイベリコ豚程度であった。この貧しい環境がレコンキスタでイスラム勢力を半島から追い出すのに成功した高揚の中で、否応なしに胡椒や金銀抱負と噂される東洋への膨張を駆り立てた。ヨーロッパ諸国が地中海周辺にかまけている隙をついて、地の利を生かし海外に打って出たポルトガル・スペインは大航海時代をリードし海洋帝国としての地位を得た。

しかしその目的達成に至る両国の行動様式は大きく異なるものであった。スペインは武力により植民地を作り、その土地から富を収奪する事を主目的とし、宗教はその手段として利用する面が強かったが、ポルトガルは植民地主義はとらず、貿易の拠点造りとキリスト教の布教が主目的であった。この様な行動パターンを考える時、コロンブスがアメリカに辿り着き、スペインがその植民地化に没頭したことは、南米を徹底的に疲弊させ、その後遺症を今に至るまで引きずることになってしまった反面、日本(ジパング)にとっては不幸中の幸いであった。

日本に初めて西洋文明をもたらしたのはポルトガルであった。1543年、3人のポルトガル人の種子島漂着、49年のF・ザビエルの鹿児島上陸である。43825日、3人のポルトガル人を乗せ、マカオからシャム(タイ)に向っていた中国のジャンク船が台風の影響を受け種子島南端の門倉岬に漂着した。日本の西洋との最初の出会となった記念すべき日である。時の島主・種子島時尭は3人のポルトガル人が所有していた火器に興味を示し、金2,000両の大金で2挺を譲り受けた。これが世に言う「鉄砲伝来」であり、「南蛮貿易」の契機となった。日本からは銀・金・刀剣などが輸出され、ポルトガルからは鉄砲・火薬・中国の生糸などと共に西洋の日用品や食べ物等の文物、言葉がもたらされた。食べ物…パン、ビスケット、カステラ、コロッケ、金平糖、バッテラ(大阪の鯖の押し寿司)】【日用品等…コップ、たばこ、シャボン,かるた、ジョゥロ、ビードロ(硝子…製造法は中国から移入)、マント】。柔軟な頭の持ち主だった織田信長は西洋文化に敏感で、地球が球体であることも即座に理解し、バナナやカステラ、金平糖を好んで食し、宣教師が連れて来た奴隷の黒人を気に入って「弥助」と名付け側近に取立て,本能寺の変まで忠誠をつくしたと伝わっている。又南蛮風の鎧兜だけではなく、西洋の帽子やマントも取り入れた。特に有名なのは信長が上杉謙信に贈った下記のマントで山形・上杉神社に保蔵されている。

種子島時尭は買い入れた銃と火薬の使い方を習わせ、職人に命じて模倣したものを造らせて(種子島銃)製造に成功、大名や将軍に献上した。又1挺を平安時代から鋳物産業が栄えた大阪の堺に送り、鉄砲製造に火が付いて各地に高い技術力を誇る鉄砲鍛冶がうまれた。戦国時代、日本では銃の瞬発力や火薬の爆発力は共にヨーロッパ製のものより高性能のものが用いられていたと言われている。ポルトガル人がもたらした2挺の銃が戦国時代の戦術に革命的変革をもたらし、織田信長による「天下統一」を促進することになった。

種子島漂着から6年後の1549年8月、日本人・ヤジローに導かれ鹿児島に上陸したのがフランシスコ・ザビエルである。ザビエルはフランス留学中、モンマルトル聖堂で「生涯を神に捧げる」と誓った7人の仲間と世界宣教を目的とする「イエズス会」を創設、この考えに賛同したポルトガル王・ジョアン3世の依頼でインド・ゴアに赴任、インド各地・モルッカ諸島で宣教を続け、洗礼を受けた鹿児島出身の武士・ヤジロー(安二郎)に出会って、日本行きを勧められたのである。

ザビエルは1549年9月には、薩摩国の守護大名・島津貴久に謁見、宣教の許可を得、更に日本全国の許可を得るべく京都で天皇や征夷大将軍へ謁見を試みたが失敗した. しかし山口で守護大名・大内義隆との謁見に成功し、天皇に贈呈しようと用意していたインド総督とゴア司教の親書の他、珍しい献上品(望遠鏡、洋琴、置時計、ギヤマンの水差し、鏡、メガネ、書籍、絵画、小銃等)を提供し、これらの品々に喜んだ義隆はザビエルに宣教を許可し、信仰の自由を認め、更に当時既に廃寺となっていたのをザビエル一行の住居兼教会として与えた。これが日本最初の常設の教会堂となった。ザビエルはこの廃寺で一日に二度の説教を行い、約2ヵ月間の宣教で獲得した信徒数は約500人にものぼったと伝わっている。しかし言葉の壁と通訳のヤジロウのキリスト教知識の無さもあって布教は困難を極めた。2年経過後、日本での宣教は他の宣教師に任せ中国での宣教の為ゴアに帰国したが、こちらも思うように進まず、1552年の暮れ失意の中で死去した。

1569年、ザビエルの後を継いだ宣教師のルイス・フロイスが信長の居城・岐阜城を訪問し、京都での布教が認められる様、信長に助力を求めた。信長は彼等の訪問を大いに歓迎し、京都における布教を認めキリスト教を保護し続けた。信長は教会堂(南蛮寺)の建築許可、安土城下における教会とセミナリヨ(神学校)の建築許可、巡察使の接見等、キリスト教の布教に大いに貢献した。

(日本のザビエルゆかりの聖堂は、カトリック神田教会(千代田区)、関町教会(練馬区)、山口サビエル記念聖堂および鹿児島カテドラルザビエル教会には、ザビエルの遺骨が安置されている。)

豊臣秀吉は信長の政策を継承しキリスト教布教を容認、1586年5月大阪城内でイエズス会に布教の許可証を発給している。しかし、肥前の大村純忠がキリシタン大名となり長崎をイエズス会に寄贈する等植民地化の様相を呈し始めた事、長崎がイエズス会領となり要塞化され、長崎の港からキリスト教信者以外の者が奴隷として連れ去られている等の噂を仏教界から耳にし、1587年にはバテレン(宣教師等関係者)追放令を出した。秀吉の究極の狙いはポルトガル人を介さない通商路の開拓に有ったのである。

秀吉の跡を継いだ家康もキリスト教への締め付けと貿易継続の間で揺れ動いた。1600年オランダ船が備後(広島)に漂着、その後平戸に商館を設立ポルトガルの貿易独占体制に風穴を開け、イギリス、中国も進出、競争は熾烈となった。1612年、幕府は幕府直轄地に禁教令を出し、カトリック信者であるポルトガルの宣教師やキリシタン大名らを国外追放した。 1637年島原、天草地域で、島原の乱が勃発した。キリシタン大名有馬晴信が国替えとなり、後任の大名が江戸城改築普請役を受けたり、島原城を新築したりで年貢の加重取り立てや、厳しいキリシタン弾圧を開始した為、百姓を主体とする武力闘争に発展した。徳川幕府はオランダ海軍に援軍要請し、双方大きな犠牲の下に一揆は鎮圧したが、これを契機にポルトガルとの関係を断絶しオランダ人以外も追放して鎖国体制を確立した。又全住民を地元の寺院に登録させキリスト教禁教令を強化、日本のキリスト教徒は地下に潜伏することになった。隠れキリシタンの発生である。

主役はポルトガルからオランダに替わった。1609年オランダ東インド会社が長崎のオランダ平戸商館を通じた国際貿易を幕府から許可を得ていたが、布教しない事を条件とされていたプロテスタントのオランダ人は島原の乱の功績により国際貿易を独占することになった。8代将軍徳川吉宗は、殖産興業、国産化奨励の方針から海外の物産に関心を示し、オランダ船で西洋馬を輸入し洋式馬術、馬医学を学ばせた。又1720年(禁書令)を緩和してキリスト教に関係のない書物の輸入を認め、青木昆陽等にオランダ語を学ばせるなど、海外知識の導入を積極的に行った。青木は「和蘭文訳」「和蘭文字略考」といったオランダ語の辞書や入門書を残し、前野良沢等の「解体新書」や杉田玄白「蘭学事始」に繋がった。洋学は蛮学(南蛮学)から蘭学へ移行したのである。

19世紀前半には長崎や江戸以外の地でも私塾や大名家で蘭学やオランダ語学習が行われるようになった。江戸の芝蘭堂、 長崎の鳴滝塾、大阪の適斎塾等有名塾では塾生が数千人にも達した。緒方洪庵が開設していた大坂の適塾では、大村益次郎福沢諭吉等を輩出している。1823年ドイツから医師シーボルトが来日し長崎の郊外に私塾を開き、高野長英等の医師門下生を育てたが、一時帰国時、持ち出し禁止の日本地図が露見し再入国禁止、関係者の大量処分と言うシーボルト事件に発展した。そうした中で1844年、オランダ国王の使節が軍船で長崎に来訪し、江戸幕府に「貴国の福祉を増進せんことを勧告する」と言う内容の親書を手渡したが、これが神経質になっていた幕府に開国圧力と捉えられ1849年、蘭書翻訳取締令が出される事になった

幕末1853年、アメリカの黒船来航に端を発し、開国を余儀なくされ、それに伴い、英語、フランス語、ドイツ語による新たな学問が流入するようになり明治維新へと繋がって行った。

 

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