追憶の彼方。

思いつくまま、思い出すままに、日々是好日。

観光立国

2017年08月29日 | 政治・経済
平成18年観光立国推進基本法が制定され、その効果が出て来たのか何処へ行っても外国人観光客が目に付くようになった。
政府はこの動きを更に加速させるため、平成29年度からスタートする新たな「観光立国推進基本計画」を閣議決定した。
計画期間は東京オリンピック・パラリンピックが開催される2020年(平成32年)までとし目標数値を下記の通りかかげている。
① 訪日外国人旅行者数:4,000万人 (平成27年実績値:1,974万人) 
② 訪日外国人旅行消費額:8兆円 (平成27年実績値:3.5兆円)
③ 訪日外国人旅行者の地方部における延べ宿泊者数:7,000万人泊(平成27年実績値:2,514万人泊)

それでは世界はどうなっているか、2016年の旅行者数だけを見ると①位ーフランス(8260万人)、②-アメリカ(7560万人)③-スペイン(7556万人) ④-中国(5927万人)⑤-イタリー(5237万人)⑥-トルコ ⑦-イギリス ⑧-ドイツ ⑨-メキシコ ⑩-タイ(3255万人) ……⑭-ギリシャ ⑯位ー日本(2400万人) ⑰-カナダの順である。
フランス、スペイン、イタリーは優れた観光地が多いが、加えて北米、南米への移民の殆どがこれらのヨーロッパ各国出身であり、少なくとも一生に一度は、或いは成功者は定期的に親類縁者を訪ねて出身国を訪問したいと言う願望を抱いている。(南米に転勤した際ドイツ人とイターリ―人の家に下宿した経験があるがどちらの家族もお金を貯めてドイツ、イタリーの縁者を訪ねたいと漏らしていた。)
中国も同様で海外に2000万人近い華僑がおり旧正月には中国に帰りたいと言う願望が非常に強いと聞く。ランク上位国にはこの様なベーシックな旅行者が下支えしているように思われる。

日本が観光立国宣言したのと同様観光産業育成が世界的な潮流となっている。その背景には経済のグローバル化に伴いアジアを中心に各国の所得水準が上昇し、それによって生じた経済的なゆとりが観光支出に向き始めた為、これを取り込むことによって観光と言うソフト産業を活性化し農林・水産・鉱工業と言ったハード産業への偏りを是正し景気の振れを小さく出来ると言うメリットが有る上、成長率の鈍化・低迷の傾向に歯止めをかける事が出来ると言う利点もある。日本のように観光資源の豊富な国とっては雇用の拡大や地域振興、外貨獲得、国際親善、国威発揚等々得られるメリットは極めて大きい。事実一時経済危機が叫ばれた古代遺跡の国ギリシャや氷と火山の国アイスランドも観光客が大幅に増加し経済は持ち直して来ていると報じられている。

然し乍ら大都会や京都や富士山と言った有名観光地には外国人が溢れかえり、今でさえ日本人の居場所がなくなりつつある現状、オリンピック開催の頃には一体どうなることやらと危惧される。
つい先日テロで多くの死者が出たバルセロナには町中に「観光客は帰れ!」の落書きが目立ったと報じられている。テロも効果の大きさを狙って今後益々観光客の多い場所を狙ってくることが十分予想される。
アイスランドでも2010年観光客数が年間50万人だったものが2016年には230万人に増加、34万人に過ぎない人口の国に外国人観光客が溢れかえり、風光明媚な観光資源の破壊も目に付き観光客に対する国民の感情も悪化、政府も観光部門への大幅増税を検討していると報じられている。然し漁業とアルミ精錬産業が中心だった同国が観光産業で生き返ったのは事実である。

イタリアのカプリ島では5分間隔で押し寄せる観光客(多くは低予算ツアーの日帰り客)が町の中心部に向かうケーブルカーに乗り込む為一時間も行列に並ぶ、お陰で島民は足を奪われ大迷惑を被っているという(同じことは最近京都の市バスで発生しているとの報道あり)。
静かで神秘的な島の魅力が群衆によって損なわれていることを危惧した町長がフェリーの運航を20分間隔にするよう対岸の町長に申し入れたが島の町長の従兄弟に当たる町長は島が魅惑的であることも重要だがホテルやレストラン、ショップを客で満たすことも必要だとして拒否していると言う。
最近観光客がトレビの泉を全裸で泳いだり、ベネチアのリアルト橋から飛び込んだりする事件が相次ぎ旅行者殺到を食い止めたいと検討を始めたらしい。何しろイタリアを訪れる観光客は2016年には5200万人に達し2000年から30%近く増えたと言われている。
地中海に面する海岸に沿って小さな漁村が集まるチンクエッテレには昨年250万人が押し寄せた。住民の実に500倍に相当する。地元当局は今春5か所を繋ぐ風光明媚な散歩ルートに入場制限を設ける案が反対を押し切って実行された。
水の都ベネチアは米セントラルパークの5倍ほどの広さに過ぎないのに年間1500万人の日帰り観光客が押し寄せ、市民や一部の政治家から観光客制限の声が強まっているとの事。

最早、新宿御苑や京都嵐山で静かに観桜を楽しみ京都の古刹巡りで和むと言ったゆとりは過去の夢と消え去ることになるのだろう。

中国人のマナーの悪さは世界各地で経験してきたので左程驚かないが、慣れない日本人との間でトラブルが起きないか危惧される。
観光当局には世界各国のトラブルを検証し事前に対策を講じておくことが必要だろう。

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西暦か和暦か…(4)

2017年08月24日 | 文化・文明
元号を使うのはそれほど不便なのか、、折角慣れ親しんだ元号、貴重な文化財という側面もあり、これをばっさり切捨てるのは聊か惜しいと言う意見があった。


物事をクリアーにする為に元号だけを使用する事によるデメリットはどんな点があるのか整理すると下記のようになる。
(1) 先ず歴史認識に大きな難点がある。
例えば明治37年日露戦争勃発と言われても今から何年前の事かすぐには判然としない。1904年の事と明記され、記憶して居れば113年前と簡単に計算ができる。又戦国時代の初頭鎌倉大地震が発生したと言うより1495年と表記・記憶して居れば、その頃コロンブスが新大陸を発見し大航海時代が幕を開けた、世界はグローバル社会に踏み出したなどと日本と外国の時代の比較も容易となり歴史が俄然面白くなる。
(2)元号は改元の度にリセットし、一からスタートする為、暦の連続性がなくなり歴史、統計、年齢等の処理に余分な手数を要し、それが錯誤の原因になる。元号を使った資料は西暦に直さなければ対外比較の対象になりえない。しかも改元が短期に行われるとフォローが煩雑でほぼ不可能になる。欠陥商品の最たるものでは無かろうか。
更に元号は社会に混乱を生じさせている。
例えば企業は役所や証券取引所に提出する書類は元号表示、一般向けの書類西暦表示が普通である。このためアナリスト向け決算説明会等での配布資料は証券取引所に提出した(決算短信)は元号表示、その他の作成資料は西暦表示となっている。忙しい総会時期に経理担当者の苦労は計り知れない。しかもこの苦労は少しは付加価値を生むとか、生産性をを高めるといった類いのものでは無い。それを利用する側にも混乱を生じさせ正確な理解を妨げる要因となっている。
更に混乱を引き起こすものに予算や計画を表示する際に(15年度)という事が良くある。これは「平成15年度」なのか「2015年度」なのか咄嗟に判断できないことがある。
IT化のコストアップも膨大で対外的コスト競争力低下の大きな要因にもなる。
情報はた易く理解され、利用されてこそ価値を生む。役所は資料を作成する際、利用者の利便性を考えると言う発想が全く欠落している。
何処かの役所の経済見通しに平成58年度というのがあったが平成は間もなく終了するのではないだろうか。
平成が終わり元号が変わると平成を新しい元号に置き換える仕事が発生する。コンピューターへの再インプット、手書き資料の書き換え、その間にミスも発生する、全く不必要・無駄な作業だが数え上げたらきりがない。役人は酷税から高い報酬をとっているのだが何も考えず、仕事ではなく作業をこなしているに過ぎないという事が垣間見える。税金の無駄遣い真に甚だしいと言わざるを得ない。
ネットで調べてみると意外な事に弁護士さんが元号維持派が多いことが分かった。
その意見の中に「西暦はキリスト教の暦なので政教分離の原則に照らし公用文の使用は控えるべき」というのがあった。西暦を使うときにキリストを思い浮かべる人など皆無だろう、何とも硬直的、頓珍漢な意見で開いた口が塞がらない。「日本の歴史・文化に根差しており元号は変更すべきではない」という意見が多く弁護士17人中西暦表示賛成ー4人、和暦ー7人、どちらでもないー6人であった。
元号は元号法によってその存在が定義されており法的根拠があるが、その使用に関しては基本的に各々の自由で、私文書などで使用しなくても罰則などはない。一方で、西暦には元号法のような法律による何かしらの規定は存在しない。なお、元号法制定にかかる国会審議で「元号法は、その使用を国民に義務付けるものではない。」との政府答弁があり、法制定後、多くの役所で国民に元号の使用を強制しないよう注意を喚起する通達が出されている。
しかし1979年の元号法案審議で内閣法制局の真田秀夫長官が「上司が元号で公文書を作れと職務上の命令を出せば、それに従わなければならない。従わなければ懲戒という事も理論上ありうる」と答弁していたが、後に現実となった。1987年1月、広島県教育委員会が県立学校について、卒業証書を含めた公文書の年表表示を元号にするよう学則の施行細則などを改正、各校に実施を指示したが、同年3月の卒業式では54校が西暦で書いた卒業証書を出したため、各校の校長が文書訓告処分を受けたのである。本件は訴訟となったが校長側が敗訴した。
「国旗・国歌法」に関して、不起立を職務命令違反として処分する事が合憲と見なされているのと同様の事態がすでに生じていたのである。
愚かな安倍政権が目指す憲法改正には公文書の元号表記を義務付ける条文が付け加えられる恐れが多分にある。そうなれば国家総動員の無駄遣いの始まりである。



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西暦か和暦か…(3)

2017年08月22日 | 文化・文明
天皇陛下の意向を無視して一代限りの生前退位を取り決めた特例法が成立し今後の焦点は退位日と新元号制定に移った。
和暦(元号)については日本でしか通用しない固有の制度であり国際化・グローバル化の進展に伴い世界に通用する西暦に一本化すべきではないだろうか。
2017年5月のNHK世論調査では西暦より元号を使うべきとした人は29%(1992年比17%減)、そう思わない64%(同16%増)と言う数字を報じるブログ記事があるが真偽は定かではない。
一方2017年7月の朝日新聞世論調査では元号制度を維持すべき75%、否15%、新元号を始める時期、一月一日70%となっていて国民感情から此方の方が信憑性が高い様な気がする。
昭和初頭大日本帝国論華やかなりしころ植民地・軍備の放棄を唱え言論の自由を主張し、戦後総理総裁となった稀有の政治家、石橋湛山氏は元号廃止と西暦使用が合理的であると主張したが、東大名誉教授で歴史学者の坂本太郎氏が「元号使用は独立国の象徴である」等々全く根拠薄弱な持論で熱弁を振るい有耶無耶になってしまった。
(「天皇は祈っているだけで良い」と言い放った平川祐弘東大名誉教授といい文科系の東大名誉教授と名の付く人にはなんと硬直的,お気楽な頭の持ち主が揃っているのだろうか。)
又仏文学者の桑原武夫は同様元号廃止を唱え「人間としての天皇の一生に私達国民の……あらゆる生活の基準を置くと言うのは象徴にふさわしくない」…天声人語引用…と述べている。

こうした、元号表示廃止論を述べると、決まって出てくる反論が、「元号は日本文化、味わいのある時代区分だ。このような日本古来の文化は尊重されるべき」という如何にも文化人的な主張だ。美しい日本、愛国という様などこか胡散臭い発言と共通するものを感じる。
ちょん髷を断髪にし和服を洋服に着換えても日本人であることに変わりはない。時代のニーズで文化が廃れ・変質するのはごく自然な流れ、そこに発展や進歩の可能性が存在する。
柔道や和食、盆栽等々優れた日本文化は少しずつ変質しながらも放っておいても生き残る。
文化や伝統の移り変わりに不寛容なのは保守主義ではなく単純な右翼の発想で美徳でも何でもない。不合理・不便な元号使用は公的機関が率先して中止すべきである。

元号が始まったのは、中国・前漢の時代、武帝が統治の初年にさかのぼって元号を立てた。これは天帝の子たる皇帝(天子)が空間だけでなく時間(暦)をも支配するという思想の表れで、中国帝国のほか、中国との間で「宗主国」と「朝貢国」の関係とされた朝鮮、日本などでも真似してきたものだ。
現在、世界で元号を使用している国は日本だけで、本家の中国でも清朝の「宣統」を最後に消滅してしまった。
日本が国民主権となって70年、天皇が代替わりしたら元号も変えると言う明治時代の遺物の様な制度は、あたかも今尚天皇が国家を統治していると言う誤解を招きかねない。
この様な利便性にとってマイナス、コストも掛かる時代錯誤も甚だしい制度は一刻も早く廃止すべきだと思う。これを廃止すれば公務員の大幅削減に繋がるのではないだろうか。国家総動員による無駄遣いではないだろうか。

元号に関する規定は大日本帝国憲法下の旧皇室典範12条に定められていたが現憲法下の新たな皇室典範ではその条文が削除され根拠が亡くなった。
しかし新憲法下でも国会、政府、裁判所の公的文書、民間では新聞等で慣例的に元号が使用されていたと言う背景や自民党を支持する右翼系団体への配慮もあったのか、1979年(昭和54年)6月元号法が新たに成立した。

法律内容は; 第1項:元号は、政令で定める。 第2項:元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める(一世一元の制)。2項だけの日本で条文が最も短い法律である。
しかし元号の使用を国民に義務付ける規定はなく使用するか否かは組織・個人の判断に委ねられている。


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西暦か和暦か…(2)

2017年08月18日 | 文化・文明
古来天皇は基本的に親政を行わないのが伝統であり、権威のある存在ではあったが権力者であることは殆ど無かった。「君臨すれども統治せず」、イギリス流の君主と何ら変わることはなく、謂わば象徴的な存在であったとと言って良い。そういう意味では象徴天皇は占領軍が押し付けたものでは無く、新憲法ではそのまま日本の伝統を生かし、その位置づけを明確にした上で象徴天皇を残したと言うことが出来るだろう。

太平洋戦争は不幸にも愚かな権力者が権力の使い方を間違えたために多くの国民を死に至らしめ、国家を滅ぼした。
今上天皇は試行錯誤を繰り返し乍らほぼ30年かけて象徴天皇としての形をつくられたが常にその下敷きになっていた基本的考えは新しい憲法の基本理念であったと思われる。
即ち「個人の尊厳=個々の人間の幸福」を達成する為に ①基本的人権の尊重(自由主義と平等主義) ② 平和主義(戦争の放棄) ③ 国民主権(民主主義)である。
天皇の国事行為や公的行為の中で示される行動やお言葉の端々からそのようなお考えが読み取れる。戦争に対する反省と不戦の誓い、各地を巡って被災者や戦争の犠牲者への慰問・慰霊・平和への祈りを捧げられるのもその一つである。
かくして天皇は国民統合の象徴となり、平和の象徴、民主主議の象徴ともなられた。それこそが国民の支持を得、敬愛される最大の要素であると言えるだろう。

この様な天皇の平和憲法重視の考え方は憲法改正、戦前回帰を標榜する安倍政権の様な似非保守=ネトウヨの考えとは相容れない。陛下の生前退位の御意向にしぶしぶ腰を上げたが、政府が設置した有識者会議のメンバーは安倍首相の考えを忖度するような人物ばかり、意見聴取した人物に至っては桜井よしこや渡部昇一と言う様な専門家とは名ばかり、箸にも棒にもかからぬコチコチの右翼まがいの人物も紛れ込ませ有識者会議を陛下の御意向から遠ざけるような画策も行われた。
座長代理の御厨氏は官邸作成の座長代理のブリーフィング案や議事概要には実際に話し合いされていない様な内容が盛り込まれていたと政治部記者との座談会で漏らしていたと報じられている。
案の定結論は陛下の意向や国民の総意を無視し今上天皇一代限りの生前退位を認める特例法を成立させ、皇室典範の改正に取り組む可能性を明確に否定した。
皇室存続の為、男系男子の皇統を変革するような使命感に燃えた人物は見当たらない。日本会議は保守を自任するが、皇室の為になることは何にも出来ず、只々愛国を唱え明治を賛美するだけではネトウヨと何ら変わらない。
陛下の心労は絶えない。

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西暦か和暦か

2017年08月13日 | 文化・文明
西暦か和暦かを考える前に議論の発端となった天皇の生前退位の問題に触れて置きたい。

2017年6月9日,天皇陛下の生前退位を実現する「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」が成立した。
朝日新聞皇室担当の岩井氏によれば昭和天皇は明治天皇を鑑としたが、現天皇は災禍に苦しむ民衆に思いを馳せ心を痛められた「清朝第5代の雍正帝」や「後奈良天皇」の名を挙げておられるとの事である。とりわけ雍正帝は戦争を嫌い、政治家・軍人・役人の腐敗には峻厳で、公務にも献身的、史上まれに見る勤勉な皇帝という事で知られている。

明治憲法では天皇の地位は神の子孫であると言う全く根拠のない神話に支えられていたが現憲法は国民の総意により成り立つとなっている。
天皇は憲法が定める象徴天皇の枠組み、即ち>「日本国民統合の象徴」「日本国民総意に基づく存在」とは如何なる存在であるべきかを考えたとき、象徴天皇像を作り上げる上での一つの理想像、謂わば自らの範としてこの様な過去の賢帝を念頭に置いておられたおられたのではないだろうか。
象徴天皇として日本で初めて即位されたが、象徴と言う曖昧模糊とした立場を聡明さと広い視野、確たる歴史観によって民主主義の時代にふさわしい象徴天皇像を永い年月をかけてを作り上げてこられ、それを確固たるものにする謂わば集大成の仕事として生前退位の問題提起をされたものと推測される。被災地で被災者と膝を突き合わせ痛みを分かち合い、太平洋戦争の激戦地に慰霊の旅を繰返されると言う行動を通して国民の間に象徴天皇像を具現化し、確固たるものにされたのである。
2016年8月8日陛下は生前退位の意向をにじませたお気持ちを表明された。国民の間に定着し広く支持されてきた象徴天皇としての形を維持していくにはには制度的な不備を改めて欲しいというお考えから発せられたものである。
その骨子は
* 80歳を超え身体の衰えを考慮すると全身全霊で象徴の務めを果たすことが難しくなった事を案じている。
* 国事行為や象徴としての行為(公的行為)を縮小することには無理がある。
* 摂政置くのは、勤めを果たせぬのに天皇であり続けることになる。
* 終焉に当たっては葬儀と即位の儀式が同時進行し行事に関わる人や家族がが厳しい状況になる。

この様なご発言に対し多くの学者から憲法の定めにより「天皇は国事に関することのみを行い、国政に関する権能を有しない」のであるからこのような政治的発言は許されないと言う様な視野狭窄・硬直的な発言が多く聞かれた。
天皇は国事行為を行うだけの存在であり政府の決めたことを唯々諾々と従っておればよいと言う様な人権無視は憲法の基本姿勢に反する考えであり、公的行為の否定は天皇制に対する国民の離散を招くことに繋がる。このような矛盾点を放置してきたのは政治の不作為であり、現天皇は存命中に何とかこの矛盾点を是正したいと言う思いが今回のご発言になったものと思われる。
天皇は世襲制で職業選択の自由もなく、しかも死ぬまで公務を続けそれを拒否する権限もない、老齢となっても自由な生活が極めて制限されてしまうと言う様な人権無視、一体学者や政治家は何を考えているのか。
陛下は、自分の我儘で言っているのではない、象徴天皇制を定着させるために生前退位は一代限りでは無く、制度化でなければならないと言う意向であった。
しかし安倍政権は生前退位の制度化は皇室典範改正に繋がるとして今の陛下に限り生前退位を可能とすると言うその場凌ぎの特例法で問題を有耶無耶にしてしまった。
皇室典範改正に踏み込むと女系天皇の可否や今の皇室典範に残る明治憲法との整合性が消滅する恐れがあり、戦前回帰、明治憲法を金科玉条の如く考える似非右翼に配慮したものである。




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