追憶の彼方。

思いつくまま、思い出すままに、日々是好日。

日本の民主主義…(4)日本の司法の問題点

2016年10月30日 | 文化・文明
日本の司法の問題点

現行憲法では「すべて裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行い、この憲法及び法律にのみ拘束される」のであるが、この条文は戦前の司法省の後身である最高裁判所事務総局によって完全に死文化され戦前と同じように最高裁判所の内部から全ての裁判官を支配・統制する形になってしまっている。このため、事務総局は「司法省の戦後の再編成版」とも形容されるほどの強大な権力を有する司法行政の中枢機関となっており、上記憲法で定める裁判官の独立など事務総局によって完全にその機能を奪われた状態が続いている。

最高裁判所事務総局は司法省を母体として設立された司法機関であるため、同じく司法省を母体として設立された行政機関である法務省およびその附属機関である検察庁とは現在も親密な関係にあり、事務総局は法務省や検察庁との間で職員の人事交流さえ頻繁に行うなど、戦前の大日本帝国憲法の時代と変わらない形で司法と行政との癒着を積極的に進めている。
このような司法機関と行政機関との人事交流は、「判検交流」と呼ばれ、最高裁判所事務総局と法務省が事実上一体化しており、全ての裁判官の人事権を独占している事務総局が予算等の関係で全面的に(法務省=検察)の味方をしている現状にあっては、日本の裁判官たちが刑事裁判において無罪判決を出すことは極めて困難である(無罪判決を出した裁判官は事務総局によって下位の勤務地へ左遷される可能性が高い)ため、日本の刑事裁判は有罪判決が全体の99.9%以上を占め、その中には明らかな冤罪判決も多数含まれていると批判されているのはこの様な事情によるものである。

組織上、検察庁は法務省の下部組織のように見えるが、序列関係は法務省事務次官よりも検事総長の方が上である。
従って司法全般のトップに立つのは検事総長という事になり世界でも類を見ない様な巨大な権限を有しグレーゾーンの問題判定は検察官が決めると言ったようなおごりにつながるのである。

日本の検察に与えられたような大きな裁量権は欧米にはない。
捜査権・逮捕権・公訴権(起訴独占主義)に加えて被疑者の身柄を長期に亙って拘留し弁護人の立ち合い無しに取り調べることが出来る。この間記者クラブのメデイアを使って被疑者にとって都合の悪い話だけを一方的にリークし、容疑者=有罪を既成事実化するような事もする。
加えて検察は起訴便宜主義をとっているため起訴する・しないの判断が検察官に委ねられている。
一罰百戒、聞こえは良いが一罰の選定が極めて恣意的で検察に都合の悪い人間を追い落とす道具に使われている。
又被疑者や証人尋問の際これを威嚇として使いながら証言を有利な方向へ誘導する。或いは自白しないなら家族や関係者を起訴すると脅し自白を強要する。
これが多発する冤罪の大きな原因になっており取り調べ開始時点からの可視化が叫ばれる所以である。

日本の民主主義…(5)に続く
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日本の民主主義…(3)官僚主権

2016年10月28日 | 文化・文明
日本では民主主義が実現しておらず未だ可能性に止まっている。

民営化の美名のもとに次々と独立行政法人を作り天下り先を確保して
税金の無駄遣いで自己増殖を続ける官僚組織、その改革を進めるのは
並大抵のことではない。
日本の官僚組織が有する強大な権力の源泉は何処にあるのだろうか。

先ずその第一は情報の独占である。
行政の中心である省庁にあらゆる情報が集まるのはシステム的に当然
の事で仕方がないが、しかし省庁は集まった情報全てを即時公開するわ
けではない。
物事を判断するのに一つの情報より5つの情報を持っている人間の方が
より的確な判断が下せるのは自明の理である。即ち官僚が優秀なので
はなく判断する為の情報量が多い為優秀に見えるだけの話である。
(これは一般の企業でも同じで情報の集まる部署にいる人間は往々にし
て優秀に見えるという事はよく経験することである。)

日本で政党を支援し政策立案が出来るようなシンクタンクが生まれない
のは官僚が情報を独占し担当大臣にさえ一部の情報しか与えない秘密
主義に問題がある。
政治家が何時までも官僚の掌の上で踊らされるのはここに原因がある。

2番目は官僚に与えられている裁量権である。
現代の日本では立法府が機能不全に陥り①官僚が作った内閣提出法
案が殆どである。②しかも法律では大枠だけを決め細かいところは官僚
が作成する「政令・省令・委員会規則」等が中心になっている。
即ち法律の解釈を行政に委ねる事によって行政裁量権の拡大が進んで行く。
官僚は立法を起案する際に、必ず自分達の裁量権を確保する文言を
付け加えることを忘れない。
官僚は多くの規制を設けその許認可を行い、予算の配分先・配分量をも
決定する。
この裁量権を行使して国会議員(族議員)ですら官僚のしもべに
なり下がってしまうのが実態である。
この裁量権こそが日本社会の巨大な利権構造・汚職や税金の無駄遣い
の温床になっているのは周知の通りである。
官僚はこの裁量権を使い作り上げた独立行政法人、更には団体・企業と
云った癒着先に天下りを続ける。巨額の報酬と退職金、当に官僚天国で
ある。

本来租税制度は国民に対して平等でなければならないしその為には
恒久措置で無ければならないが日本の税務当局(財務省)はこれを
特別措置にして2年や5年に一回特別措置の恩恵を受ける為陳情しな
ければならない仕組みを作っている。
これが租税特別措置法と言われるもので日本の税制を複雑にし特に
外国人に解りづらくする大きな要因になっている。
日本の法人税は高いと言われているが殆どの企業が何らかの形で
特別措置の恩恵を受けているのを考慮すると実際は決して高くない
のである。

日本の民主主義…(4)日本の司法の問題点に続く
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日本の民主主義…(2)官僚主権

2016年10月26日 | 文化・文明
本来官僚組織は政治の決定を実現するための組織であるが、日本では政治
が官僚の決定を追認する逆転現象が生じている。

何故このような官僚主権制が出来上がってしまったのか。
明治維新で大久保利通を中心とする薩長藩閥政府が対外独立を図る為には
国家の近代化=富国強兵・殖産興業が必要であるとして「四民平等」を
唱えながら議会政治を無視し自由民権運動に対抗する天皇制専制支配を
行うための中枢的役割を担うシステムとして官僚政治を推し進めたのが
その発端である。
その後西南戦争で西郷軍が滅び大久保の没後、軍部・長州閥が伊藤、山縣
の元老政治をバックに勢力を拡大し、帝国主義、戦争への道を突き進む。
明治憲法では国家の主権は天皇にあったが、天皇は「神聖にして
侵すべからず」(3条)、即ち政治責任は負わない事になっているので天皇
の統治権は国務大臣(行政)が天皇を助言・補佐しその責任を負う(55条)
形をとっていたのである。

軍部と結びついた商工省官僚・岸伸介、運輸官僚・佐藤栄作はアメリカの
意向をくんで生き残り戦後の政治にまで大きな影響を及ぼした。
敗戦こそ国民主権・民主主義を手にする大きなチャンスで、日本を占領した
アメリカも最初は理想的な平和憲法を与え民主化の方向に舵を切っていたが
米ソ冷戦の激化、社会主義中国の出現、朝鮮戦争を背景に日本を反共の
砦とする為に、権力に対し反抗的でない生活保守の国民を造り上げる方向を
目指し日本の政治を後押しした。池田隼人の所得倍増計画など好例である。
そのような日米当局の方針により日本人は民主主義に不可欠な主権者の
理性的な意思決定能力
を失い、政治への参画意識すら希薄な国民を
育ててしまった。
かくして日本は歴史的に見て一度も真の民主主義を経験しない国家になって
しまっていると言えるのではないだろうか。



日本の民主主義…(3)へ

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日本の民主主義…官僚主権

2016年10月26日 | 文化・文明
日本は民主主義かと言えば外形的には「立憲君主型の民主主義国家」である。
選挙が行われ、代議制ではあるが議会が存在する。
しかしながら国民は数年に一度の選挙を通じ部分的に立法権に関わり得る
に過ぎない。
一方行政は官僚が完全に掌握しており行政執行に国民が参加出来る機会は
皆無に近い。
司法も官僚の手に握られている。最高裁判事には官僚OBと官僚が選ぶ
御用学者の枠があり政府の意に添わぬ判決を出す下級審の裁判官の行く
末は最高裁事務総局の手に握られている。司法は完全に法務官僚が掌握
しており三権分立は教科書の中での話に過ぎない。

アメリカの事例で紹介したが市民が主権者として行政に参加し、或いは
監視出来る公的な制度があってこそ理想的な民主主義に一歩近づけるの
である。
立法すら無能な職業政治家、利権に汲々とする政治家のせいで官僚=行政
の手に握られている。
市民の意思を汲み上げる制度として審議会や有識者会議があるが委員の
人選は官僚が行う為官僚の意向に沿った結論が導き出される。官僚の決定
を民間の意思に見せかける巧妙な洗浄の仕組みである。

官僚は選挙で市民に選ばれたのではなく、又市民が選んだ代表によって
任命されたわけでもない。単に公務員試験というペーパー試験に小さい
時から塾通いをし受験技術を身に着けて優秀な成績を収めたに過ぎない。
国家の運営や将来方向に対する見識を身に着けたわけでは決してない。
従って方向を間違い大きな損失をもたらし或いは犯罪的な行為を行って
も大抵のことは責任を問われることは無く、責任者は説明すらしない。

この様に見て来ると日本はうわべだけの民主主義、民主主義的儀式を
行う「官僚主権主義」と呼ぶべきものである。




次回「日本の民主主義」…(2)
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民主主義の劣化…(3)

2016年10月25日 | 文化・文明
米・英に於いて民主主義の危機が叫ばれ始めたのは何故だろうか。
とりわけ身分制の歴史がなく開拓期から学校や教会の建設、道路の整備等
身の回りのことは「平等な」近隣者住民が話し合いで決める地方自治の習慣
が育まれ現在でさえも直接民主主義の痕跡が随所に残存し或いは再生され
ていて最先端を行くと評されるアメリカの民主制に於いてトランピズム
(トランプ的ポピュリズム)と評されるような民主主義の劣化が懸念される
のは何故なのだろうか。
サンダースが言うように一握りの大金持ちは想像を絶する贅沢を味わい、
片や悲惨な貧困にあえぐ何十億に上る人がいるという格差社会、その痛み
に政治が具体的な解決策を示さず、従来のやり方を踏襲している。
米国の民主主義の危機とは選挙民にあるのではなく、「他に選択肢のない」
政治そのものの劣化にある。
巨大金融企業や軍産複合体、超富豪からの巨額の政治献金に頼る民主党
候補のクリントンに不信感・反感を抱く多くの国民がポピュリズムに拍車
をかけている。
政治が普通の人々から遠ざかってしまったと言う現実を見逃してはならない。
グローバリゼーションの進展やロボット・人工知能の普及等普通の人々の
職域が今後益々狭くなる。アメリカのみならず世界の政治家は「平等と自由」
をベースに富裕層と貧困層の分断を阻止し融和・統合できるようなシステム
の構築に向け政治の真剣さが問われる時代である。


次回「日本の民主主義」
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