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2011年03月11日14時46分、東日本大震災発生
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1172)私的岩手通史の旅 第104回(奥州藤原氏 第10幕)

2011年12月18日 | 私的岩手通史の旅
 北海道新幹線の新函館~札幌間を始めとする整備新幹線の工事が年度内にも着工すると新聞に載っていました。予算の関係もあり工期は15~25年と書かれていましたが、仮に25年とすると私は70歳近くになっています。記事を読み終えて「生きている内に開業するかなぁ?」という思いを抱きました。鉄道の開業時期を聞いてそんな事を思ったのは初めてです。


第104回 奥州藤原氏-第10幕-(平泉町 柳之御所跡)

 「私的岩手通史の旅」は奥州藤原氏の三代秀衡(ひでひら)に関わる史跡巡りに入ります。基衡の没したとされる1157(保元2)年の前年、中央では保元の乱が起きましたが、その3年後には平治の乱と続き、平清盛が権力を集めつつありました。

 そのような時代に奥州平泉では秀衡へ権力が移譲されたのですが、基衡が清衡から引き継いだ時のような兄弟間の争いというものもなく、円滑に移譲されたようです。この時秀衡は37~38歳と推定されています。

 この秀衡が居を構えていた平泉館とされるのが、毛越寺から北東約1キロ、北上川右岸の堤防沿いで発見された「柳之御所跡」です。遺跡は当初、北上川堤防と国道4号線平泉バイパス予定地になっていましたが、遺跡の発見・調査によりルートが変更され、1997(平成9)年には国の史跡となりました。


(雪に埋もれた柳之御所跡 -平泉町平泉 2011/2/5-)

 柳之御所跡からは建物・道路の遺構が多く発見されましたが、土師(はじ)室土器(=かわらけ)も大量に出土したそうです。その量10トンに及ぶといいますから、相当の量のかわらけが使われたことになります。使い捨てだったのでしょうか。


(柳之御所復元模型 -柳之御所資料館にて 2011/2/5-)

 各種本を読むと、秀衡の時代には京都(政府)を始め奥州での影響力強化を狙っての様々な駆け引きや政略結婚があった事が記述されています。

 その結果、秀衡の支配圏は南東北から奥州一帯に広がり、自身も陸奥守兼鎮守府将軍となるなど奥州藤原氏の最盛期に至るのですが、その様は我が史跡巡りの範囲からやや外れますので、折に触れることにしながら先に進みます。





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