今回の台風19号は来襲前「狩野川台風に匹敵する」と報じられていました。「狩野川台風」は1958(昭和33)年に大きな被害をもたらした台風で、気象庁が命名しています。この他にも「伊勢湾」「室戸」「洞爺丸」といった台風がありますが、1977(昭和52)年の「沖永良部島台風」以降はこのような「名付き台風」はありません。毎年繰り返される号数よりも固有名詞の方が後世に伝えやすいでしょうが、色々問題もあるのでしょう。

黄昏歩きの続きです。浅草通りに戻り、東へ進むと柳島橋を渡ります。派手さはありませんが木目調の落ち着いた雰囲気の橋です。前回御覧いただいた北十間川から分岐する横十間川がその下を流れています。

(柳島橋 -墨田区業平 2019/07/31-)
柳島橋を渡ると墨田区から江東区へ。北十間川がすぐ北側に並びます。浅草通りは水面より一段高いですが、歩道と車道の間には柳が並び、ちょっと凝った歩道になりますが、行き交う人はほとんどいませんでした。この辺りではコンクリートで固められているとはいえ、遊歩道も整備されていました。

(昔恋しい江東の柳・・? -江東区亀戸 2019/07/31-)
北十間川に沿って歩く事約10分、歩みは境橋たもとの交差点に至りましたが、角に道標と祠が建っていました。祠は「祐天堂」と言い、元禄年間(1688~1704年)に祐天上人が千葉への往来の途中、ここで見かけた多くの水死者の霊を弔い、戒名を記した供養塔を祀ったのがこの祠だそうです(by説明板)。

(祐天堂と道標 -江東区亀戸- 2019/07/31)
一方の道標については、書き写すのが面倒なので説明版をパクりますが、今は生活道路のような道でもその昔は往来が盛んだったのかなと思いました。

(道標説明版 -同上 2019/07/31-)

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黄昏歩きの続きです。浅草通りに戻り、東へ進むと柳島橋を渡ります。派手さはありませんが木目調の落ち着いた雰囲気の橋です。前回御覧いただいた北十間川から分岐する横十間川がその下を流れています。

(柳島橋 -墨田区業平 2019/07/31-)
柳島橋を渡ると墨田区から江東区へ。北十間川がすぐ北側に並びます。浅草通りは水面より一段高いですが、歩道と車道の間には柳が並び、ちょっと凝った歩道になりますが、行き交う人はほとんどいませんでした。この辺りではコンクリートで固められているとはいえ、遊歩道も整備されていました。

(昔恋しい江東の柳・・? -江東区亀戸 2019/07/31-)
北十間川に沿って歩く事約10分、歩みは境橋たもとの交差点に至りましたが、角に道標と祠が建っていました。祠は「祐天堂」と言い、元禄年間(1688~1704年)に祐天上人が千葉への往来の途中、ここで見かけた多くの水死者の霊を弔い、戒名を記した供養塔を祀ったのがこの祠だそうです(by説明板)。

(祐天堂と道標 -江東区亀戸- 2019/07/31)
一方の道標については、書き写すのが面倒なので説明版をパクりますが、今は生活道路のような道でもその昔は往来が盛んだったのかなと思いました。

(道標説明版 -同上 2019/07/31-)


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