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朝夕の食事 美味からずとも 褒めて食うべし
米x中 卒業の さ○○嬢に贈る
これは中学卒業の時に校長先生から贈られた色紙に書かれていた言葉。
男子と女子は違った言葉でした。
男子のはわすれちゃった。
■謙虚
これは中学の顧問の先生(ソフトボール)に卒業の時にもらった色紙の言葉
みんなそれぞれ違っていた。
野村監督ではないけど、個性をとても重視される先生
3年間の黄金時代?を共にした仲間たちへ
■ 輪 (創作文字)
高校の選択授業「書道」の大好きなK先生から
みんなは机に集まって、先生の筆捌きを見ていたら・・
「誰か、これいるかい?」
ほしい・・!!!
心の中で言いつつも口に出せない私は・・・
なにせ人気があって、(たぶん)、みんなの憧れだったから。
友達が「S、もらっておいで」
そんなこと言われても・・・
「おっ!!、S○○、これやるよ」
先生が私にその紫の和紙をくれました。
すっごくうれしくて眺めていたら
「これは ”輪” なんだよ。ほら左に手を繋いだ3人がいるだろ、右が木なんだよ。木の下で仲良く手を繋いでみんなが遊んでるんだよ」
それは私の大切な宝物になりました。
私は創作の授業が大好きでした。
「次回まで、自分の好きな言葉、詩なんでもいいから考えてくるように」
そんな宿題はとってもわくわくしました。
でもなかなか決まらなくて・・・
”たどり着いたらいつも雨降り”
”神名月にかこまれて”
家に帰り、いろいろ考えた言葉だったけど
あれ?どっかで聞いたことあるぞ! そっ、あるでしょ。
先生が見本で書いてくれたり、添削してもらったものをずっととっています。
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見てるうちにとてもせつなくなってしまった。
先生はもういない・・・
母校に行けばいつでも会える・・・ずっとそう思ってたあの頃
何年かして、ある時無性に先生が気になって、思い出してしまい、母校に電話しました。
「K先生、今入院してるんですよ。もう退院したかもしれません」
そう言われ、居ても立ってもいられず先生の自宅へ電話しました。
「もしもし・・・先生・・・わかりますか?」
「うん、わかるよ。い○○さ○○だろ」
先生が出ました、電話口に
たった3年間で、週2時間の授業なのに、声だけで私だとすぐわかってもらえました。
教師とはこういう事なんですね。
「先生、ほんとにわかりますか?お元気ですか?」
「ああ、わかるよ。い○○だろ。今日退院したんだ。元気だよ」
その声が最期になりました。
私はずっとその言葉を信じて元気だって思っていました。
それからしばらくして、私の友達から訃報がはいりました。
もうあの笑顔には会えないの・・・
葬式は学校葬だったそうです。何十年通われたあの高校
棺は最期に学校をまわられたそうです。
何日か後、自宅に焼香に行きました。
奥様が最後に旅行した写真を見せてくださいました。
あまりの痩せて変貌した姿に声は出ませんでした。
「ほんとはね、この写真、皆さんに見せたくないんですよ」
そうおっしゃていました。
でも遺影はあの穏やかに笑ってるふっくらしたK先生でした。
これお持ちください。
そう言って渡されたのが、先生が最期に書いた歌、書です。
野邊の石仏
草かげの石仏も
慈願 慈眼
自分の余命をもしかしたら知っていらしたかもしれません。
余りにも若すぎます。40代そこそこだったのかと
どんな思いでこの歌を詠い、書にされたか。
今この年齢になって、新ためて思い返されます。
額に入れて飾っています。
私の大切な宝物です。
Takuro Yoshida吉田拓郎 - おきざりにした悲しみは Leaving My Sorrow
今、ふと思いました。
こういう言葉
吉田拓郎の曲のタイトルだと知っておられたのでしょうか。
当時、たぶん10歳も年齢違わなかったのかな。
先生は国語、そしてバドミントン、テニスの顧問もしていました。
当時はスポーツ中は水分を摂らない、今では考えられない時代
でも先生の教えてたテニス部では、炎天下の練習中に、先生が自ら持ってきた
大きなヤカンにたぶん氷も入れた、冷たい水をテニス部の人は飲んでました。
私はソフト部、同じグラウンドでそんな光景を横目に
真っ黒になりながら白球を追い喉はカラカラ・・・
ほんとに、羨やましかった。
先生の命日、あの季節はいつだったか
母校の同窓会名簿に
着任昭和48年4月~離任平成4年9月と
やっぱりこの季節だったのかな・・・
あれから31年の月日が(33回忌くらいになるのでしょうか)
先生を偲んで
吉田拓郎「恩師よ」
作詞 | 松本隆 |
---|---|
作曲 | 吉田拓郎 |
恩師よ 時計の針は戻りはしない
進むだけだと教わりました
流れる雲のように生きろと
瞳細めて優しい声で
もう一度 もう一度
そして良き思い出授かり。
予期師に逢われましたね。
りりんさま 小春です
キレイな美人さんゴーヤですねぇ〜
本当の偶然ですが
私も今日ゴーヤを菜園から3本取って来たのですが
無骨だし、傷有り
一部変色仕掛けているし
比較になりませんが
季節の変わり目とか名残りとかsubjectで画像UP予定でしたが
りりんさまのゴーヤ画像を見て
ムクムク違うsubjectが沸いて来ました
それでは自分ブログに帰ってUPして来ます bye-bye
りりんさんの学生時代に出会った先生とのお話、吉田拓郎さんの曲と併せて読ませていただきました。
とても感動的で素敵なお話です。とても立派で素敵な先生、これからも先生はりりんさんの心の中に
永遠に残ると思います。
私も思い出に残る先生は、小学校時代の恩師です。兄のように思える大好きな先生でした。3年前まで
年賀状の交換を続け、今年こそは一度逢いましょうと約束したのが最後でした。その年の12月に奥様
から喪中はがきが届き、亡くなられたのを知りました。
朱筆の文字を見ながらであればこそ、深く思い返されるでしょうね。
野邊の石仏
草かげの石仏も
慈願 慈眼
思い巡らせています。
よい想い出をお持ちですね。
コメントありがとうございます。
長文ブログ、読んでいただいてありがとうございます。
喧噪の夏が終わり、忙しかった農作業もちょっと休憩
そんな秋の日に、どうしてか思い出していまいました。
私にとっても心の師ですね。
コメントありがとうございます。
小春さんも今日ゴーヤ3本ゲットでしたか。
うちのゴーヤの葉っぱ、まだ茂ってて隠れてたゴーヤがあちこちに。
もう少し収穫できそうです。
小春さんのゴーヤブログ、お伺いしますね。明日になるかもですが、ムクムク違うsubjectを楽しみにしています。
コメントありがとうございます。
最後まで読んでくださり、感動も・・なんて嬉しいです。
深く書いてしまいました。
高校時代から、私の中には「吉田拓郎」という存在がありました。
若い頃読んだ本で「人生で3人の師と思える人に出会えたら幸せ」
そんな意味のことを知って
決して先生、教師だけでない「師」でも
ninbuさんも小学校時代の先生とずっと長く交流を深めていらしたのですね。
やはり、会いたい時に会う・・後悔が残らないうちに
・・・でも心の中ではいつでも会えますね。
コメントありがとうございます。
朱筆の先生の文字
眺めてるだけで、あの少女時代へいっきに戻ってしまいます。
野邊の石仏
草かげの石仏も
慈願 慈眼
この書は臨書で先生は書かれていました。
keiさんが、ここに目を惹かれたのがすごくわかりました。
名もなき野の石仏も
慈しみのまなざしで見守っててくださる
なんか、こんな時間のせいもあるかもですが、涙が溢れてしまいました。
書道・・良いですね
私も大好きです
小学校の時に習っていてそれっきり
33歳で父を亡くしたショックで、食事が
摂れなくなり、それから始めた書道
長井にいる時、紫雲の方でした
準師範を取得しようか迷いましたが
教える事は好きではないし、書くほうだけで十分でしたので、そのままで今は
紫雲は止めました
楷書、行書、草書、かな、細字
細字だけが今も役にたってます(笑)
りりんさんの想い出の中に書道
私も書道が好きなので嬉しいです♪
コメントありがとうございます。
万願寺唐辛子、ししとうを収穫したのですが、真っ赤に熟したもののあって、勿体ないので全部使いました。
ゴーヤ1本も一緒に細かく切って炒め、味噌と砂糖、みりんなどで味付けました。
最後に白ごま。写真アップしました。
少しだけ辛くて
私はこれを白いご飯にのせて食べるのが好きなんです。
かこさん、書道されてたのですね。
紫雲書道会でしょうか。多分ここ何年かで始めた友人、実は長井に住んでるんです。
もしかしたら、そこで書道してるのかな。
準師範を取得されるまでとは、かなりの腕前ですね。
若くしてお父様を亡くされたのですね・・・。その時の心の悲しみ、ショックを癒してくれたのが書道だったのでしょうか。
心が乱れてると字も乱れますよね。
かこさん細字、役立ってるのですね。
なかなか、書を書く機会はないけど、昨日、実家で、母から熨斗袋に「お餞別」って買いてと言われ、筆ペンで書いてきました。
書道繋がりもあったなんて、嬉しいです。