流れる雲を追いかけながら
日差しが出た日は散歩を
道路の脇に咲いた野の花を眺めたり
畑まで歩いて行ってみたり
日陰にはまだ雪がこんなに残ってます。
蔵王山も今日は新雪をかぶり厳かな姿を
この山々に囲まれた私が住むところ
13年前にこの山並みの向こうでは大惨事が・・・
今日も、この山脈の向こうに想いを馳せながら手を合わせました。
スマホを見たらちょうど2時50分頃・・・
あの日のことは鮮明に憶えています。
拓郎さんのそれぞれの時代での歌声~🎶
【吉田拓郎】貴重な古いライブ「流星」(歌詞)
作詞・作曲 吉田拓郎
たとえば僕が まちがっていても
正直だった 悲しさがあるから……流れて行く
静けさにまさる 強さは無くて
言葉の中では何を 待てば いい
この曲は拓郎さんが33歳の時の作品
【MV】吉田拓郎 / 流星2003
流星 吉田拓郎
流れる星は 今がきれいで
ただそれだけに 悲しくて
流れる星は かすかに消える
思い出なんか 残さないで
君の欲しいものは何ですか
僕の欲しかったものは何ですか
あの日の夜空は星が眩いほど輝いていた
そんな言葉を何人もの方からニュースなどで聞きました。
広島へ行った家族のお土産
生もみじ饅頭
私は早速こし餡生もみじを
美味しかった~(^^♪
広島と言ったらこの曲が思い出されます
吉田 拓郎 いつも見ていたヒロシマ
1980年
作詞 岡本おさみ 作曲 吉田拓郎
八月の光が オレを照らし
コンクリート・ジャングル 焼けつく暑さが
オレの心を いらつかせる いやせない みたせない
決して「がんばれ~」とかいうのとは違う想い
心の底からの優しさ・・・そんな曲
いつも心のどこかに、苦境にあえぐ人、悲しみの中にいる人、悲しんでいる人
そういう想いを少しでも感じれる心を持っていたい
こんばんは
りりん様は蔵王山の辺りにお住まいなんですか、山形県と宮城県にそびえるお山
樹氷で有名ですね、昔から憧れです
神戸からは少し距離がありますねぇ
もみじ饅頭、私もこし餡派で~す
コメントありがとうございます。
蔵王山、そうです。
夏はお釜もきれいなんですよ。
この冬は2月に気温が高かったので雄大で素晴らしい樹氷も消えかけたりしました。
私も若い頃は蔵王にスキーに出かけたり
温泉宿に泊まったり
いいところですよ。
🐇さんの神戸からは、そうですよね、ちょっと遠いけど
いつか是非いらしてくださいね。
こし餡派でしたか。粒も美味しいけど、こし餡のお饅頭好きなんです。
もし東北にいらしたら、福島の日本三大まんじゅうと言われてる
柏屋の薄皮饅頭がおすすめです。
https://www.usukawa.co.jp/usukawa/
こしも粒もあります。
やっぱり、これも私はこし餡です(^^♪
佐伯一麦氏の小説やエッセイを読み続けた時期がありました。
『月を見あげて』の第一集に、「震災からの数日間、街の明かりが消えた空には、
半月から満月に至る月と、満天の星が眺められた」
と記されています。80歳の母親を新潟経由で横浜の兄のところへ預けに向かい、
その途中の国見峠のサービスエリアから満月を望めたことが忘れられない、と。
地上は地獄の様相を呈しているのに、天には星がまたたいて…と。
今さっき、しみじみ読み返しました。
「満月」の言葉から、氏が当時のことをいくつか書かれていたのを思い出させていただきました。
静かにこみ上げるものがあります。
コメントありがとうございます。
佐伯一麦氏、先日お話下さった方
仙台在住の作家さんですね。
「震災からの数日間、街の明かりが消えた空には、半月から満月に至る月と、満天の星が眺められた」
いろんな方がそう言ってたり、書かれたりしたのを私も目にしました。
私自身、当時はこのブログではなく、日記形式なSNSをしてて、そこには311からの日々を綴っていました。
夕方には冷たい非情の雪も降ってきました。
このサイトの言葉に感涙です。
不安な避難所生活中、11歳のお子さんが満面の笑みで「星がね、すごいんだよ」という言葉に頭を上げると、こぼれ落ちてきそうな星空。涙が一気にあふれだした。「悲惨な状況でも、美しいものや楽しいものを見つけられる素敵な子どもたちを何としても守っていかねばと、弱気になっていた心に活を入れられた忘れられない夜だった」(「避難所の星空」より 阿部美奈子さん/2011年3月27日 毎日新聞)
https://www.mitsubishielectric.co.jp/me/dspace/column/c1805_1.html
あの日は、前の仕事を辞めた直後で家にいて大きな揺れを感じました。
すぐに息子から電話が入って大丈夫だったかと。
揺れてびっくりしましたが、その後のテレビで津波の被害が次々と流れて・・・・
自信は怖いですね。
広島のお土産というと「もみじ饅頭」ですね。
わたしももみじ饅頭はこし餡が好きです。
今は生もみじ饅頭っていうのがあるのですねぇ。
こし餡、抹茶、粒あん、ふむふむ (^_^)
韓国に行ってたので
直接は経験していないのですが、やはり
その夜に新潟空港に帰国、娘と連絡付かず
大変でした、当時娘達が住んでいた米沢に
ランとウンスを預けて行ったので心配で!
娘もパパも孫もランとウンスも無事でいて
くれた事がわかり大泣きしてました
あの日から13年、まだまだ大きい出来事として
心の中に刻まれています
コメントありがとうございます。
13年前のあの日、やっぱり覚えていますよね。
1週間前ですらうる覚えなのに・・・
会社を辞めて自宅にいらした時だったのですね。
息子さんが心配されて・・・
テレビで放送されたのが、現実に起こってるのか何とも信じがたい光景でした。
ここは福島県にまたがる吾妻山という山にどれだけ救われた事か
島国で火山国の日本、いつどこで起きるか誰にもわかりませんね。
広島~やっぱりもみじ饅頭ですよね。
生もみじ饅頭、初めて食べました。
しっとりした食感が美味しかったです。
今日は抹茶味、食べようかな(^^♪
コメントありがとうございます。
そうだったのですね、韓国へ旅行中でしたか。
急遽帰国されたのでしょうか。
連絡とれない時間、どれほどご心配だったか・・・。
米沢で被災された娘さん方
揺れも大きくて、ウンスちゃんもランちゃんも、きっと怯えてしまってたかと。
ほんとに、無事だと分かった時は緊張の糸が切れてしまいますね。
同じ東北、隣り合ってる県ゝの悲惨な状況
胸が痛みましたね。
東北←三陸に住む知人の船が流され
後日連絡を受け
見つかったけれど
何処かの桟橋に衝突したらしく大破、廃船
車なんかの比で無い高価なもの
掛ける言葉なぞ有る訳無く
その後連絡がつかなくなりました
人生設計が狂うぐらいなら
まだ取り返せる可能性
あるかもしれませんが
生活の根本から覆えされたら
立ち直るの容易で無い事思い知りました
どなたさまにおかれましても
意識、考え方、価値観などが変わった大きな地震だったと思います
私は人さまに対して
嫌な顔と激しい言葉
発しなくなりました
一期一会
嫌な言葉を吐いたり
怖い顔を見たのが
万一、私の最後の姿だったはヤダ
それぐらいなら和顔愛語でイイ!
消極的発想かも(笑) bye-bye
りりんさま 小春です
一つ前のcomment
名前を名乗らず失礼しました
改めまして一つ前のcommentも小春です(笑)
あ、名乗って無かったと気付いた時には遅かった
指が紙飛行機マーク
プッシュしていました
13年前の事
まだ色々あるンです
いつかタイピングする機会が有れば
ご披露させてくださいねぇ〜
bye-bye