【2021/02/19ブログの再掲、一部修正】
むかぁし、むかぁし、ミャンマー(当時はビルマ)に行ったことがあります。
1987年
新卒で入った会社を辞めて、プー太郎(死語。今ならフリーター)になってたときに。
バックパッカー全盛期でした。
今考えても、何でミャンマーに行ったんだろう?
まったく覚えていません。
インコを肩に乗せた水島上等兵を探しに・・・。
ない。
私のパスポートに残ってる、当時のビルマのVISAです。
Socialist Republic of the Union of Burma(ビルマ連邦社会主義共和国)と書かれています。
滞在期間は3、4日程度で、首都のラングーン(現ヤンゴン)とその近くの街ペグー(現バゴー)を観光。
当時は直行便は無かったはずだから、バンコク経由だったと思います。
ペグーは、「ビルマの竪琴」で知られる寝釈迦像が有名。
ビルマは「インパール作戦」でも知られる第二次大戦の激戦地。
日本人と知って、日本語で話しかけてくるお年寄りも結構いましたよ。
当時は若かったし、よく一人で行ったよなぁと感心する自分がいます。
「地球の歩き方」のお陰です。
ジジイの昔話でした。
現在はミャンマーへの旅行は危険です!
押してね!
むかぁし、むかぁし、ミャンマー(当時はビルマ)に行ったことがあります。
1987年
新卒で入った会社を辞めて、プー太郎(死語。今ならフリーター)になってたときに。
バックパッカー全盛期でした。
今考えても、何でミャンマーに行ったんだろう?
まったく覚えていません。
インコを肩に乗せた水島上等兵を探しに・・・。
ない。
私のパスポートに残ってる、当時のビルマのVISAです。
Socialist Republic of the Union of Burma(ビルマ連邦社会主義共和国)と書かれています。
滞在期間は3、4日程度で、首都のラングーン(現ヤンゴン)とその近くの街ペグー(現バゴー)を観光。
当時は直行便は無かったはずだから、バンコク経由だったと思います。
ペグーは、「ビルマの竪琴」で知られる寝釈迦像が有名。
ビルマは「インパール作戦」でも知られる第二次大戦の激戦地。
日本人と知って、日本語で話しかけてくるお年寄りも結構いましたよ。
当時は若かったし、よく一人で行ったよなぁと感心する自分がいます。
「地球の歩き方」のお陰です。
ジジイの昔話でした。
現在はミャンマーへの旅行は危険です!
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