蒲田行進曲
人が生きているていく事は、決して楽なことではない。
それどころか、人生というものは苦しみや悲しみ、苛立ちや鬱屈にみちているような気がする。
しかし、そんな日々を、うつむいて嘆いているばかりいるわけに行かない。
一瞬、一瞬を、自分でおもしろく生きる工夫をしなければ仕方ないだろう。一瞬が変われば一日が変わる。
一日が変われば一年が変わる。そんなふうに自分に言い聞かせながら、今日まで生きてきた。
なんとなく怪しい時代である。
「味気なき世」をおもしろくと、つとめてそう思いつつ毎日をすごしている。
あとがきより引用
今日 増上寺に足を運んだ。
最期のお別れ。
※補足記事
峰島教授囲んで新年会
●早稲田大学教授で浄土宗広度院住職の峰島旭雄氏(比較思想学)を囲む恒例の新年会「峰友会」が一月十九日夕、東京都港区・増上寺の景光殿で開かれ、教授の教え子や同僚、友人ら二百人が集った。はじめに、十七日に発生した兵庫県南部地震の犠牲者を悼んで全員で黙祷した。このあと峰島氏が「峰友会はゼミの学生ら私の研究の手助けをしてくれた人たちに感謝の意を表わそうと始めたものだが、年々、規模が大きくなっていった。自分より年上の人は呼ばないなどの原則があったが、それも崩れてしまいました」と、自由な雰囲気を持続しながら今年で十五回を数える会の由来を紹介。続いて乾杯の発声を行なった中村元東方学院長は、人災との指摘もある今回の「とんでもない」地震災害に触れ、「今日までの日本は機械文明にあぐらをかいて、心が油断していたと思う。それを乗り切るには人々の温かい心と心の触れあいが必要です」と述べ、各層の人々が交流する峰友会の貴重さを強調した。また、名古屋芸大講師の井上貴子さんら三人によるインド民謡も披露され、会場は華やいだ雰囲気に=写真[写真は省略]。峰島教授は宴席を回って、参会者一人ひとりと親しく新年の言葉を交わしていた。
今さらですが話題だったドラマ『半沢直樹』で
アンリ・バヴィエラの作品が使われていました 。
半沢直樹さんの社宅のリビングに飾られていたそうです。
そのシーンは残念ながら、僕は見ていません。
バヴィエラ氏とは青山でお会いした縁があり……十数年前の懐かしい思い出です。
2013青山祭に足を運んだ。お目当てはリリー・フランキー氏のトークショーである。
同じ福岡県人として親しみを覚えた。
『東京タワー』を通じて以前から興味を持っていたがなつかしい感覚。
ボアノイチ,マリリア僕は何とか生きています。若いころ自作の7エレメントHB9CV(八木アンテナにフェーズラインで位相反転させた21MH用)簡単にたとえるとムカデのような(形状)アンテナの(ブーム)全長1ラムダ15m強で足(素子またはエレメント)の長さが7mがリフレクター、ラジエーター、ディレクター5本,計7本足と想像していただければと思います.水平方向フロントゲインは14db強。他にはスイスクワッド、28mhz用6エレメントZLスペシャル、144MHZ用13エレメントダイバシティバックフィアその他。設計記事や海外交信歴で専門誌でもレポートがとりあげられたものだ。 HF帯用リグはTS520とFT101で良くつながったブラジルPY4の局です。15mクランクアップタワーでした。今はネットで世界中と簡単につながりますが。
当時は電離層のコンディションや時差で地球の真裏につながるのは至難の技でした。夕方はヨーロッパとは比較的につながりやすかったボンマタン、グーテンモルゲンからはじまりアリイベデルラ、アウフヴェターゼーエン、チャオチァオとちゃっちゃとすまし。大圏地図上ではダイレクトではイースト方向にアンテナを振るといいのだがロングパスの場合は逆方向に電離層が開けていてアフリカと交信したあとにロングパスで南米が聴こえてくる。最初は南米はみんなスペイン語でつながるもんだと思っていてアキアブラハポンオランダセイスロンドネスインディアナウルグアイホタアチエセイスエレイーウーアドランテカンビョでとうしていたがポルトガル語で呼ばれた時はとまどいました。日本の四季の紹介や交信証の交換までなんとかたどりつきました。又当時は中国とは国交がなくHM(韓国)ソ連圏、オセアニア、ヨーロッパがおもでした。カリブ海が難航でした。アメリカからも九州の片田舎に友人が訪ねてきたりしていました。エアメイルが郡部に住んでいたので届きにくく、柳川市に私書箱13号を作り毎月世界中から届くエアメイルが楽しみでした。英語がネイティブではなかったので辞書をひきながら読んでいました。3000局以上六大陸交信記録は僕の誇りです。