あるホームページを見ていたら、「米市母子殺害事件」の本村さんのことを知りました。
死刑判決がでるまでの長い13年もの戦いの陰には、温かい人たちがいたことを知りました。
当時18才の「大月孝行」被告は、「無期懲役になっても、オレは7年で出る、私を裁けるものはいない!」と、言っていた。
平成11年、奥さんと11ヵ月の「夕夏」ちゃんが殺されてから、「どんなかたちでもカタキをとりたいと思った」と、本村さんは言う。
どんな悪天候でも街頭に立ち、被害者の声を訴え続けた。13年かかってやっと大月被告に2月20日「死刑判決」がくだりました。
これからの社会に、犯罪が少なくなることを、訴え続けてきた本村さんは勝ちました。
13年間本村さんを支えてきた、立派な会社の社長さんがいたことを知りました。
多くの方に知ってもらいたくて書きました。
新日鐵に勤務する本村洋さんの上司の言葉
光市母子殺害事件で妻と子供を失った本村洋さんが一時の気の迷いから勤務先の新日鐵を退社しようと思い立ち辞表を書いた時に上司は次のように述べたという。
『君はこの職場にいる限り私の部下だ。そのあいだ、私は君を守ることができる。裁判はいつかは終わる。一生かかるわけじゃない。その先をどうやって生きていくんだ。君が辞めた瞬間から私は君を守れなくなる。新日鐵という会社には君を置いておくだけのキャパシティはある。勤務地も色々ある。亡くなった奥さんも、ご両親も、君が仕事を続けながら裁判を見守ってゆくことを望んでおられるじゃないのか』
また、次のようにも述べた。
『この職場で働くのが嫌なら辞めてもよい。君は特別な体験をした。社会に対して訴えたいこともあるだろう。でも、君は社会人として発言していってくれ。労働も納税もしない人間が社会に訴えても、それはただの負け犬の遠吠えだ。君は社会人になりなさい』
http://kabumatome.doorblog.jp/archives/65649956.html