今回の神社仏閣巡り旅、目的地はどこでしょう?
その前に腹ごしらえをしよう。おなじみ、とんかつみつみねで。大好きなかつ鍋定食。美味しい。
最初の目的地は埼玉県児玉郡神川町の金鑚大師大光普照寺(かなさなだいしだいこうふしょうじ)。聖徳太子が創建した歴史ある寺で、宗派は天台宗。児玉霊場33番札所・関東百八地蔵霊場第18番札所にも指定されている。金鑚の読み方が分からず、QPさんに教えてもらった。え~、金=「かな」はわかるけど、金と賛を合わせて「さな」って読むの?不思議。
ちなみに、「金鑚(かなさな)」という名前は、昔このあたりで「金砂(かなすな)=砂鉄」が採れたことからついたと言われている。
本堂の彫刻が見事だ。
鐘桜堂。
金鑚大師の命日にあたる1月3日の初大師には、境内では縁起物のだるま市が開かれる。
次に参拝したのは、道路を挟んで斜め向かいに位置する金鑚神社。明治初年の神仏分離令によって、金鑚大師大光普照寺より独立した。御嶽山をご神体として祀っているため本殿がなく、原始信仰の形が残っている。こうしたスタイルの神社は日本にわずか3つしか存在しないという。そして、パワースポットとしても知られる。
神社境内からは、御嶽山へと続く道が延びている。長野県と岐阜県の県境にある標高3,067メートルの御嶽山は「おんたけさん」、こちらの標高343.4メートルの御嶽山は「みたけさん」。
山道沿いに立つ石像が微笑ましい。苔に覆われたカエルの親子、帽子を被せてもらった布袋さん、寄り添う母娘像。
頂上まで200メートルというところに、国指定の特別天然記念物、御嶽の鏡岩がある(↓)。これは、約1億年前に関東平野と関東山地の境にある八王子構造線が出来たときの岩断層活動のすべり面である。岩質は赤鉄石英片岩。
鏡岩から上は急な階段や木に結び付けられた綱をつかみながら登る男坂が続き、かなりのきつい登りだった。山頂はぐるりと木に囲まれていて、見晴らしゼロ。山頂と反対方向にある岩山展望まで行けば眺めが得られるということだが、もうこれが限界。シャツが汗でぐっしょり、暑さでふらふら。残念だけどここで山を下りることにした。
帰りはやっぱりかき氷を食べなくちゃ!今回はメロン味にした。
追記:せっせと関東の神社仏閣巡りをしているわたしに、友人の一人が質問を投げかけた。「神社仏閣によく行ってるようだけど、何か理由でも?」
聞いてもらえて嬉しい。答えは、「神社仏閣に限らず、宗教建築物に興味があるからだよ。」
きっかけは、大学1年の時履修した宗教とその思想に関する一般教養科目(正式名は忘れた)がとても面白かったので、それ以来世界中のさまざまな宗教とその建築物に興味を持つようになった。難しいことは分からないけれど、宗教建築物を見ることで、そこに象徴される思想や価値観のようなものを感じ取れる気がした。
そして、国内外を旅するときは、主だった宗教の建築物を見に行くようになった。日本の神社やお寺はもちろん、欧米の教会、台湾の媽祖廟や孔子廟、シンガポールの道教寺院、タイの仏教寺院、インドのヒンズー教寺院やモスク、そしてシカゴではユダヤ教のシナゴーグを訪れた。
宗教建築物の厳かさ。人々の真摯な祈り。美しい神像や仏像。そして建築物の内装、祭具、供え物などさまざまな物が何かを物語っているかのようで、心惹かれる。
訪れたかったけれどその機会がないまま来てしまったのが、チベット。寺院でマニ車を廻しながら参拝してみたかったな。↓の2枚は数年前にヒマラヤへトレッキングに行った友人が送ってくれた写真。美しいマニ車が写っている。
こんにちは。
大学生に戻ってオンライン講義を受講している気持ちになりました。
旅人さんは社会学専攻だったのでしょうか?
あまりにお詳しくて驚いています。
わたしの頭ではすべてを理解できるか自信ないのですが、
とても参考になりました、ありがとうございます!
わたしは特定の宗教を信じているわけではないので、
信者の方々の心の中は分からないのですが、
建築物や祭具などの美術的価値に心惹かれます。
マニ車の形や色合いがヒマラヤの山々とよく調和していて、
地理的なものも関係しているのかな~。
ヒンズー教寺院はとても面白いです。あのカラフルさ、奇抜!?な内装など、
一般日本人の想像をはるかに超えたものだなと感じました。
コメントありがとうございました♪
こんにちは。金鑚、わたしも「きんさん」かな?と思いました 笑。
たぶんわたし達の感覚が一般的でしょうね~。ふふふ。
わたしも特に興味を持った記事にだけコメントを書いているので、
どうぞお気を使わないよう。
記事を読んでくださるだけで嬉しいです!
重要文化財の茶釜、恥ずかしながら知らなかったので
教えていただけて嬉しいです。
砂鉄で作られているのですね。
茶釜というとぶんぶくちゃがま、というお子様的発想なわたしです 笑。
福岡県といえば、おおむかし博多を観光しました。懐かしいです!
コメントありがとうございました♪
学問的には「宗教社会学」という分野ですね。宗教はその社会が生み出した産物でその社会(文化・行動規範)の規定を受けるという前提で、両者の関連を明らかにする学問。その分野では一番有名なウエバーの著作「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」への言及も授業ではあったはずです。
現世では解決できない諸問題は社会毎に微妙に異なっていて、それが来世ではこのように解決・裁断されるという体系図が各宗教ということになると思いますが。宗教的建物は、その解決への祈り瞑想の場、疑似的に神が住まう場ということになって、おっしゃるとおり宗教体系を色濃く反映している建物になります。
仏教は「和」を重んじ帰依するものは「全員」救われるという文化を反映していますから、仁王様ににらまれても門をくぐり、鐘を鳴らす人は全員救われるという宗教画で彩られています。
私も海外赴任したといっても米英のキリスト教圏だけで、ここでキリスト教の文化的拘束性については省略します。それが、いみじくもstorytellerさんが挙げられた、チベット仏教、ヒンズー教等の現世での苦難に満ちている(失礼な言い方ですが)社会になると、宗教に何を希求するかが建築物にもっと明確に現れていると思いますよ。例えば、チベットではおそらく寺院に何度も礼拝に行く余裕はないはずですから、マニ車を一回回す毎に一回礼拝したことになるとかの教え。推測ですが。
仏教ないしキリスト教にどっぷり生まれた時から浸かっていると、信じるか信じないかだけで、通常思考は停止していますが。宗教建築物を見ての学問的探究は殆どの人に必要は無いですが、ちょっとしたstorytellerさんのような「知的探究」ならよりその方の信仰も深まるのではないかと思います。 私? 無神論者です。
難しいですね。まず きんさんだいしって読みました。
>「金砂(かなすな)=砂鉄」が採れた
なるほど・・ 私は九州地図の一番上 右寄り 玄界灘・響灘沿いの 芦屋町っていう所に住んでいます。
海で砂鉄が採れていました。
茶釜で国の重文 九つのうち 8個が芦屋釜なんですよ。
貴女のブログは いつも 興味深く拝見しています。
とってもお若くて 気後れしていますが、
コメントを頂くのが2回目になると
さすがに失礼かと、思い切って(笑) コメントしています。
これからも 私が行ったことのない、色んな所を
写真と軽快な文章で 拝見するのを楽しみにしています。
ありがとうございました。
おはようございます。
なんか大げさに書いちゃったかしら 苦笑。
学問的に探究するわけではなく、単にどんな思想や価値観が
あるのかしら?という好奇心なんですよ~。
山道沿いの石像はもっとたくさんありました。
でも、だんだん歩きが苦しくなって、写真を撮る余裕を
なくしたので 苦笑。
コメントありがとうございました♪
「そこに象徴される思想や価値観」。私も宗教建築物は好きなのですが、厳かな雰囲気と歴史的背景に圧倒されることはあっても、思想や価値観まで考えたことがありませんでした。そういうところまで感じとりながら訪れたらもっと楽しいでしょうね♪
山道沿いの石像三体も可愛らしいです^^