孤独死~世代女性に静かに波紋 元タレント・飯島愛さんの死を投稿した後に気付きましたが、
この記事では、「飯島愛さん(享年36)」になっております。
享年?
享年?行年?満?数え年?
その違いは?
Wikipediaによると、
≪享年(きょうねん)とは、人が「天から享(う)けた年数」という意味。
この世に存在した年数。
「行年(ぎょうねん)」ともいい、「娑婆で修行した年数」、「行(時が進むの意味)[1]の年数」の意味。≫
享年=行年?
違いがよくわからない
仏教ちょっと教えてによると、
≪Q:仏教では、歳は「満」で数えるのでしょうか。それとも「数え」でしょうか。
また、「享年」・「行年」の違いを教えてください。
A:仏教での歳の数え方というご質問ですが、はっきりしたことは解りません。
逆を申せば絶対的な決まりはないということだと思います。
インド大使館に問い合わせましたところ、現在インドでは満年齢ではなく数え年で人の年齢を表記するということでした。公文書もこの年齢で記載されるそうです。お釈迦さまの時代のことは調べておりませんが、多分数え年をやはり用いていたのではないかと思われます。
中華人民共和国の大使館には電話がつながらなかったため、中華民国(台湾)の観光協会に電話してお尋ねしたところ台湾でも数え年を使用しているとのことです。
また本願寺派の教学研究所に問い合わせたところ本願寺派過去帳(本願寺出版社)の「過去帳又はこれに類する帳簿の取り扱い基準」には享年、行年は用いずに年齢としているとのことです。しかし、日本でも戦後まで数え年が一般に使われていました。そう考えるとお釈迦さまをはじめ祖師方の伝記や年表に出てくる年齢は満年齢ではなく、数え年で記載されていたと言うことです。
ある先輩のお坊さんから「私たちは十月十日、母体で育てられていたのだから生まれたときに初めて人間となるのではない」という話を聴いたことがあります。そういう意味で生まれた時に、すでに一歳と数える数え年は私たちが「いのち」というものをどう戴いていくかという意味で深みがあるように思われます。
しかし現在浄土真宗本願寺派の宗務所では満年齢で所属している門信徒の方を記録しているようです。私がお尋ねした範囲の寺院では数え年を用いている寺もございましたが、現在では満年齢を用いている寺の方が多いようです。
また「行年」を中村元師の『佛教語大辞典』で調べますと「現在の年齢」と記載されています。「享年」は「佛教語大辞典」には記載されておりません。『広辞苑』では「(天から享うけた年の意)この世に生きながらえた間の年齢。」と記載されています。
一般にはどちらも「亡くなった年齢」として用いられているようですが、「行年」の方は必ずしも死亡した年齢ということに限定されてはいないようです。また広辞苑の「享年」の解説には「天」という語が用いられているところからすると仏教用語から一般に用いられるようになった語彙ではないのではないかと推察されます。
私の所属寺では「行年」を用いていおりますが、「享年」も一般の用例に従って使っている寺院もあるかもしれません。≫
やっぱりよくわからない。
またまたWikipediaによると、
生年月日 1972年10月31日
没年月日 2008年12月
ということは、満36歳で亡くなったことになります。
人が亡くなると、
葬儀ときは、白木の位牌に戒名が書かれています。
その裏には、俗名と年齢。
数え年=行年の場合が、多いと思うんですが、享年○○歳と書かれていることもある。
この場合の、享年は数え年。つまり行年。
飯島愛さんは、満36歳で亡くなったのに、享年36歳と表記するのは間違っているのでは?
一般的に報道では、満年齢で表記している。数え年では表記していませんよね。
もしかして、
生きている人は、満○○歳で表記して、
亡くなったら、満年齢を享年○○歳で表記している?
結論として、
亡くなった人を「享年○○歳」と表記するのは、間違っている。
という結論に達しました。
たぶん、ニュース記事を書いている人も、享年と行年と満の違いがよくわかっていないんでしょうね。
この記事では、「飯島愛さん(享年36)」になっております。
享年?
享年?行年?満?数え年?
その違いは?
Wikipediaによると、
≪享年(きょうねん)とは、人が「天から享(う)けた年数」という意味。
この世に存在した年数。
「行年(ぎょうねん)」ともいい、「娑婆で修行した年数」、「行(時が進むの意味)[1]の年数」の意味。≫
享年=行年?
違いがよくわからない
仏教ちょっと教えてによると、
≪Q:仏教では、歳は「満」で数えるのでしょうか。それとも「数え」でしょうか。
また、「享年」・「行年」の違いを教えてください。
A:仏教での歳の数え方というご質問ですが、はっきりしたことは解りません。
逆を申せば絶対的な決まりはないということだと思います。
インド大使館に問い合わせましたところ、現在インドでは満年齢ではなく数え年で人の年齢を表記するということでした。公文書もこの年齢で記載されるそうです。お釈迦さまの時代のことは調べておりませんが、多分数え年をやはり用いていたのではないかと思われます。
中華人民共和国の大使館には電話がつながらなかったため、中華民国(台湾)の観光協会に電話してお尋ねしたところ台湾でも数え年を使用しているとのことです。
また本願寺派の教学研究所に問い合わせたところ本願寺派過去帳(本願寺出版社)の「過去帳又はこれに類する帳簿の取り扱い基準」には享年、行年は用いずに年齢としているとのことです。しかし、日本でも戦後まで数え年が一般に使われていました。そう考えるとお釈迦さまをはじめ祖師方の伝記や年表に出てくる年齢は満年齢ではなく、数え年で記載されていたと言うことです。
ある先輩のお坊さんから「私たちは十月十日、母体で育てられていたのだから生まれたときに初めて人間となるのではない」という話を聴いたことがあります。そういう意味で生まれた時に、すでに一歳と数える数え年は私たちが「いのち」というものをどう戴いていくかという意味で深みがあるように思われます。
しかし現在浄土真宗本願寺派の宗務所では満年齢で所属している門信徒の方を記録しているようです。私がお尋ねした範囲の寺院では数え年を用いている寺もございましたが、現在では満年齢を用いている寺の方が多いようです。
また「行年」を中村元師の『佛教語大辞典』で調べますと「現在の年齢」と記載されています。「享年」は「佛教語大辞典」には記載されておりません。『広辞苑』では「(天から享うけた年の意)この世に生きながらえた間の年齢。」と記載されています。
一般にはどちらも「亡くなった年齢」として用いられているようですが、「行年」の方は必ずしも死亡した年齢ということに限定されてはいないようです。また広辞苑の「享年」の解説には「天」という語が用いられているところからすると仏教用語から一般に用いられるようになった語彙ではないのではないかと推察されます。
私の所属寺では「行年」を用いていおりますが、「享年」も一般の用例に従って使っている寺院もあるかもしれません。≫
やっぱりよくわからない。
またまたWikipediaによると、
生年月日 1972年10月31日
没年月日 2008年12月
ということは、満36歳で亡くなったことになります。
人が亡くなると、
葬儀ときは、白木の位牌に戒名が書かれています。
その裏には、俗名と年齢。
数え年=行年の場合が、多いと思うんですが、享年○○歳と書かれていることもある。
この場合の、享年は数え年。つまり行年。
飯島愛さんは、満36歳で亡くなったのに、享年36歳と表記するのは間違っているのでは?
一般的に報道では、満年齢で表記している。数え年では表記していませんよね。
もしかして、
生きている人は、満○○歳で表記して、
亡くなったら、満年齢を享年○○歳で表記している?
結論として、
亡くなった人を「享年○○歳」と表記するのは、間違っている。
という結論に達しました。
たぶん、ニュース記事を書いている人も、享年と行年と満の違いがよくわかっていないんでしょうね。
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