今日は『山の日』なんだってさ。
今では、『富士山』は世界的に認知度があり、外国の人々も認めてくれています。
火山国、日本。
日本のあちこちに『富士見台』とか『富士見町』と言う町の名称があれば、以前はそこから富士山が見えたからです。
その後、住宅が建ち並び数が増え、高層ビルが増え、山の樹木も伐採されず伸び放題、戦後の日本は植林ブームであちこちで人工林つまり、杉、檜が植えられてこれまた伸び放題。
住宅用の材木の予定で植えた杉、檜(今では『桧』と言う簡単な文字が使われている)が、その後、外材が日本のよりも安く日本に輸入されるに至り、今までの杉、桧は重要視されなくなって、これまた伸び放題と自然任せ(放置林)と成りました。
(そこには数々の問題もありますが、その事については割愛します。)
さて、富士山は今まで良く研究が成されていなかった頃、『休火山』だなんて、適当な理解で言われていた公式見解がありました。
日本全体には200を越える活火山、3000を数える活断層があると今日では発表されています。
つまり、今日の理解では『休火山』等と言う間違った理解を提唱する人はいません。
それを言うのは、火山を知らない人くらいです。
今現在は、様々な角度からの火山の研究が成されていて、本屋さんや図書館に行けば、その全体的な火山の理解が得られます。
さて、富士山は1707年に噴火し、その後も、1800年代に噴火した事があります。
その噴火の時に、今で見る富士山の形は少し形状を変えるに至りました。
これは私が今から三年前くらいに友達たちと東名を走る途中、見かけた富士山です。
この日には、高速道路沿いに富士山が何回も観られて幸いでした。
大概、新幹線の中から富士山を見ようとしても、曇りの日が多くて、富士山を観られない事が多々ありました。
処がです、その日は、、、
こちらは帰りの富士山です。
東海道側からも第二東名側からも、行き帰り共に高速から何と富士山に出会えました。
『富士山』は日本の屋台骨です。
3776mもあれば、日本のどこからでも見えた事が分かります。
それで、日本のあちこちにその名前に因んだ名称の町町が残っているのです。
以前の噴火の時には、江戸時代に火山灰がかつての江戸まで飛んでいったそうです。
野菜の上に降り積もると、野菜はダメになり、降り積もった火山灰の上に雨が降ると、滑るそうです。
それを片付けるのも大変でしょう。
尚且つ、火山灰が降る盛りには出歩くと、火山灰が呼吸器に入り肺に入ると致死的です。
まるで今現在のPM2.5みたいな話です。
マスク処か、防毒マスクでも付けて歩かないと体に悪いです。
そうしたシーンを思い描いただけでも、異様なシーンに思えます。
皆が皆、防毒マスクを付けて生活、仕事をしているのです。
昔の防毒マスクをつけた姿は(観たことは無いですが)まるで『宇宙人だらけ』だと思います。
現在では、それに変わる簡易で効果のあるマスクは今の技術で出来ないのでしょうか?
そちらの話も、現代科学上の不可思議な話です。
人は、そんな大変な国に生まれ、育ち、生活していても、
300年経てば人は再びまたそこへと移り住んで来ると学者は言われています。
それでも、『富士山』は魅力的であり、山は人を呼び付け、引き寄せる力をいつの時代も持っているのです。
人は、そうした富士山などの山々が見えると、『顔をほころばせ』『嬉しくなり』『きっと良いことがある』と思うのです。
特に明確な保証があるわけでもありませんが、そう感じるのです。
日本だけの火山が噴火しているわけではありません。
あのネパールの8000mを越える山でも地震があり、
東南アジアのある国の有名な山も、今まで噴火したことも無いと言われていたのに噴火を始めました。
日本のある県の有名な山々も、地震があり、噴火も再び始めました。
私が若い時に、その山は噴火し群発地震が毎日の様に有りました。
地球全体で山々があれば、地球が生きているので地震も噴火もあるのだと言えます。
問題は、地震や噴火が有るか無いかよりも、大切なのはその時にどうやって自分の身を守り、災害に備えるかです。
自分独りでは無いので、家族と話し合い、
その時に互いに各々どうするか?
何処へ逃げるか?
何処で再び家族は集まるか?
と言うことを真面目に、真剣に相談し家族で話し合いをしておく事が必要です。
日本の災害には、地震、地割れ、津波、暴風雨、台風、竜巻、雹、豪雪、豪雨、海洋と気象変動など、色々な災害により逃げる場所が各々異なります。
気象変動と温度上昇。
炎天下で。↓↓
それを、1つ1つ面倒臭がらず、自暴自棄にも成らず、想定して置くことが、再び家族が互いの顔を見るためには必要なことです。
山々は、気象が急に変わります。
午前と午後ではまるでその山々の顔が違います。
幾らどれ程山々が大好きであっても、それは『人間』の様なお友達とは違い、『山々』は私たちとは違う存在であり、畏敬と畏怖の念を忘れない事が私たち弱い存在である人間が自分の命・健康・幸福を守ることに繋がります。
人は、生まれ育った所の山々を愛しています。
しかし、愛していても、山々にその気持ちは伝わりません。
1人1人が恋する気持ちを山々は分かってもくれない時があります。
山は恋人!
その恋人は人を振る時もあり、です。
地球の上に住んでいても、その山々の本当の裾野は海底の、深海の、更にその奥に山の始まりがあります。
そこが揺れたなら、ずっと上にある山々は沢山、大きく揺れるに決まっています。
海抜0から地表に出た山々だけが、決してその山の高さではないのです。
ですから、実は富士山は海底からの高さは1万3776mを越えているのです。
エベレストも同じです。
その今の高さに一万メートルを足さなければ、本当の高さには成りません。
海抜だけで考えているとトンでもないことが起きます。
私はそう思います。
私の町で一番高い山は、300mを少し越えています。
私の県では1400mを越えています。
私のいる場所の海抜は9mでマンションは高さが更に15-18mあり、海抜を加えると、24_27mになります。
私は調べてからそこに住むことにしました。
私の町には、海抜0m、1m、2mと電信柱に記載されている所があります。
殆どの人々は、それを何とも思わず神経も使わない人が多いです。
今日は『山の日』だそうです。
この話の主題に相応しく、『山の日』記念にこれを書きました。
美しくて、壮大な、山々。
神々しい山々。
その反面、
怖い危険性も内在している山々。
その両面を持ち合わせているのが本当の山々の姿です。
それを思うとき、山も人も実は変わらない面もあります。
人は人間として、
優しくて・美しくて、
癒やされる人の側面もありますが、
獰猛な猛獣以上に、
人間なのか獣なのか、分からないほど怖い存在としての人の姿も内在しています。
人と山。
それはどのように制御、統一、自制出来るのでしょうか?
文字通りの『山の日』に思う、もう1つの象徴的な『山々』としての『人間の明日』を思わざるを得ないのです。
©️11 August 2019.
Words/YamanoshitaHyakuzen.
Photo/Yamashita Hideji.
Shanxis story.
長い山の話にお付き合い頂けたあなたに心から感謝します。
ありがとうございました。
#7日間チャレンジ#みんなのブログ#花 #山の日 #No.7/7日間#No.54,g.b.
植物ワンポイント。
アクセントカラーは、桃色、黄緑色、赤色と中央に一部、アクセントカラーが現れます。
『ニチニチソウ』。
この花の親戚関係の植物。
この花と葉の形は少し違いますが、この植物は有毒の『キョウチクトウ』と親戚の関係にあります。
そちらは、学校の校庭などに植わってあります。
花は赤、桃、白の種類を観たことがあります。
しかし、その樹木の幹や枝は有毒汁が出ます。
亡くなる方や樹木汁でかぶれることがあります。
十分、お気を付けください。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます