「自分たちで育てたお米」
新米の香りと味は最高です!!!
キッズファームのお米の収穫
臨時休園中にわずかに登園した子ども達で刈り取りをしましたが、
今年は、脱穀もスタッフの方で終了しました。
ですが、
春には子ども達が田踏みをして、田植えをしたお米なので
脱穀の様子を皆様にお知らせいたします。
そして、今日(25日)のおやつは、おにぎりと漬物でした。
お昼がスパゲティーだったので、おにぎりを美味しくいただきました。
「自分たちで育てたお米」
新米の香りと味は最高です!!!
キッズファームのお米の収穫
臨時休園中にわずかに登園した子ども達で刈り取りをしましたが、
今年は、脱穀もスタッフの方で終了しました。
ですが、
春には子ども達が田踏みをして、田植えをしたお米なので
脱穀の様子を皆様にお知らせいたします。
そして、今日(25日)のおやつは、おにぎりと漬物でした。
お昼がスパゲティーだったので、おにぎりを美味しくいただきました。
今日は、台風のため、農園は臨時休業となります。
台風8号「バービー」通過中。
農園はそれほど風の強さを感じませんでしたが、
さすがに港の近くは、
風が強く、よろめきながら写真を撮りました。
(午前7時頃)
台風前によく見られる真っ赤に染まった西の空でした。
(22日 夕刻)
台風の影響で昨日から降った雨は、
恵みの雨となりました。
この先に4つのマンゴーハウスが並んでいます。
この一帯を昔は「タブクル」と言っていました。5,6枚の水田群があったところです。
いくつかあった作場にそれぞれの名前があった。
現在の「シャロン農園」と「こども園」一帯を「タンブ」と称していた。
そして、何枚かある畑には名前が付いていた。
現在のこども園のグランド辺りが、「イシガマパッタイ(小さい石ころの畑)」
町道をはさんで東側、現在は他人の所有地になっているが、「アガリダフ(ひがしの○○)」
この「ダフ」という言葉を正確に説明できないところが悔しい。
いつか判明させたいところである。
私の父の実家は、「メーダフ」という称号で、
やはり「ダフ」という接尾辞になっている。
なんとなく答えが出てきそうではあるが……。
私の屋号は、「イーメー(西の前側)」。
隣が「イーヌッスー(西の後ろ側)」である。
「アガリ」と「イー」は東と西である。
子どもの頃、祖母と一緒にタンブに通った。
私は祖母が大好きで、祖母との思い出が大きい。
畑に通った記憶には母も兄の姿も出てこない。
今では車で5分。1日に何度も往復する場所であるが、
当時、タンブに行くと言えば大きなイベント程の重みがあった。
何となく待ち遠しかった。
今のような道は無く、
道といえば現在の県道が、荷馬車の通り道ほどのものである。
私の子ども時代には車が無く、
鹿児島航路の船便で届く荷物を運搬する「クルマピキャー」の荷馬車であった。
その直後に誰かが所有する、ブルーの「オート三輪者」1台があったことを記憶している。
そんな時代なので,
「ハッパ」と言われたダイナマイトでサンゴを砕き、里道を少し広げただけの道であった。
重機の無い時代に出来た公道は、結構な起伏に富んでいた。
今の基アパートの付近を「タンブミョーバナ」と言っていた。
そこから細いあぜ道に入り、木々のトンネルをくぐってたどり着くのが、
現在のシャロン農園であり、ハレルヤこども園である。
次に畑に行くまでにはそれなりの日数が経っていたのであろう。
徒長したノイバラ(サーラキ)、アダン(アダンニ)、ソテツ(シトゥチ)の葉っぱ等が行くてを塞いでいた。
そのたびに祖母が、カマで道を切り開き、やっとたどり着ける作場でもあった。
「インエー、インエー」と気合をかけて、
行く手を阻む雑木を切り開く祖母の掛け声がいまにも聞こえてくるようだ。
遺しておきたい言葉の一つだ。
エネルギーがほとばしり出る生きた言葉(掛け声)でもある。
これらは子どもの頃の私にとって非日常を味う特別な日であった。
そこら一帯は今でいうムーミン谷であったようだ。
広大な(現在の私からみるとそれほどでもないのだが)農地には、
「タブクル(田袋ー水田群)」もあった。
雨期になるとあぜ道が水没して、一帯が湖のようになり、
そこで水につかって自由に遊んでいるうちに時間が経つ。
そのようにして大人の仕事の終わりを待っていた。
そのタブクルが現在のマンゴーハウスの周辺である。
幼児期に最も大切な自由遊び、しかもおもちゃといえるものが一つも無い、
自然の中での自由遊び。無限の想像力が発揮される環境である。
そのような貴重な体験ができた思い出の詰まった場所である。
私が今夢中になっている「子どもの環境作り」は、
私の魂にしっかりと根付く、
幼少期の頃の原風景の再現なのかもしれない。
農業ボランティアで6月から頑張っていただきました。
一番暑い最中に、たくさんの作業を淡々とこなしていただき、
本当に助かりました。
農学部出身者で、
マンゴーやアテモヤの剪定作業も呑み込みが早く、
安心して作業を任せることができました。
「ミッシーク トートゥガナシ」
「マタ、ウワーチタバーリョー」
本当にありがとうございました。また、おいでくださいネ。
午前の休憩。
農園最後の日(8月20日)
最後の仕事。
パッションフルーツの剪定
シャロン農園は、ハレルヤこども園の日常的な散歩道ですが、
結構、アップダウンがあり未満児が全部回るにはちょっとハードかもしれません。
今は、旬の果物が一杯実をつけています。
メインのマンゴーもまだす少しだけ残っていますが、
グアバ、レンブ、ドラゴンフルーツ、島バナナ。
昨日は、
キリン組さんとリス組(4,5歳児)さんの農園探検ツアーがありました。
ミキ先生のレポートをご紹介します。
農園探検にいこう!と
(事前に農園の先生におすすめスポットを聞くとレンブの実が食べられるとのことでした♪)
3クラスのなかから希望者を募って24名で出発!
ともゆき先生が案内してくださいました。
『これはみかんの木だよ。寒くなったら実がつくから見ておいてね。』
『こっちはアボカドの木なんだよ。』等、
木の実ツアーをしてくれました。
そしてたどり着いた、レンブの木!
「わあーーーなにこれぇー!」とこどもたち。
ともゆき先生が脚立に上り、実をがぶっと、
「ん~~おいしぃいい~~!!!!!」
と誰よりも美味そうに食べていたのがこどもたちの印象にも残ったと思います!
「ほしいほしい~!」と皆が手を出しました。
代表できりん組の3名に手指の消毒の上、食べてもらい、食レポをお願いすると
「りんごみたい」「おいしいっ!」とモグモグ。
中には臭いをかいで、「くさい」と言う子もいましたが、それほどその場にレンブの香りがただよっていました♪
残りのみんなはおやつの時間に食べることにしました。
その先を進むとグアバを発見!!!「先生とって!…それじゃなくて、そっちの、そうそうそれ!」
ちゃんとグァバの色を見極めて、欲しい実を指定していました^^
待ちに待ったおやつの時間⌚
給食の先生が、レンブとグァバを切ってくださいました。
「こっちにする!」
とそれぞれ食べたい方を選び、いざ実食。
(慎重に食べ始めました)
食べたことのない、あまり見慣れていない果物におそるおそるでしたが、
食べてみると「おいしい!」
食べおわったあとも
「美味しかった!!」
と口を揃えて言っていました。
季節ごとに木々の様子は変化していきます。
今後もこどもたちと探検に通って自然に目を見張り、変化を捉え、
口にできる木の実がたくさんあることに感謝もしていきたいと思いました。
(けっこういけるかな~?)という感じですか?
グアバは
私が子どもの頃は(60年も前の話ですが……)
夏休みは、
畑に行って食べごろのバンシュルイを見つけることが大きな楽しみの一つでした。
熟し方にいくつかの表現があります。
●「アンクルイ」 …… まさに食べ頃の完熟したものです。
当時は、どこの家庭も、この時期は果物といえば野生のグアバしかありませんしたので、
あぜ道や畑の隅っこに、雑木に混ざって生えていました。
完熟するまで……と、もぎ取るのを我慢して
楽しみにして次来てみると誰かに先を越されてしまっています。
獲得競争が激しく、悔しい思いをしたことが度々でした。
「アンクルイの香り」
最高です。個人的に、芳香性はどの果物より勝っていると思っています。
それを見つけた時の胸の高鳴りは今でも忘れられません。
いちもくさんに駆けよると、
必ずと言っていいほどハチの巣があったこと記憶しています。
ハチの護衛隊が、バンシュロをガードしていました。
出校日に、お岩さんのような顔をした友達がチラホラいましたネ。
貴重な果物をゲットするために勇敢にたたかった兵士達の勲章です。
最後に、(余計な話と思いましたが、懐かしい話なのであえて付け加えておきます)
指先にチョコットおしっこをつけて、ハチ刺されの個所を消毒していました。
(私だけかな……?)
●「サーノー」 …… 食べごろにはまだ少し間がありますが、見つけた時に確保しておかないと
次見るときは、誰かに先を越されているかもしれません。
追熟させると美味しくなります。
●「カッパチバンシュルイ」
「イシカッパチ」 …… まだまだ青い実で、欲張って先取りのし過ぎです。
しかし、
昔は家々にコメヌカがありました。
「サーノー」や「カッパチバンシュルイ」を米ぬかに暫く保存すると、
追熟が上手くいったという記憶があります。
美味しそうなものをスーパーから買ってきて、
冷蔵庫から取り出してなんでも自由に食べるという、
現在の姿からは全く想像もつかないことだと思います。
食べるため(大げさに言えば「生きるため」)の子どもなりの努力が必要でした。
貧しい時代でしたが、
子どもなりに知恵を使いながら大きくなったことがとてもいい思い出になっています。
最後にもう一つ、「ミジバンシュルイ」という大きめの実をつける種類のものがありました。
野生の在来種でも、小ぶりのものや果汁が豊富で大きめの実が付くものなど、
違うタイプのものがありました。
品種が違うのか、土壌や生育環境の違いなのかはよく分かりません。
ー グアバ物語 終わり
今年の夏、与論島への旅を断念せざるを得なかった多くの方々へ。
シャロン農園から与論の海をご紹介いたします。
写っているのはハレルヤ児童センターの学童さんたちです。
ここは何と、
嵐のMVで松本潤さんが歌っていた場所です!
夏休みになった途端にコロナの緊張が走った子ども達でしたが、
それを吹き飛ばすように弾けていた子ども達です。
照りつける太陽の下、
真っ白な砂浜で元気よく準備体操。
曲は、那間小学校の校歌でした。
準備体操が終わると、
号令で一目散に駆け込んでいました。
純白で眩しく広がる砂浜。
どこまでも青くすみきった海。
おだやかな海面には、
子ども達のパワーが炸裂する。
飛び散る波しぶきは、
静まり返っていた日常に、
突如として、生けるものの溌剌とした息吹を吹き込む。
青く澄んだ空に浮かぶ柔らかな白い雲。
深い緑の海岸植物にどっかりと腰を下ろす白亜の建物が、
ウドノスビーチにとけこんで久しい時が過ぎた。
人間飛び込み台の役をこなしているのは、
調理師のカズシさん。
もう一つの顔は、即応予備自衛官です。
先日は、災害派遣で熊本県の人吉市に行っていました。
そして、
学童のOBとして、野外活動にはいつも積極的に参加しています。