空には白い月が薄くまるく、とてもよそよそしく浮かんでいた。
ビー玉のような眼を空に向け、何思う猫がその月を見ていた。
私はその小さなガラス玉に映り込んだ、さらに小さく歪んだ月を見るのが好きだった。
猫の目に映ったその月を見るたび、スノードームを思い出すのだ。
幼いころ、母がいつも使っていた古い小さな座り机があって、その上にいつもそっと置かれていた丸いガラスの置物。ひっくり返すと雪がワッと舞い散って落ちる、あのスノードームだ。
母はそのガラスの置物をとても大切にしていて、心の機微があると必ずそれを手に取り、光に当てたりひっくり返したりして、しばらくぼんやりと眺めるのが常だった。
私の育った地域では雪はあまり降らなかったが、ごくまれに寒い冬があって珍しく雪がはらはらと降るのを見たとき、どこかの誰かが、なにか心が揺れることがあったのを静めるために世界をひっくり返したのかな、と幼心に思うのだった。
その誰かの哀しみを、閉ざされた世界の中で私たちが知らず慰めているのだと。
季節を問わず母の机に置かれたスノードーム。
移ろいゆく景色を映す猫の眼の中に、幼き日々の褪せた匂いがよみがえる。
小さなガラス玉の中の、特別な世界。