2014年08月10日
晴れた日にはいつかの晴れた日のことを、雨の日にはどこかで降っていた雨のことを思い出す。台風の日には遠き日の荒れた大気を記憶の底から呼び起こす。
ところが今日の台風は、なぜだか若き日の冬のある場面が脳裏に浮かんだ。
まだ二十代の終わり頃、都会で働いていた当時の職場の上司にあたる女性と、後輩になる男の子と三人で、乾いた風を受けて横断歩道を渡る場面。
それは特にどうということもなく、何があったというものでもなく、ただ淡々と過ぎた時間のひとコマに過ぎない。今までその場面を思い出したことが果たしてあったのだろうか、というくらい、自分の人生においては流れゆく背景でしかない場面。
けれどその何もない背景のひとコマを脳裏に見た時、何故だかとても大切なものがそこにはあったのではないだろうかという気がした。
ところが今日の台風は、なぜだか若き日の冬のある場面が脳裏に浮かんだ。
まだ二十代の終わり頃、都会で働いていた当時の職場の上司にあたる女性と、後輩になる男の子と三人で、乾いた風を受けて横断歩道を渡る場面。
それは特にどうということもなく、何があったというものでもなく、ただ淡々と過ぎた時間のひとコマに過ぎない。今までその場面を思い出したことが果たしてあったのだろうか、というくらい、自分の人生においては流れゆく背景でしかない場面。
けれどその何もない背景のひとコマを脳裏に見た時、何故だかとても大切なものがそこにはあったのではないだろうかという気がした。
それが何なのかは分からない。
その場面そのものなのか、その時期なのか、それともその人たちとの関係なのか。
過ぎてしまった遠い過去の、とりとめのないそういう場面は、確かにその時そこに存在したにも関わらず、まるで雪がとけるように儚く、ただ己の中だけでの想像に近い産物と化する。
だとすれば、今この瞬間とて未来の私にとっては、もはや現実なのか夢なのかの区別も危うくなるほどの、はかない時間を紡いでいるだけなのでは?
そして、いつか年老いた私はまた思うのだろうか。
あの時あの瞬間、確かに大切な何かがあった気がするのだと。
色褪せる前に、そういうものたちを取り出しそっとリボンをかけて、大切にしまっておけたらいいのにな。
過ぎてしまった遠い過去の、とりとめのないそういう場面は、確かにその時そこに存在したにも関わらず、まるで雪がとけるように儚く、ただ己の中だけでの想像に近い産物と化する。
だとすれば、今この瞬間とて未来の私にとっては、もはや現実なのか夢なのかの区別も危うくなるほどの、はかない時間を紡いでいるだけなのでは?
そして、いつか年老いた私はまた思うのだろうか。
あの時あの瞬間、確かに大切な何かがあった気がするのだと。
色褪せる前に、そういうものたちを取り出しそっとリボンをかけて、大切にしまっておけたらいいのにな。
(別サイト投稿分)
2024年10月13日
10年前にわからなかった「何か」とは、「若さ」なのではないかしら、と10年後の私は思っている。
分からなかったのは、まだあなたが若さの中に居たから。
10年前のあなたは、その日のことを風の匂いまで思い出し、それでも過ぎて行ってしまう日々をはかなく、無意味なのではと思ったけれど、未来の私は、この記事を書き置いてくれたあなたの行為が、その思いが、とても嬉しい。
ちゃんとリボンをかけて大切にしまっていたじゃないの。