中国入国早々、私はとある国境にある小さな村で、国境警備隊と思われる軍服を着た男たちに尋問された。私は午前中に野鳥を射止めた彼らに捕獲され、連れて行かれたあとそこで昼食をご馳走になり、‘没有達来(めいよごうらい=もう来るな)’という言葉とともに、町へいくバスに乗せられた。
その村へ行くのには何の手間もかからなかった。地元民同然の恰好をした私に切符売り場のおばちゃんは笑顔で切符を売ってくれたため、そこに行くと注意されるなどとは思ってもみなかったのである。実際、そこを訪れるのは、初めてではなかったのだ。
夕方そこへ到着、昔なじみの旅館の家族と再会し、ゲームを楽しむ客とも談笑し、田舎の澄んだ夜空を眺め、晩はぐっすり眠った。それが最後の晩になるとも思わずに。
翌日の朝一番の散歩がよくなかったらしい。
私が歩いていたのは立ち入り禁止区域だったのだ。
職務質問もそこそこにそのまま車に乗せられ、連れて行かれた先で手荷物チェックと尋問をされた。担当官は二人。
一人は数えで28歳だったので、当時満年齢27歳だったわたしは、(おそらく同年であろう)彼に対して<哥哥(グーグ、お兄さんの意)>と呼ぶように言われた。もう一人は数えで26だったので私を<姐姐(ジェジェ=お姉さん)>と呼び、冗談で他の同僚に紹介する余裕を見せた。
どうやら私は逮捕されたのではなく、ただ珍しい日本人の訪問者と話をしたかっただけなのだろうと思われるほど、彼らの態度は友好的で親切だった。
昼食後、私が何の気なしに皆の食器を片付けただけで<不要、不要!!>と全員慌てて集まってきて私をなだめたのが、その証拠である。
結局、私は強制的に町へ戻るバスに乗せられ、村を離れることになった。
バスが来るまでの間、私と担当官、その他の若い軍人たちは‘交朋友(交友)’を楽しんだ。バスが来たとき、あらかじめ旅館から引き取っていた私の荷物をバスの中に押し込み、笑って手を振って別れた彼らの姿を、私は忘れない。
国の為に故郷を離れ、厳しい訓練にいそしむ青年たち。彼らの澄んだ瞳に、私のような自由旅行をしている日本人は、一体どう映っていたのだろう。
私は彼らの名前を知らない。
一日だけ私の弟分になった彼、日本にいる私の友人を思い出させるその弟分について私が知っていることといえば、彼が数えで26歳だったということだけだ。
私は彼らと過ごしたあの楽しい数時間を思い出すたび、私の弟分になったあの担当官を<あるしゅうりゅう=二十六>という名で思い返すことにしている。
二十六の<姐姐>という声が、今も私の耳にはね返る。
その村へ行くのには何の手間もかからなかった。地元民同然の恰好をした私に切符売り場のおばちゃんは笑顔で切符を売ってくれたため、そこに行くと注意されるなどとは思ってもみなかったのである。実際、そこを訪れるのは、初めてではなかったのだ。
夕方そこへ到着、昔なじみの旅館の家族と再会し、ゲームを楽しむ客とも談笑し、田舎の澄んだ夜空を眺め、晩はぐっすり眠った。それが最後の晩になるとも思わずに。
翌日の朝一番の散歩がよくなかったらしい。
私が歩いていたのは立ち入り禁止区域だったのだ。
職務質問もそこそこにそのまま車に乗せられ、連れて行かれた先で手荷物チェックと尋問をされた。担当官は二人。
一人は数えで28歳だったので、当時満年齢27歳だったわたしは、(おそらく同年であろう)彼に対して<哥哥(グーグ、お兄さんの意)>と呼ぶように言われた。もう一人は数えで26だったので私を<姐姐(ジェジェ=お姉さん)>と呼び、冗談で他の同僚に紹介する余裕を見せた。
どうやら私は逮捕されたのではなく、ただ珍しい日本人の訪問者と話をしたかっただけなのだろうと思われるほど、彼らの態度は友好的で親切だった。
昼食後、私が何の気なしに皆の食器を片付けただけで<不要、不要!!>と全員慌てて集まってきて私をなだめたのが、その証拠である。
結局、私は強制的に町へ戻るバスに乗せられ、村を離れることになった。
バスが来るまでの間、私と担当官、その他の若い軍人たちは‘交朋友(交友)’を楽しんだ。バスが来たとき、あらかじめ旅館から引き取っていた私の荷物をバスの中に押し込み、笑って手を振って別れた彼らの姿を、私は忘れない。
国の為に故郷を離れ、厳しい訓練にいそしむ青年たち。彼らの澄んだ瞳に、私のような自由旅行をしている日本人は、一体どう映っていたのだろう。
私は彼らの名前を知らない。
一日だけ私の弟分になった彼、日本にいる私の友人を思い出させるその弟分について私が知っていることといえば、彼が数えで26歳だったということだけだ。
私は彼らと過ごしたあの楽しい数時間を思い出すたび、私の弟分になったあの担当官を<あるしゅうりゅう=二十六>という名で思い返すことにしている。
二十六の<姐姐>という声が、今も私の耳にはね返る。