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ジェシル、ボディガードになる 98

2021年04月26日 | ジェシル、ボディガードになる(全175話完結)
 ジェシルは会場に入った。むっとした熱気に気圧され、出入りの扉の傍に立ち止まる。八面に仕切られた試合場は、もう終わりに近づいているからだろうか、三面しか使われていなかった。しかし、歓声は凄まじい。
 ジェシルは貴賓席を見た。ジョウンズと『姫様』は立ち上がって闘いを見ている。ミュウミュウが言っていたように、本当に二人とも格闘技が好きなのだろう。ミュウミュウは椅子に座ったまま、退屈そうにしていた。
「あら、ジェシルじゃない!」ジェシルが声の方を見ると、ミルカが笑顔で立っていた。左右の頬と額に絆創膏が貼られている。「そろそろねぇ……」
「その様ね……」ジェシルは答える。ミルカは手にカメラとコンピューターを持っている。「あなたの出番は終わったようね。勝ったの?」
「当り前よ。楽勝だったわ」ミルカは言いながら、額の絆創膏の上を掻く。「本当はちょっと手こずったけどね……」
「それでも、勝ったんだから、大したものよ」
「ありがとう。それでね……」ミルカはカメラをジェシルに向ける。「ジェシルの出番が近付いて来て、視聴カウントの上昇が止まらないのよ。……ねぇ、何かメッセージをもらえないかしら?」
「メッセージ?」
「ええ、全宇宙の男性に向けてのね」
「分かったわ……」悪戯っぽい眼差しのミルカに、ジェシルは苦笑する。ジェシルは咳払いをしてカメラを見る。「……観ているみんな! いよいよ出番よ! 相手はケレスだから勝てるかどうかは分からないわ。でも、もしケレスが勝っても、ケレスを嫌いにならないでね」
「優しい事を言うじゃないか、ジェシル!」いつの間にかケレスがジェシルの隣に立っていた。「だからって、手を緩める気はないよ」
「そうね」ジェシルが笑顔で答える。「それは望む所だわ」
 ミルカのカメラが、並び立つ二人を交互に映す。突然、試合と関係のない歓声が、観客席のあちこちから上がった。観客の中にも配信を見ている連中がいるようだった。ケレスはジェシルの肩を軽く叩くと離れて行った。
「……ジェシルさん……」ノラが心配そうな顔でジェシルの腕をそっとつかむ。「大丈夫なんですか? ケレスさんは調整充分だけど、ジェシルさんは寝起きです……」
「わたしは寝起きの方が調子良いのよ。からだも頭もね」ジェシルは笑む。「そんな事より、準備をしましょうか、マネージャーさん」
「はい……」ノラは答えるが、不安は隠せない。しかし、頭を何度か振って気持ちを切り替えようと努めた。「そうですよね! マネージャーが心配してちゃ、ダメですよね! 頑張りましょう!」
 ノラは言うと、試合を行う面の確認をしに、会場係の席に向かった。話を聞いてきたノラはジェシルを導く。これから試合が始まろうとしている場所が、それだった。
「……ジェシルさん、この闘いが終わったら、次です……」ノラは緊張した表情をジェシルに向ける。「……この試合、早く終わってほしいような、終わってほしくないような……」
「そんなに気にする事は無いわよ」おろおろしているノラにジェシルは優しく言う。「始まる時は始めるわ……」
 ジェシルは試合場に目を転じた。
 互いが中央に寄る。どちらも若く、厳ついからだをしている。睨み合っている二人の間にピンクと白のストライプのシャツを着た、金髪をポニーテールにまとめた中年の審判が立つ。審判はすっと両者の間に右手を入れる。睨み合ったままの沈黙が続く。
「始めぃ!」
 審判が一喝し、間に入れていた右手をさっと揚げる。それを合図に、互いが右拳を打ち込む。互いが一撃必殺を狙ったのだろう。もの凄い音がして、互いの拳が互いの顔面を捉えていた。二人とも、相手の拳を顔面に当てたままで動かない。審判が様子を見ている。やがて二人は相手の顔面に拳を滑らせながら、前のめりになって行き、同時に床に倒れた。歓声が上がる。
「ジェシルさん、あれって……」ノラがつぶやく。「いわゆる、ダブルノックアウトじゃないですか?」
「そうね。テンカウント内に先に立った方が勝ちね」
「どっちが立つでしょうか?」
「互いにクリーンヒットだったから、どうかしらねぇ。それに、ほら……」ジェシルはある一角を指差す。そこにはケレスがいて、ゆっくりと歩いている。「出番だって分かっているのよ。と言う事は、この試合はおしまいって事ね」
 審判のカウントが始まった。倒れた二人は全く動かない。カウントが終わった。歓声がさらに上がる。
「両者、ノックアウト!」審判が宣言した。「医療班、二人を下げて!」
 医療班数名が、二台のロボ・ストレッチャーと共に現われた。手分けして倒れている二人を診察する。それぞれのロボ・ストレッチャーからアームが伸びて二人を乗せると、会場の外へと運び去って行った。その後を医療班がついて行く。
「次!」審判が声を張る。「ケレス・デイ!」
 ケレスがコールされた。試合中の者たちも審判たちも中断してケレスを見た。
 ケレスは無表情だったが、ぎらついている双眼がジェシルに注がれている。ケレスは場に上がった。その圧倒的な体格と異様な雰囲気に観客は押し黙ってしまう。
「ジェシル・アン!」
 ジェシルがコールされた。ケレスとは一転して凄まじい歓声が上がる。しかし、ミルカの配信先の男たちはともかく、会場内は怒号に近かった。「やられちまえ!」「お前はボスや仲間の仇よ!」などのジェシル批判の声が大半だった。ノラはぷっと頬を膨らませて、観客席を見回した。
 ジェシルは全く気にする事無く、場に上がる。睨み付けてくるケレスに苦笑する。ふと、貴賓席を見た。先程まで座っていたミュウミュウが立ち上がっている。ジェシルと視線が合った。
「……よっしゃ……」
 ジェシルはつぶやく。 


つづく

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