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怪談 青井の井戸 5

2021年09月13日 | 怪談 青井の井戸(全41話完結)
 その日の夕餉、いつも無口のままで終わらせる父が箸を止め、わたくしに訊ねてまいりました。昼間、ふらりと見えられたお坊様の事についてでございます。
「きくの、あの坊主、どこの寺のものだ? 名は何と言うのだ? どんな話をしておったのだ?」
 父の矢継ぎ早な物言いは、悪い事をして叱られた幼少の頃を想い出させるものでございました。また、その口調の強さに、わたくしのみならず、母も、給仕をしておりますばあやも震え上がっておりました。
 「今日初めてお会いいたしましたお坊様でございます。本当に、庭の花の香に誘われていらして、そのまま去って行かれました。お名前は訊きそびれてしまいました、申し訳ございませぬ……」
 わたくしは、父のお顔を見る事が出来ず、うつむいたままで答えました。声が震えていたやも知れませぬ。
「あの坊主、本物の坊主なのか?」
 叱責に近い声で父はわたくしにおっしゃいます。
「……わたくしはそうお見受けいたしました……」
 わたくしはか細く震える声でお答えいたしました。
「他には何も無かったのか?」
 父の疑うような言葉に、わたくしはふと顔を上げました。今まで見た事の無い眼差しをわたくしにお向けになられておりました。その眼差しは、わたくしの心の臓を深く突き通すようでございました。
「それだけでございます……」
 わたくしはそうお答えするのが精一杯でございました。
 わたくしはお坊様に井戸の事を訊ねられた事は申し上げませんでした。話をいたしますれば、頂いた護符に付いても申し上げなければなりますまい。ですが、お坊様は護符に関して他言無用とおっしゃられました。なので、この事は口を噤んだのでございます。とは申せ、話を致しませなんだ一番の理由は、理不尽な物言いの父に対する反抗と言う面であったのかもしれませぬ。父は「そうか」と短くお答えになると、無言で夕餉の続きをお召し上がりでございました。
 夕餉も済み、わたくしは部屋へと下がりました。
 井戸の経緯は幼少の頃に聞いてはおりましたが、お坊様が短いながらも唱えられたお念仏と渡された護符のせいでございましょうか、今まで、庭の一風景でしかなかった井戸が、とても気になってまいりました。
 わたくしは袂に入れておりました半紙を取り出しました。頂いたままの四つ折りでございました。何とはなしに開いて中を見るのが躊躇われていたのでございます。わたくしも、心のどこかでお坊様を胡散臭く思っていたのやもしれませぬ。ですが、井戸の事が気になってしまい、半紙を広げてみたのでございます。そこには、何やら文字が書かれていて、それが人の形を成しておりました。わたくしは薄気味悪く思い、再び四つにたたむと、部屋の隅の文机の上に置きました。


つづく 

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