岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド

自身の頭で考えず、何となく流れに沿って楽な方を選択すると、地獄を見ます

闇 98(破局編)

2024年11月11日 08時47分49秒 | 闇シリーズ

2024/11/0

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百合子が新しく開設したブログ『智一郎の部屋』の存在を知った。

元々『新宿の部屋』でブログ仲間とコメントのやり取りをするだけで、色々文句を言われ、鬱陶しかったので、新しく作った部屋である。

「何で黙ってこういう事をしたの?」

「別に変な意味合いは無いよ。新宿の部屋よりもこっちのほうがやり易かったからなだけで」

「智ちんさ…、私もブログ作って、他の男の人たちと色々やり取りしようか?」

何故そこで異性限定で言うのか?

「やりたいならやりなよ。俺に止める権利なんか無いしね」

俺の台詞に百合子はヘソを曲げだす。

新しい『智一郎の部屋』は、あくまでも小説メインだ。

別に他の女性と仲良くしたくてやっているわけではない。

俺の作品を応援してくれる人たち。

男女年齢問わず、その人たちには感謝のコメントくらい、礼儀で返すのは当たり前だ。

ヤキモチ焼きの百合子は俺がブログ上とはいえ、他の女性陣と仲良くなるのが嫌なのだろう。

それでもらんさんのように体調不良でブログを断念しながら、俺の作品が世にと、応援してくれる人もいる。

牧師妻の望のように、優しい気持ちで俺を応援してくれる人だっている。

ちゃちのように小説応募のコンテストを色々調べ、教えてくれる子もいる。

それだけじゃない。

『忌み嫌われし子』に作品上登場させたブログの仲間たち全員に、俺は感謝を覚えている。

小説を世に出したい。

あくまでも、これがメインだ。

それに対し共に応援してくれる人たちは、俺にとって財産である。

いくらそう説いても、百合子の機嫌が直る事はなかった。

私が一番俺の作品を理解していると言うが、それは見せ掛けに過ぎない。

この時、百合子には俺の作品を応援する権利は無いと思った。

あれだけ罵倒したのだ。

 

久しぶりに百合子が泊まりに来る。

普通に食事をして一緒に寝た。

朝苦しくて起きると、百合子が馬乗りで俺の首を両手で締めていた。

慌てて跳ね除ける。

「何だよ、朝っぱらから」

「誰? 春美って?」

百合子の口から春美というキーワードが出て驚く。

俺が寝言で「春美」と呟いたらしい。

百合子と付き合う前の話だし、俺は彼女の為にピアノを弾き、小説を書いた事を正直に伝える。

「ただ、百合子と付き合ってからは連絡一つしてないよ」

「そんなの私聞いてない! そんな思い出があったなんて」

そこを突っ込まれたら、自分はどうなのかとなってしまう。

百合子の娘の里帆と早紀。

あの子たちは百合子が前の旦那とセックスしてできた子供なのだ。

それでもそんな事を突っ込んだらおしまいだ。

だから俺は気にせずちゃんと愛情を持って接したし、あの子たちの為にと生きてきたつもりだ。

俺は冷静になるよう説く。

「じゃあ望って誰? ちゃちって子は? うめって人もそう。あなたは色々な子に本当格好をつけている」

今出たブログ仲間の女性陣の名前。

俺の小説を色々読んでくれ、長い感想になるからと、俺は携帯電話のメールアドレスを教えた。

つまり勝手に俺が寝ている時に、百合子は携帯電話を見ていた訳である。

「やましい事はしていない。俺にとって小説を読んだくれた人の感想ってどれだけ大切か分かるだろ? それに勝手に人の携帯電話を盗み見て、それで怒り出してさ……」

「智ちんは変わった! 前ならそんな携帯見たくらいで、そんな事を言わなかった!」

「これから百合子、仕事の時間でしょ? とりあえずもう止めよう。俺も整体があるし、百合子も仕事。揉めててもいい事なんて何もないよ」

そう言って百合子を見送る。

波長が合わなくなったな……。

整体にいても、その事ばかり考えてしまう。

岩上整体のドアが開く。

患者かと思い出迎えると、百合子の両親だった。

本川越駅から一つ先の南大塚駅。

そここらさらに徒歩だと三十分以上は掛かる距離をわざわざ来てくれたのか。

中へ招き入れようとすると、「ここが君の新しいお城か。これ渡しに寄っただけだから」とすぐ行ってしまう。

祝儀袋を開けると五万円も入っていた。

俺は百合子の両親の後ろ姿へ向かって、しばらく頭を下げ見送る。

夜になり百合子が来たので、ちゃんとしたお礼も言えず申し訳ない事を伝えて欲しいとお願いした。

それに対し、妙に不機嫌な百合子。

最近は表情を見れば、これから嵐が来るのが分かるようになっている。

「あのね…、智ちん……」

百合子が言い出したのはブログ『智一郎の部屋』の事だった。

少し俺は浮かれて記事を書き過ぎで、他の女性とも絡んでいるのがおかしいと言ってくる。

「だから、あの子たちだけでなく、他の男性たちもみんな、俺の小説を応援してくれているだけなのね? それを女性だけ返事をしないとか無理があるでしょ?」

「智ちんは変わったね」

「ごめん…、ちょっと整体の事で頭一杯で疲れてる。今日は帰ってくれ」

後味の悪い別れ方。

しかしこれ以上百合子に責められるのは、ウンザリしていた。

 

整体での備品を買いに川越のメイン通りクレアモールを歩いていると、小中学時代の岩崎智典ことチャブーと偶然出会う。

中学三年生の頃同じクラス。

こいつにはちょっとした因縁というか事件があった。

俺が二十歳で、これから全日本プロレスへ行こうと鍛えていた頃の話。

同じようにクレアモールを歩いていると、チャブーとバッタリ会った。

俺は一人だが、チャブーは彼女連れ。

「岩上、身体大きくなったなあ」

「ああ、全日本プロレス目指しているからね」

簡単な挨拶をして、その日は別れた。

三日後チャブーが突然俺の家に来る。

訳を聞くと、先日一緒だった彼女と喧嘩をしてしまったらしい。

愚痴を聞いていると、チャブーは俺に間に入って会話してくれと無茶振りを言ってくる。

「無理だよ。あの時ちょっとすれ違って挨拶した程度だよ?」

「ままま、岩上頼むよ」

そう言いながら家の電話を勝手に使い、電話番号を押して俺に渡してきた。

「何やってんだよ! だいたい……」

「ほら、出ちゃった。岩上頼むよ」

強引に受話器を渡され、仕方なく電話に出る。

「あ、私…、先日道端でバッタリお会いした岩崎智典の同級生の岩上と申します」

「それが何の用で電話して来たんですか! 何の関係があるんですか?」

物凄い剣幕。

彼氏と喧嘩中なのに、その同級生ですなんて連絡来たら余計怒るよな……。

チャブーは横で両手を擦り合わせ、ペコペコ頭を下げている。

仕方ないな……。

「あ、あのですね…。確かに私は関係ありません。久しぶりにバッタリ会っただけの同級生ですからね」

「分かったら切って下さい!」

「チャブー…、いや岩崎はそれだけ必死なんですよ!」

「え?」

「だってこんな私にこんな事頼んで来るぐらい必死なんです。彼の何とかしたいという気持ち…、そこだけは汲んでやってもらえないでしょうか?」

「は、はい……」

ようやく彼女も冷静になってくれたようだ。

「今はお互い感情的になって冷静に話せないと思うんですね。だからそうですね…、一週間。それだけ冷却期間置いて、改めて二人で話し合ったらどうですか?」

「は、はあ……」

「私から一つだけ言われせ頂けるなら、お互い好きで付き合った訳じゃないですか? その辺踏まえて前向きに考えて、一週間過ごしてほしいなと……」

「分かりました。岩上さん、ありがとうございます」

うん、我ながらナイス仲裁。

電話を切るとチャブーへ言った。

「そういう訳だから、一週間待ってから連絡しな」

何度も頭を下げながら帰るチャブー。

その彼は二日後も俺の家にやってきた。

「まったくあの女ふざけんなよ!」

開口一番荒ぶっている。

「何だよ、どうしたの?」

「いや、さっき女に電話したらさ、すげー起こりやがって話にならねえんだよ」

「はあ?」

一週間置けと言ったのに電話した?

何をコイツ考えてんだ?

「それであの女、イトーヨーカドーで働いたんだけど、職場まで文句言いに行ったんだよ」

「……」

それ、最悪の悪手でしょうが……。

「何か食料品並べてやがってよ。声掛けたら、またキレやがってさ」

「当たり前だろ。おまえ、何をやってんだよ!」

「それで会話にならないから、『うるせー、この野郎!』って穴に膝蹴りしてきちゃってさ」

「はあ? 馬鹿なの? 何やってんの?」

「イシシシ…、それでさ、また岩上に間に入ってもらおうかなとね」

「ふざけんなよ! 無理に決まってんだろうが!」

「ままま…、そう仰らずに岩上先生」

そう言いながらチャブーはまた家の電話を勝手に使い、俺に受話器を渡してくる。

「もう私に関わらないで下さい! 何なんですか、あなたたちは!」

物凄い音を立てて電話を切られた。

「おまえ、ふざけんなよ。俺まで巻き込んむんじゃねえよ」

チャブーと会うのは、この時以来だった。

つまりデンジャラスな彼とは今まで距離を置いていたという訳である。

「岩上、おまえさ…。しばらく見ない内に迫力って言うの? 何か凄いオーラみたいの纏っているな」

自衛隊、全日本プロレス、そして新宿歌舞伎町での様々な修羅場。

それらすべて経験し乗り越えて来たから、今の俺がいる。

ただそれでもチャブーの言葉は素直に嬉しかった。

昔は仲良かったのだ。

俺は本川越駅前に岩上整体を開業した事を伝え、これまでの簡単な経緯を話す。

「おいおい、何だか同級生がすげー事になってんなー」

感心したように何度も頷くチャブー。

悪い気はしなかった。

俺って案外おだてに弱いのか……。

携帯電話が鳴る。

画面を見ると、新宿歌舞伎町ゲーム屋ワールドワン時代世話になった番頭の佐々木さんからだった。

 

二、三年ぶりに話し、昔を懐かしむ。

「岩上君、今から池袋来れない?」

「え、池袋ですか? 何でまた?」

「ワイね、今池袋で回春エステったいうのやってんるのね。…で暇で客いないから、料金はワイが出すから、客として遊びに来て欲しいんや」

要はガールズコレクション時と同じ、サクラをやってくれという事か。

たくさんの恩義がある佐々木さん。

できれば行きたいが、俺には彼女の百合子がいる。

裏切るわけにはいかない。

視界にチャブーが映る。

ピンと来た。

「チャブー、あのさ…。今から池袋行かない?」

「池袋? 何でまた?」

俺は状況を説明し、時間空いているならお願いしたいと伝えた。

「そんなラッキーな事あるのかね」

「だから今その電話なの! ね、頼むよ、チャブー」

「いいけど、何だかタダなんて悪いなあ……」

俺は佐々木さんへ事情を話し、俺も一緒に池袋へ向かうと伝える。

「分かった。岩上君ありがとうね」

電話を切ると、俺とチャブーは池袋へ向かう。

初対面でチャブーが佐々木さんと会ったら、絶対にビビるはず。

「男は角刈りかパンチや」

そう言い切る佐々木さんは、誰がどう見てもコテコテのヤクザ者にしか見えない。

その為最初に俺が一緒に行く必要があった。

 

数年ぶりに会う佐々木さんは、前とまったく変わりはない。

パンチパーマに足首にまで入れ墨のは入った大きな身体。

チャブーは佐々木さんを見た瞬間「ヤベー、ヤクザだ。ヤクザだ」とビビり始める。

「大丈夫! あの人ヤクザじゃないから。俺の知り合いだし、問題ないよ」

怯えるチャブーと共に佐々木さんへ挨拶をした。

「あ、岩上君もせっかく来たんやしワイが金出すから遊んでってや」

「いやいや、だから同級生のコイツ連れて来たんじゃないですか」

「岩上君、ワイに恥搔かせんといてや。せっかく来たんやから遊んでってや」

こうなると佐々木さんは頑固で利かない。

「分かりました……」

「おいおい、ほんとに大丈夫なのかよ……」

小声で囁くようにチャブーは不安そうな顔をしている。

俺は彼を安心させ、佐々木さんの指定したラブホテルへ入った。

「美香でーす。今日はよろしくお願いしまーす」

綺麗系で黒髪ロングヘアーの細身なのにおっぱいがとんがっているような二十代前半の子が部屋にやってくる。

佐々木さんの店、凄いの雇っているな……。

そういえばSFCGの時女性客で似たような乳したの、いたな。

俺は目の前の美香を『とんがりコーン二号』と心の中で名付けた。

「では裸になって、一緒にシャワー浴びますよー」

滅茶滅茶嬉しい光景だが、百合子を裏切るわけにもいかず、正直に伝える事にする。

「ごめん…、本来なら君のような綺麗な子となら嬉しいんだけど、俺さ、彼女いるわけね……」

「え? そんなの奥さんいる人だって普通に来るでしょ?」

「まあ、そうなんだけど…。ごめん…、やっぱ裏切れないんだ……」

精一杯の格好つけ。

「ふーん、こんな人っているんだね……」

ラブホテルの一時間を会話だけして過ごす。

「もし別れたら今度は私をちゃんと指名して遊びに来てね」

別れ際美香は連絡先を渡そうとしてくるが、丁重に断る。

ホテルから出るとチャブーが待っていた。

「おいおい、岩上! 回春ってすげーな!」

中々できない体験をしたチャブーは、この日から変に懐き出し頻繁に岩上整体へ顔を出すようになった。

 

歌舞伎町浄化作戦時代。

まだ百合子と知り合う前に、有路と新宿ゴールデン街の飲み歩いていた頃、エステシャンの塚田めぐみという女性と知り合った。

当時彼女のいなかった俺は、めぐみを抱いた。

しばらく連絡無かったが、俺のブログ『智一郎の部屋』を見たのだろう。

久しぶりに連絡があり、整体の経営を苦戦している俺に色々なアドバイスをくれた。

高周波の機械もあるし女性客にターゲット絞ったほうがいいと専門職のめぐみに言われ、ダイエット用のメニューをデザインをしてみる。

身体を治す整体だけでなく、ダイエットか。

うん、ひょっとしたらいいかもしれない。

百合子が岩上整体へ顔を出す。

「俺、女性客メインでやろうと思ってさ…」って意気揚々と言い掛けた。

そしたら変な顔をしながら「女性客って、難しいと思うよ…」と冷めた口調に言われる。

さすがに努力してやろうとしているところ、いきなりそんな言い方されたのでムカッときた。

「何で、俺のモチベーション下げるような言い方しかできないの?」

「モチベーション、モチベーションって言うけど、モチベーションよりも大事なことだってあるでしょ?」
百合子はそう言い返してくる。

「いいか? ここは俺の店なんだ。おまえが余計な口挟むな!」

「智ちんだけの店じゃないでしょ?」

「はぁ? おまえさ~…。いい加減、引くところ引かないと本当にいらないよ…」

「何でそういう言い方しか出来ないの?」

「あのね、自分の最初の言った台詞…。どれだけ酷い事を言っているのか、自覚しろよ」

そう言っても、中々譲らない百合子。

「いいか? 例えば俺が現役復帰するって気合い満々で言ったとするよ。そしたら、いや難しいでしょとかさ。小説をこれから書いて本になるように頑張るよ。いや、小説って難しいよ? おまえが言った台詞はそれと同じだぞ!」

ここでやっと理解したらしく黙る。

「私、帰るね」

百合子が整体を出ると、塚田めぐみから連絡が入った。

タイミングが早かったら、面倒な事になっていたな……。

エステで女性に人気があるダイエット方法など、細かく教えてくれる。

「ねえ、智一郎さん…。明日あなたの整体に行くわ。エステの資料とかも色々渡したかったし」

確かに専門家のそういったものがあると助かる。

問題は百合子だ。

めぐみが整体に来ている時に、鉢合わせたら大事になってしまう。

昨日久しぶりに会った佐々木さんを使おう。

『今日これから新宿時代お世話になったオーナーの佐々木さんて人が来てくれるから、百合子は店に来ないでね』とメールした。

百合子に罪悪感を覚えたが整体の今後を考えると、どうしてもめくみの協力は欲しい。

たくさんの資料を持って、めぐみは岩上整体へやってきた。

「平塚から川越なんて、ちょっとした小旅行の気分だったわ」

俺は彼女から、様々なエステのテクニックなどを教えてもらう。

「せっかく来てくれたし、酒でも奢るよ」

めぐみと食事をしつつ、何軒かハシゴをした。

酔っためぐみは、俺の腕に絡みついてくる。

「もう終電無くなっちゃったじゃない……」

俺はめぐみと岩上整体へ戻り、診察ベッドが二台あるので、そこで寝る事にした。

患者用にブランケットも数枚用意してある。

酒も入っているので眠くなり、ねているとめぐみがキスをしてきた。

俺は勢いでそのままめぐみを抱く。

百合子と付き合ってから初の浮気だった。

 

朝になりめぐみは平塚へ帰る。

久しぶりに違う女を抱いた。

百合子への罪悪感もあるが、絶対バレる訳にもいかない。

ファブリーズを使い、めぐみの匂いを消す。

掃除をしていると、患者がやって来た。

この日は不思議と大忙し。

次から次へと患者が続く。

百合子から電話が入る。

目の前の駅ビルのぺぺにいるというから、来るか来ないか聞くと「着たばかりだから、まだ色々見たいし…」と曖昧な返事。

患者の施術中だったので、「だから、こっちに来るのか、来ないのか、はっきりしてくれ」と言うと、「じゃあ、行くよ…」と返ってくる。

「何だ、その嫌そうなじゃあって言い方は?」

「そんな怒ったような言い方するから、今日は会いたくないよ」

「じゃあ、来なくていいよ……」

そこで電話を切り、患者の施術を続けた。

 

嬉しい悲鳴。

途切れる事なく続く患者。

三十代サラリーマンの施術を終え、次は二十代半ばの若いOL。

「ごめんなさい…、少しだけ一服させて下さいね」

「どうぞどうぞ、先生忙しそうですもんね」

患者の言葉に甘え、セブンスターに火を付ける。

少ししてから彼女の施術を始めると、整体のドアが開く。

見ると百合子だった。

後ろに娘の里帆と早紀もいる。

来ないと電話では言っていたのに、何故このタイミングで。

「ちょっと今、患者さんいるからさ……」

入口まで行き、小声で話す。

「白衣着て、先生なんて呼ばれて少し浮かれてんじゃないの?」

患者がいるのに何を抜かしてんだ、コイツ……。

「おい…、今患者がいるって……」

「ほんとあなたは自分に甘く、人には厳しいよね!」

「だから患者いるから止めてくれって……」

「いつも自分の事ばかりで……」

「いい加減にしろ! 今、患者さんがいるって、言ってるだろ!」

俺はドアを思い切り閉めた。

様子を見ていた患者は驚いている。

当たり前だよな。

俺は丁重にお詫びを伝え、施術料金を無料にした。

皮肉なもので、クリスマスイブ前日というのに患者はまだまだ続く。

休む暇もなく施術し、来た患者すべてをこなす。

終わったのは夜中の十二時を回っていた。

クリスマスイブか……。

携帯電話が鳴る。

百合子からだった。

先程の失礼な愚行に腹が立っていた俺は怒鳴りつける。

「あなたはいつもそう…。都合悪くなるとすぐ怒鳴る」

冷めた口調の百合子。

小説『忌み嫌われし子』をあそこまで罵倒され、今度は整体に娘まで連れて来て患者がいるのを知っていて大騒ぎ。

「里帆と早紀だって、あなたは怒り過ぎだって言ってたよ! あなたは自分の事ばかりで、イブだって正月の事だって仕事仕事で、私たちの事を何も考えていない。仕事って偉そうに言うけど、殿様商売で、患者なんか少ないくせに……」

さすがにコイツと付き合って行くのは無理だと感じた。

「もう別れよう……」

自然と言葉に出る。

まだ電話口の向こうでギャーギャー言うので、電話を切った。

俺は疲労感一杯で、そのまま診察ベッドへ倒れ込むように寝転んだ。

 

携帯電話が鳴る音で目が覚める。

あのまま整体で寝てしまったのか……。

起き上がると身体が怠い。

どうやら風邪を引いたようだ。

鳴り響くコール音。

時計を見ると、まだ朝の五時。

何だよ、こんな朝っぱらから百合子の奴……。

「別れる方向でいいんだよね?」

出た瞬間、怒鳴り声で百合子はまた罵ってくる。

もうウンザリだった。

あまりにもしつこいので、「おい…、喧嘩売ってんのかよ?」と静かに言うと「喧嘩売ってんだよ!」と喚き散らす。

もう本当に駄目だ……。

俺は携帯電話を切った。

少しして鳴る携帯電話。

放っておくと、切れてもまた掛かってくる。

俺は電源自体を落とし、通話不可能な状態にした。

約二年半……。

これで俺と百合子のつき合いは終了した。

三十五歳のクリスマスイブだった。

 

JAZZ BARスイートキャデラックの常連客である古木英大が顔を出しに来る。

バイクのツーリングが趣味の彼は、長距離を運転している時に右肩の不調を感じたらしい。

俺のところへこうして来てくれたのだ。

絶対に彼の身体を何とかしよう。

そんな気持ちで施術に臨む。

荒療治とも呼ばれる俺の施術は、マッサージという概念から見るとかなり掛け離れている。

よく気持ち良く揉んでほしいと希望する患者もいるが、それならマッサージに行けばいい。

俺は痛みを訴える患者を治したくて、この仕事をしているのだ。

古木は声をあげながらも堪え、肩の痛みが無くなる。

「いやー、凄い痛かったけど、我慢した甲斐がありましたよ。一発で良くなりました」

「また時間見てどうのこうのって言う整体が多いらしいけど、この商売保険が利かず金額だって取るんだから、ちゃんと治してやれよって思いますよ」

「そうですね。素晴らしい考えだ。あ、それで岩上さん。前に一緒に飲んだ時、彼女を作るというか、そっち方面の話あったじゃないですか」

「はいはい、それがどうかしました?」

彼は携帯電話を取り出し、メールを見せてきた。

「あまりにも出会いがないから、有料の出会い系サイトに入っているんですけど」

「え、でもあれってサクラばかりじゃないの?」

「いえ、これは本物もいるんですよ。有料なので」

「へえ、それは知らなかった」

「でも会えるまであとちょっとって感じなんですけど、いまいち煮え切らないんですよね。ちょっと私のメールのやり取り見てもらえますか?」

古木は躊躇いもなく携帯電話を渡してきた。

やり取りの内容を見ると、ほとんど日常的な会話のみで、サクラがポイントを得る為、引き伸ばしているようにも思える。

「これってやっぱりサクラなんじゃ?」

「いえ、この子の電話番号も聞き、実際に電話で話しているんですよ」

「で、実際にこの子と会ってみたいと?」

「ええ」

メールの内容を見ると、どうやらダイエットについて敏感なようだ。

常に体重を気にしているみたいである。

俺は「じゃあ俺がメールを打つので、それ見て納得するようなら送信してもらえます?」と聞き、彼の了承を得た。

《知り合いの先生でさ、高周波という高い器械を入れ、リバウンドのしないダイエットというメニューも取り入れたんだって。で、今試作中だから古木君、誰か女の子いない?って聞いてくるから、今度一緒に顔を出してみない?

古木英大》

このようなメールを打った。

彼は納得し、送信する。

すると、五分もしないで向こうから返事が届く。

興味津々なようで俺の打ったメールに食いついてきた訳だ。

「どうすればいいですか?」

「会う為の都合いい日にちと時間を聞くだけです。余計な事は書かなくていいです」

「じゃあ、会う事が決まったら、ここへ連れてくれば?」

「いえ、ここには来なくていいですよ」

「え、何でです?」

「だって俺に紹介するのが目的じゃないですよね? この子と遊びたいっていうのが第一じゃないですか。心理的にこういうサイトに登録しているという事はですね。寂しいというものもあるし、誰か相手を探しているという目的もあります。必勝法教えましょうか?」

「必勝法?ええ、ぜひ」

「デートでゲームセンターの前を通り掛かったら、プリクラを一緒に撮るんです」

「プリクラですか?」

「はい、あの中はある意味密室ですよね? しかも必然的に肩に手を回したり、抱き締めたりできる状況になりやすい場所です」

「それはそうですね」

「その時、至近距離に相手がいるので、唇を奪って下さい」

「え、だってそんな事したら……」

「キスした時、相手が拒み怒ったら、その子とは時間を掛けても抱けません。もし相手がキスを受け入れてきたら、強く押せばその日の内にホテルへ行けます」

「はあ……」

「騙されたと思ってやってみて下さい」

数日後、古木から電話があり、「岩上さん、彼女と会えてその日の内にやれちゃいました」と電話があった。

「岩上マジックは素晴らしいです」と絶賛して喜んでいた。

 

そうこうしている内に年末がやってくる。

丸々一ヶ月開けた訳ではない。

途中で壁紙の張替えや、カーペットを引いたり、そして便器を交換したりで四日間も休まなければいけなかった。

スタートも四日からである。

売上は八万四千円……。

家賃にもならない。

まあ始めはどんな商売だって暇だ。

焦っちゃいけない。

暇というのは寂しいもので、嫌な事をつい考えてしまう。

するとイライラは増す。

悪循環である。

忙しければ疲れたという嬉しい悲鳴だけなのだ。

こういう時こそ楽しい事を考えなければ……。

ふとピアノを弾くきっかけになった女、品川春美を思い出す。

寂しげな横顔。

真っ直ぐな瞳。

肩まで伸びた奇麗な髪。

彼女のすべてが好きだった。

知り合った頃は歌舞伎町時代で、俺は短気だった。

ちょっとした事で怒り、それがきっかけで彼女は俺から離れていく。

この白衣姿の俺を見たら、どう思うだろう?

いや、本川越駅前で岩上整体をやったって伝えたら、何かしらの返事があるだろうか?

もう四年間会っていなかった。

歌舞伎町時代、一度だけ会えるチャンスはあった。

俺が初めて書いた『新宿クレッシェンド』。

自分で何度も印刷し、本の形にしてから、春美へメールを打ち、本を送った。

また返事など来ないだろう。

そう思っていた。

しかしちゃんと読んでくれたのか、数日後春美からメールが届いたのだ。

俺は嬉しくて何度もそのメールを読み出した。

内容は向こうから今度会おうかというものだった。

会う日にちと時間を決め、俺はずっと楽しみにしていた。

春美と会う前日、都知事の浄化作戦が始まる。

八月中は十五年間、警察が動く事がなかった。

しかし十五年のジンクスを破り、俺の統括する店の一つが捕まった。

どこの警察署が来たのか。

弁護士の手配と色々動き、その日はほとんど徹夜だった。

春美との待ち合わせ時間まで少し合間があったので、俺は仮眠を取った。

肉体も精神も疲れきっていた俺は、あれだけ待ち焦がれた春美との再会を寝てすっぽかす形になってしまった。

因果なものである。

それ以来、彼女からの連絡はメール一つない。

それでも駄目元で、春美へメールを送ってみた。

 

 

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