岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド

自身の頭で考えず、何となく流れに沿って楽な方を選択すると、地獄を見ます

高校生の救世主

2010年09月13日 05時05分00秒 | 2010年執筆小説

高校生の救世主



2010年9月13日~
原稿用紙 枚

~オープニング~

 

 葉巻をくわえたまま腕組みをし、気難しい表情をする大柄な男。視線は天井の一点をジッと見据えていた。そこへドアを開けて、坊主頭の屈強そうな男が部屋に入ってくる。

「社長…、お話とは何でしょうか?」

「……」

 社長と呼ばれた男はしばらく口を開かず、ただ葉巻を黙々とふかしている。

「どうかされましたか?」

「いや……、伊達が亡くなってから、もう一年が過ぎるんだなあ……」

「は…、はい……。じ、自分がもう少し……」

「やめろ、気にするな。あれは……、しょうがない事だったんだ」

「……」

 坊主頭の男は視線を下に落とし、直立不動のまま動かない。

「嫌な噂を聞いた。テレビ局は、このままだと放送を打ち切るらしい……」

「え? そんな……」

「仕方ない。こんなご時勢だ。視聴率が取れない番組をいつまでも放送などできまい」

「何か手は?」

「う~む…、従来のファンを取り組むやり方は、もう無理だろう。ならば……」

「ならば?」

「イケメン」

「は? イケメンって……」

「イケメンで尚且つ現役の高校生」

「あ、あの~…、社長…。お言葉ですが、それがうちと何の関係が?」

「未来のエースだ」

「エ、エースって、誰かめぼしい人材でもいるんですか?」

「作るんだよ」

「作ると言いますと?」

「逸材を見つけて、一から育てあげるんだ」

「新人をですか?」

「そうだ。現役高校生のイケメンが、うちの団体のエースになってみろ。きっとマスコミだって殺到するに違いない」

「わ、話題は呼ぶでしょうけど…、でも、そんな都合いい新人なんてどこにいるんです?」

「探す」

「ではどのように?」

「めぼしいのを見つけて、私が声を掛ける」

「はあ……」

「心配するな。私を誰だと思っている」

 そう言うと、大きな口を開けながら男はニヤリと笑った。

 

 

~第一章~

 

 俺、土方明。高校三年生の男。特徴を簡単に言うと、女にモテモテで、喧嘩が強いって感じかな。ちょっと嫌味な感じだって? それなら俺に文句じゃなく、拳握って掛かってくればいいじゃん。

 え、頭? そんなもんはさ、ガリ勉君たちが勝手にやりゃあいいじゃんよ。ペンは剣より強しとか言う奴いるけどさ、あれって嘘だよ。だってどんな頭良くたって、目の前の暴力は防げないだろ? 泣いて土下座して、許しを請うしかないって。

 これまでに何人の女を抱いたかって? おいおい、変な事を聞いてくるおっさんだな~。別に俺が何人抱こうとそんなもん、あんたに関係ねえだろ。

 それよりも有名人であるあんたがさ、何でこんな普通の高校に…、しかも俺に直接話があるんだよ。これからバイトあっからさ、これでも忙しい身なんだよね。もうこの辺でいいっしょ? え、駄目だって?

 ふざけんなよ、おっさん……。

 プロレスのリングの上でどれだけ人気あるのか知らないけどさ、もうあんなものとっくに終わっちまっているじゃねえの。今の時代はさ、総合格闘技しかないっしょ。あれは真剣勝負だし、見ていてこっちまで痛快だからね。それよりも俺、これからバイトなんだって。ちょっとそこどいてくれよ。

 あれ、何よ? ひょっとして俺に喧嘩売ってんの?

 上等だよ。喧嘩ってさ、とりあえずプロレスみたいな八百長とは違うんだぜ。リングの上みたいに、相手があんたの技に素直に掛かろうなんてないからな。その辺を分かっていて、俺に喧嘩を売ろうって言うんだな?

 年を考えなって。俺は十八、おっさんはもう四十半ばだろ? どうやって俺に勝つつもりだよ。

 あれれ、構えちゃって本当にやる気なんだ? へえ、あとで後悔するなよな。

 俺は右の拳をギュッと握ると思い切り殴り掛かった。

 急に回転する景色。

 背中に鈍い痛みが走る。

「……」

 気付けば俺は、校庭のグランドに倒されていた。

 今、何をされたんだ?

 上を見上げる。するとプロレスラーのダイナミック大和は笑顔で佇んでいる。こいつ…、とっくに現役一線を退いたロートルじゃねえのかよ……。

 何でこんな化け物みたいに強いんだ?

「お、俺に何の用だよ?」

「土方明…、君…、我が新世界プロレスのエースとなって脚光を浴びたくないか?」

 ダイナミック大和の顔は真剣そのものだった。

「はあ? 訳分かんねえ…。第一プロレスなんて人気もクソもないじゃねえか」

「だから君のようなイケメンで若い世代が、スターダムにのし上がるんだよ」

 何だかこのおっさん、危ねえかも…。関わらないほうが賢明だな。

「俺、これからバイトだから」

「時給いくらだ?」

「あ、あんたには関係ねえだろうが?」

 ダイナミック大和は懐から分厚い財布を取り出す。そして中から札束を鷲づかみにすると、俺に向かって投げつけた。宙に舞う無数の一万円札。俺は慌てて札をつかむ。

「それは全部くれてやる。興味あるなら今度ここへ訪ねに来い」

「……」

 名刺を俺に手渡すと、ダイナミック大和はそのまま金を気にせずに歩いていった。

 あのおっさんが置いていった金は全部で七十二万。あいつ、一体何を考えてやがるんだ? 俺がこのまま事務所を訪ねなきゃ、この金を捨てただけじゃねえか。

【新世界プロレスリング代表取締役 ダイナミック大和】

 そう記載された名刺には、当然の事ながら連絡先も書いてある。

 これからバイトへ行ったところで時給八百五十円……。

 しょうがねえ。七十万以上もあれば、しばらく遊んで暮らせるな。今日はバイトさぼっちまおう。

 俺はこの日、女を呼び出して派手に遊ぶ事にした。

 

 浴びるほど酒を飲み、贅沢な料理を注文する豪遊。一介の高校生の俺がこんな風にできるのも、レスラーのおっさんが意味不明の金をくれたからだ。あとであいつ、金を返せなんて言ってこないよな……。

 それにしても胃袋に金を溶かすのって結構大変なもんだ。まだ五万も使っていない。ホテル代だって一万もしないしな。まあいきなり金を無理して使っても意味ないか。

 家に帰ってから残りの札束をベッドの上へ放り投げる。今までこんな大金見た事がねえ。どういうつもりでこれを俺なんかに渡してきたんだ? 興味があるなら来いと言っただけで、俺の興味が湧かないなら行かなくてもいいって事だよな……。

 う~ん、考えても分からねえや。

 でも、何でこんな大金を渡してきた? プロレスって金になるとでも言いたかったのか? 汗だらけの男がパンツ一丁で抱き合うなんて冗談じゃねえ。

 今までは高校生相手に殴り合いの喧嘩をしてきたけど、俺は身長があるからいつだって体力的に押せた。百九十センチの俺が上から叩きつけるようにパンチをするだけで、ほとんどの相手はそれで終わる。いつだって相手を見下ろしてきたんだ。

 それにしてもレスラーってあんな強かったのかよ。殴り掛かったあと、どうやって倒されたのかすら覚えていない。自分じゃもっと喧嘩が強いって思っていた。負けた事ねえしな。でも今日のあれは明らかに俺の負けだ。

 ダイナミック大和…、身長は俺と同じぐらい。ただ体の厚みが全然違った。まるで大きな岩の塊がそのまま動いているような感覚。あんなんで素早い動きなんてできるのか、そんな感じだ。

 総合格闘技の試合は大好きで、今までも腐るほど観てきた。常人ではない動き、そして絡み合う関節技。見ているだけで熱狂できた。プロレスなんてあんな相手の技をワザと受けて戦うものはイカサマにしか思っていない。ロープに降ったらちゃんと戻ってくる。避けられるのを分かっていながらトップロープに登り、ワザと自爆する。

 そんなふざけた戦い方をしてきた奴が……。

 総合の選手がもしも、ダイナミック大和と戦ったら?

「……」

 あのデカい体に打撃なんて効くのだろうか? 体格の違い。それは大人と子供の違いと一緒だ。世界で一番強い小学生がいたとして、それが普通の大人に掛かって勝てるかと言うと、まず無理だ。それはやはり体格の違いからくる常人の判断だろう。

「俺がプロレス界のエース……」

 思わず呟いていた。まるで意味が分かんねえ。

 からかっているだけ? でも、それじゃこんな大金なんて捨てるようにしないか。七十万以上の金を惜しげもなく、ばら撒きやがったもんな。

 金持ちの単なる酔狂? それとはちょっと違う。

 プロレス人気を考えると、あんな捨てるような金なんて稼げないはずだ。じゃあ何故?

 自問自答を繰り返すが、納得の行く答えなど出るはずなかった。一度話を聞くだけ行ってみるか……。

 気付けば俺はプロレスじゃなく、ダイナミック大和に対し興味を覚えていた。

 

 名刺に書いてある住所を頼りに、俺はタクシーに乗って新世界プロレスの会社へと向かう。行った瞬間、金を返せなんて言わないよな……。

 財布の中に入っている金を覗く。もう結構使っちまっている。

「お客さん、新世界のファンなんですか? あっしも実は昔かなり熱狂した口でしてね」

 運転手が声を掛けてくる。大方俺の事をファンぐらいにしか思っていない口調だ。そこの社長であるダイナミック大和が、俺を団体のエースとして迎えるなんて言っても絶対に信じないだろうな。

「今は熱狂していないんすか?」

「だってさ…、今のプロレスは体の小さい選手ばっかで、器用に動き回るのはいいけど迫力ってもんが何もないですからねえ」

「迫力すか」

「ダイナミック大和が現役だった頃はね、お客さんぐらいの年じゃ知らないだろうけど、そりゃあすごかったよ。丸太のような腕で外人レスラーをバタバタなぎ倒し、最後はガッチリと組んで綺麗なスープレックスで止め。あっしらのような一般人から見れば、痛快以外の何ものでもないよ」

 丸太のような腕…、服が今にもはちきれんばかりの太さ。確かにあいつ、尋常でない体つきだった。

「そんな強かったんすか、大和って」

「強いなんてもんじゃないよ。ありゃあ化け物だね。あの頃あっしらは、化け物の戦いを見たさに毎日必死に金貯めて、何度も直に見に行ったんだろうなあ」

 当時を懐かしむように運転手は熱く語っている。

「何で今のプロレスって人気なくなったんすか?」

「純粋に面白くないでしょ。昔よりは技の種類だって豊富になったし、みんな小利口な戦い方をしようとしているのは分かる。でもそこに迫力がなくちゃ、見てる側にしてみれば、何の意味もないですね」

「じゃあ今は総合すか?」

「総合? 総合って総合格闘技の事ですか? あんなガリガリな連中がただ殴り合っているのを見て、何が面白いんですか。『ぶっ殺す』とか偉そうに言っているけど、誰もぶっ殺しはしない。あれはプロレス以下ですよ」

「はあ? 総合がプロレス以下?」

 いくら何でもちょっとそれは言い過ぎだろうが。

「だって総合格闘技は、一般人が簡単にリングへ上がれるじゃないですか。もちろん体を鍛えているのは分かりますよ。でもね、あっしは思うんです。普通の人間じゃない奴らがガンガンやり合うのがプロだって。それが今じゃ、スケールの小さい人間が平気でレスラー面をしている。あれがあっしには我慢ならないんですよね」

 なかなか面白い事を言う運転手だ。確かに総合格闘家は、大きい選手がほとんどいない。ん、待てよ…。ダイナミック大和が何故俺を誘った? 最大の原因は俺の身長の高さ?

「あ、運転手さんの言う体の大きさって、いくつぐらいなら納得できるんです? その普通の人間じゃないって思うのは」

「う~ん、具体的な大きさか…、そうだね、やっぱ身長百九十ぐらいないと駄目でしょ。そういえばお客さんも体、大きいよね」

「……」

 あのおっさん、マジで俺をプロレスの世界へ引きずり込もうとしてんのかよ? しかも団体のエース? 確かに近年の総合格闘技ブームに乗っているのは、ほとんど若い世代のみ。こういった年配層のファンなんてまず見ない。

 俺がもし…、プロレス界のエースになれば、こういった年齢層まで本当に集まるのか? でもどうやって? 俺はただの喧嘩が強い素人に過ぎない。

 しかしそれができたとしたら……。

 ひょっとしたら俺は、伝説の男になれるかもしれない……。

 

 妙に全身が興奮していた。いや待て、落ち着けって…。少し単純過ぎるぞ、俺は。高校を卒業したら、総合格闘技のリングを目指したいと考えていたんじゃねえのかよ。ストイックな攻防戦。あの中へ俺も飛び込んでみたいと、常に思いながら戦いを眺めていた。

 色眼鏡で見ていたプロレス。ある意味憧れでもあった総合格闘技。

 何故それをプロレスなどに惹かれなきゃいけない?

 そんな葛藤を抱えつつ、気付けば俺は新世界プロレスの会社の前にいた。

 入る前に冷静に考えよう。ダイナミック大和がうちの高校までわざわざ俺に会いに来たという事実。そしてこの世界へ引っ張ろうとしたのは、あの大金を放り投げた一件でも嘘じゃないのは分かる。

 どちらかと言えば、俺は総合格闘技の味方だ。しかし味方って何だ? ちょっと表現方法が違うかも。

 総合のリングで戦いたいと思っていたんだから、味方じゃないよな。

 戦う……。

 俺がレスラーとして総合格闘家と戦うのと、総合格闘家同士で戦うのって何が違う? 立ち位置が違うだけで、俺自身が変わる訳じゃない。

 総合へは自分から飛び込まなきゃ、あの中へ入れない。しかしプロレス界は逆に引っ張り込ませようとしている。つまり俺さえその気になるなら、すぐ戦えるはず……。

 体が震えていた。これが武者震い?

 心を落ち着かせろ。新世界プロレスの社長ダイナミック大和。あのおっさんがどう出るか、それから考えたっていいんだ。世の中甘い話はない。自分の両親を見て分かっているはずじゃねえかよ……。

 人のいい親父、そして世間体だけを気にするお袋。いつだって両親は悪い連中の格好の餌食だった。親父は困って泣きついてくる友人の保証人になり、気付けば騙され、借金を背負うハメになった。そんな親父をお袋は簡単に捨て、俺を連れて離婚した。

 もう一年前になるのか、親父が飛び降り自殺をしてから……。

 勝手に命を絶った親父を許せなかった。ひと言息子の俺に、相談ぐらいしてくれたって良かったじゃねえかよ。そしたら少なくても、死なせなんてしなかったのに……。

 そんな親父を簡単に見捨てたお袋も許せなかった。愛し合ったからこそ俺のような子供を授かり、結婚したんじゃないのか? いや…、そんなお袋に学費を出してもらい、飯も食っている俺が言えた義理などないか。

 だから日々、女を抱き、喧嘩に明け暮れて現実逃避してきたんだ。

 自分の行動が本当は嫌いだった。でも一度その路線を行ってしまうとなかなか元へ戻れない。気付けば手下のようにくっついてくる同級生や後輩たち。そしていい格好をしたいが為に彼女面をしたがるケツの軽い女共。自分で作った流れなのに、それを後悔しつつ流されていく俺がいる。ようはみんなの前で、常に格好をつけていたいのだろう。

 まあそんな事を今振り返ったところで何も生まれない。

 話を聞くだけ聞いてみよう。これまでの自分を変えられる最大のチャンスが来ているのかもしれないのだ。

 俺はゆっくり息を吸い込んでから、大きく吐き出した。

 

 大きなビルの中へ入り、右手の壁にある各階の会社名入った看板を眺める。二階と三階が新世界プロレスの事務所。ここにあのおっさんがいるのか……。

 エレベーター…、いや、階段であえて行こう。

 両手で顔をピシャンと叩き、気合いを入れる。何からしくねえな。

 ドアをノックしてから勢いよく開ける。すると一番奥の席に座るダイナミック大和の姿が見えた。相変わらず岩のような塊だ。俺の姿に気付いたのか、おっさんは笑顔で立ち上がる。

「おー、土方君ではないか」

「……」

 何を陽気に話し掛けてんだ。

「今日はどういう用件で来たのかね?」

「え……」

 こ、こいつ…、テメーが大金出して、俺に来いって誘ったんじゃねえかよ。一体どういうつもりだ?

「私はこう見えてなかなか忙しくてね。今、社員たちは出計らってしまったから、一人で書類の整理をしているところなんだよ。結構社長業ってのは大変なものなんだぞ、フォッフォ……」

 何だ、この野郎…、その笑い方は。頭に蛆虫でも湧いてのか? あれだけ気合いを入れてきたのに非常に不愉快だ。用件がないならとっとと帰るか。

「おい、どうしたんだ。用件を言いたまえ」

 人が背中を向けたら変な質問しやがって。

「あ…、あんたがここへ来いって言ったんだろうが!」

「え、何で?」

 ギョッと目を剥き出し、口をあんぐり開けたままのダイナミック大和。

「くっ……」

 こいつ、本当に自分で言った事を忘れてやがるのかよ。トボけた顔しやがって。

「おいおい、くっ…、じゃ分からんよ。君も高校生とは言え、認識の区別がつく立派な大人なんだ。しっかり言いたまえ」

「オメーが俺をプロレス界のエースになれとか意味不明の事を抜かしたんじゃねえか!」

「え、そうなの?」

「くっ…、この……」

 俺は拳を振り上げ、この憎たらしいおっさんの面にお見舞いしようとする。しかし、振り上げた手を誰かにつかまれた。

 気付くと背後に誰かが立っている。いつの間に……。

 慌てて振り向くと、坊主頭の冴えない四十代半ばのゴツいオヤジが立っていた。どこかでこの男、見た事あるが……。

「社長…、困りますよ…。また若くて身長さえあれば、『エースは君だ』って言ったんでしょ? こういう馬鹿はすぐ本気でいい気になるんですから」

 初対面の俺に対し、何だその言い草は? それに口から吐く息が、すげー臭いし…。絶対にこんな中年男にはなりたくねえな。

「ああ…、そういえばこの間、そんな事を言ったような気がするよ」

「頼みますって社長…。夢見る年頃なんですから。本気にしたらどうするんですか」

「まあいいんじゃないか。本気だからこうして来たんだろうし」

 こいつら、俺を差し置いて勝手な事ばかり抜かしやがって。学校だってこう小馬鹿にされた事ねえぞ、おい。

「おい、クソ坊主っ! 黙って聞いてりゃあよ…、さっきから人の事馬鹿だの夢見る年頃だの、好き勝手な言い方してくれたな」

「ほら、社長…。口の利き方さえ知らないような子供だから、瞬間湯沸し器のように顔を真っ赤にしちゃったじゃないですか」

 ただでさえ臭い息が掛かり、オマケに坊主のツバが飛び、顔につく。この野郎…、イケメンだって女共が寄ってくるこの面に、よくも……。

「ふざけんじゃねえぞっ、オラッ!」

 完全に頭へ血が昇った俺は、渾身の右の拳を坊主頭の顔面へ叩き込んだ。

 

 肩口まで伝わるこの衝撃。力を込めた拳が相手に確実なダメージを与えた感覚。これでほとんどの相手は一発で終わる。坊主頭が崩れ落ちるのを確認するまでもない。俺は余裕の笑みを浮かべながら、ダイナミック大和のほうを向く。

「ちと、社員の教育がなっていないんじゃねえの」

「教育? おかしな事を言う。権藤はタフだぞ。私がそうやって教育してきたからな」

 振り向くと鼻血を出しているものの、先ほどの坊主頭は平然としてその場に立っていた。この野郎…、やせ我慢なんぞしくさって。

「その若さでその思い切りの良さ。まあそこそこいい感じだけど、甘いよな。無抵抗の相手に対し、一発で倒す事すらできないんだから」

「んだと……」

「ほら、もう来れないのか?」

「上等だよ、オラッ!」

 再び坊主頭へ殴り掛かる俺。肘を曲げて後ろへ引き、ガチガチに固めた拳に力を入れ、そのまま溜めを作って助走をつけ全力で殴りつける。血が辺りに飛び散った。

「……」

 それでも倒れない坊主オヤジ。

「呼び動作がデカ過ぎる。威力はあるが、それじゃ総合では通じないな。レスラーなら避けずに受けてやるが」

 何寝言こいてやがる。鼻血を出しながら偉そうに言ったところで何の説得性もねえって。俺はさらにもう一度拳をお見舞いしようとする。

「え……」

 今、一体何をされたんだ? 気付けば景色は回転し、俺は地面に倒されていた。これってこの間おっさんにやられたのと同じ……。

「フォッフォッフォ……」

 横でダイナミック大和の笑い声が聞こえる。

「な、何がおかしいんだ、おっさん!」

「ん? 見事にプロレスをしているもんだなと思ってね」

「はあ?」

 本当に脳みそ溶け掛けているんじゃねえのか、こいつ。

「プロレスってもんはだな…、相手が受ける形を取ったら、そこへ全力で攻撃をする。レスラーは攻撃を避けちゃいけない。もちろん今のように返す事は自由だ。それの攻防こそがプロレスの試合となっていく」

「攻撃を避けちゃいけない? 馬鹿じゃねえの。それでKOされたら意味ねえじゃねえか」

「だからこそ選ばれた者しか、この世界に入れないのだよ。どんな攻撃も避けず、真正面からガンガンやり合う。ひょいひょい避けて戦うよりも、ずっと男らしい戦い方だ」

 ロープに飛ばされてワザと返ってきたり、攻撃を受けたりする事が男らしい? それのどこが?

「そんなもの戦いなんて呼べねえって」

「おかしな事を言うものだな。じゃあ一つ君に質問しようではないか。西部劇に出てくるガンマンたちの素手の喧嘩って見た事あるかな?」

「ああ、よく酒場で殴り合うやつだろ?」

「そう…、一発殴ってはそれを堪え、今度は堪えた者が殴り返す。普通なら一気に攻撃し続ければいいのに、何故彼らはああやって一発ずつやり合うのかね?」

「知らねえよ、そんなもん」

「自身の体の屈強さに自信がある。だからこそあえてパンチを避けないんじゃないのかな。体を鍛え始めた素人にもよくある事であるが、友達に自分の体を叩かせる場面ってあるだろう。太くなった腕を見せ、自慢したくなる気持ち。どれだけ自分の肉体がすごいのかを誇示したくて、人間はそのような行動をする」

「……」

 何故か何も言い返せない自分がいた。

「我々はそんな馬鹿な連中の集まりなんだよ」

「何でそんな事をずっと追求するんだ」

「それがプロレスだから…。それだけだ」

 そう言ったダイナミック大和の顔は、とても寂しそうだった。

 

 家に帰り、プロレス雑誌を眺める俺。

 何故こんな雑誌を買ってしまったのか分からない。帰り道喉が渇き、ジュースを買おうとコンビニへ寄り、たまたま本棚にあったプロレスの文字に目が行ってしまった。気付けば一緒にそれを手に取りレジへ向かっていたのだ。

【伊達光利が亡くなってから一年が過ぎ……】

 そんな見出しから始まった記事は、かつて新世界プロレスのエースとして君臨した伊達光利の様々な写真が掲載されている。プロレスに興味がない俺ですら、その名前と顔は知っているほど有名だった。

 頚椎離脱…、つまりこれって単純に首の骨が折れたって事だよな……。

【相手の首をへし折ってしまった権藤選手は、しばらくリングの上で号泣し立ち上がれなかった】

「あれ…、これって髪の毛生えているけど、さっき事務所の中で俺が殴った坊主頭か?」

 俺は詳しく記事を読んでみる事にした。

 試合が十八分経過した頃だった。対戦相手の権藤は、伊達のエルボーを食らい青色吐息。止めとばかり突っ込んだ伊達の攻撃をかわし、鉄柱へ叩きつける権藤。背後からクラッチをして高角度なバックドロップを放つ。しかしこれをカウントツーで何とか返す伊達。首を気にしながら立ち上がる伊達を権藤はブレンバスターの体勢で持ち上げ、強烈に垂直落下で頭を落とす。グサリとマットへ突き刺さる脳天。いつもならそこからでも不屈の闘志で立ち上がる伊達。しかし彼はそこからピクリとも動かなくなった。観客の伊達コールが自然と発生し、その声は徐々に悲鳴へ変わっていく。会場の誰もがまったく動かない伊達の異常事態に気づき出したのである。次々とリングの上に上がっていく選手たち。私はあの時起きた伊達コールを聞き、思わずゾッとしてしまった。何故ならば、このような状態になってもまだ立って戦えというように聞こえたからである。

「……」

 読んでいてその光景が頭に浮かぶ。そう、あの時学校でプロレス好きの奴が泣きながら伊達が死んだって言ってきたっけ。

 ニュースで何度もそのシーンは報道され、俺もあの時ばかりはそれを見た。プロレスの試合なんかで死んじゃう事なんてあるんだ。そんな風に感じた。

 先ほど帰る寸前に見たダイナミック大和の悲しそうな顔。亡くなった伊達の事を思い出していたのだろうか? 相手が構えたところへ全力で攻撃をする。それがプロレスだというなら、何の為に仲間が亡くなってまで……。

 あの坊主頭の権藤というレスラー。今でもリングに上がっているのか? いくら試合とはいえ、リング上で人間を一人殺してしまったのだ。どんな感覚で毎日を生きているのだろう。

 拳を見つめる。全力で殴ったのにあいつ、全然利かねえでやんの……。

 少なくても自覚したのは、俺なんかよりも強い連中があそこにはゴロゴロいるという事。

 どうする?

 このまま普通に学校へ通い、適当にアルバイトをしながら平凡な日常を生きていくのか。それともあのダイナミック大和の言うように、俺がプロレスの世界へ足を突っ込んで業界全体を救うよう生きていくべきか……。

 時給八百五十円と一瞬で七十万以上の金をもらえる場所。考えるまでもないか。

 金の為って割り切って、一丁やってみっか。

 

 一晩ゆっくり寝て、色々考えてみた。このままあのおっさんの言葉を無視して普通に生活していたところで、結局後悔だけは残るはず。ならすぐ行くとか決める前に、こっちが釈然としない部分を聞いてみたい。一体どういうつもりで一介の高校生に過ぎないこの俺をどうやって団体のエースにしようというのか? まずはそういった疑問もある。

 もらった名刺を見ながら新世界プロレスに電話を掛けてみた。本当に富と栄誉を保障してもらえるのなら、つまらない学校なんてすぐ辞めて真剣に考えてもいい。

「はい、新世界プロレスリング株式会社の私、鳴戸と申します」

「あ、俺、土方明って言う者だけど、社長いる?」

「は? あの~…、どういった用件なんでしょうか?」

「ダイナミック大和に、土方明が話あるって言えばすぐ分かるよ」

「大変申し訳ございませんが、現在社長を始めとするレスラーの方々は巡業に出ておりまして」

「巡業? 何それ?」

「プロレスの興行で試合をしに、今ですと九州の宮崎ですね」

「九州? だって昨日俺は会社の中でおっさんと話をしていたんだぜ」

「ああ、あなたが噂の方ですね、昨日いらっしゃったという」

「噂? 何の噂だよ」

「社長がスカウトした高校生が、本当に会社へ来たって噂ですよ」

 あの野郎、陰で人の事を何言ってっか分かりゃあしねえ。まあいい、だったら話は早いな。

「ふーん、じゃあ一つ聞きたいんだけどさ」

「何でしょう?」

「何もプロレスの事なんか知らない高校生の俺がね、その業界のエースになんて言ってたけどさ。どういう風にする訳?」

「ほう、だとしたら土方さん…。あなた、前向きに検討していただけているって事でしょうか?」

 前向きに検討? まだ冗談じゃない。下手に生返事なんてできないよな。

「おいおい、まだやるとも何とも言ってないじゃん。どういうつもりかって最初に聞いておきたいだけだよ」

「では、大変申し訳ございませんが、企業秘密になりますので申す事はできません」

「そりゃねえだろうが! 第一いきなり俺をエースになんて学校まで来てさ、じゃあどうするのって聞くと『言えない』じゃ、まるで話にならないじゃん」

「あくまでもその意思がある事が大前提になりますので」

「意思? ああ、そりゃあもちろんこうやって電話してるぐらいなんだ。あるに決まってんじゃんかよ」

「さようでございましたか。それはそれは失礼いたしました。ではですね、社長らレスラーが巡業から戻ってくるのが、あと一週間後になります。ですから…、そうですね…、来週の水曜日に会社までお越し願いますでしょうか?」

「まだ一週間以上あるじゃん」

「まだ社長が戻らないので、その辺でご勘弁下さいませんか?」

「そこへ行ってどうすんのさ?」

「その時に、詳しい具体的な事を申したいと思いますので」

「ふーん、じゃあその間俺は何をしてろって?」

「今まで通り、普通に学校へ通って下さいませ」

「あっそ」

 いまいち釈然としないまま電話を切る。気になるけど大和のおっさんがいないんじゃ、しょうがないよな。どうなるかは来週の水曜日に行けば分かるさ。

 まだもらった金はたんまりある。それまで豪遊しながら気ままに過ごそう。

 

 

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