岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド

自身の頭で考えず、何となく流れに沿って楽な方を選択すると、地獄を見ます

群馬の家 03

2023年07月12日 20時49分07秒 | ブランコで首を吊った男/群馬の家

 

 

 群馬の家を出て、再び地元へ帰る。さっき目の前で起きた事がまるで夢のように感じる。しかし、現実に目の前で起きた事なのだ。不思議と気分はスッキリしていた。優奈も同じ気持ちであろう。たった一枚の心霊写真っぽいものから、このような経験をした事を友人に話しても馬鹿にされるだろうか。帰り道、俺と優奈は群馬の先生の話題で盛り上がった。

「なあ、優奈。」

「なあに?」

「先生は俺に世に出ろみたいな事を言ってたよな?」

「うん、逆恨みされるのは防ぐんなら、きっとそうするべきなんじゃない。」

「でもさー…、仮にも世の中に出たとしてだよ。それで俺が有名になったら坂本とか余計に、妬んだりするんじゃないかな?普通、そう思うんだけど…。」

「うーん、多分だけどね、先生が言いたいのはこういう事なんじゃない。今のままだと、自分が修也に勝手に追いつけるものなんだって。」

「冗談じゃねえって。あんなクズどもがそうやって…。」

「だからこそ世に出て、ああ、こいつはこんなにすごい奴だったのかって、思わせるのが大事なんじゃないかな。」

「うーん、そういう捉え方もあるか…。しかし、ほんとに不思議なとこだったな。」

「でしょ。」

 そう言いながら優奈は、満面の笑みを浮かべて得意がっていた。

 

 雷電為右衛門…、俺の前世はその人だよと、群馬に住む霊媒師というか、先生にそう言われた。不思議な事に親しい知人たちにこの事を話しても、それを鼻で笑う人間は誰一人としていなかった。

あの場所で不思議な経験をした俺は、次の日に目が覚めたら夕方の五時だった。完全に仕事、大遅刻だ。おかしい…。昨日は寝たのが夜の十二時頃。それが何故こんな時間まで目を覚まさないのであろう。十七時間はぶっとうしで寝ていた計算になる。俺がたるんでいただけなのだろうか…。掛川さんは笑うだけで、俺を責めるような真似はしなかった。

「すみませんでした。実は昨日、家の都合とは言いましたけど、群馬の霊媒師っていうんですかね…。昨日、そこへ行ってきたんですよ。結構言う事がズバリ名前まで当てられて…。正直ビックリしました。それで言い訳になってしまいますけど、帰ってきて寝たのは十二時頃だったんです。それが普通に目覚めたらこんな時間になっていて…。」

「伊達さんも疲れていたんですよ。」

「そうですかね…。ところで掛川さん、霊とかって信じます?」

「うーん、私は信じてますね。」

「そうだ。じゃあ、今度そこの群馬の家に一緒に行きますか?」

「い、いや…。ああいう人とかはすごいズバズバ当てるじゃないですか?かえって行くと怖いなっていうのがあるんですよね。」

 霊まで信じると言ってくれたので、乗ってくるものとばかり思っていた。正反対の答えが返ってきた事に、少し不思議な感覚を覚えた。まあ嫌なものは仕方がない。掛川さんの新しい店がオープンするまで、残り一週間をきっていたのもあって話題を変える事にした。

「掛川さん、今度の店で働く従業員をまだ見てないんですけど大丈夫なんですか?」

「問題ないですよ。私の地元の後輩にあたる人間なんですけど、あと二日ぐらいしたら、東京に出てくる約束になっているんです。」

「そうですか。今度の店、うまくいくといいですね。」

「ええ、でも伊達さんも来てくれたし、絶対に客に受けると思いますよ。」

「ありがとうございます。」

 掛川さんのところへ来て、改善したところは沢山あった。まず古い型のノートパソコン一台しかなかったので、俺自身が二十万の経費でディスクトップ型のパソコンを二台作った。当然、アプリケーションソフトなどは、すべて俺が無料で用意した。

俺が来るまで掛川さんはギャランというメーカーのプリンターを使っていた。メーカー自体は一流だし、何の問題もないのだが、詰め替え用のインクを使っていた。俺自身、詰め替え式インクは初めて扱ったが、手は汚れるはプリンターのヘッドはすぐに詰まるはで、安いという以外、何もいい事がなかった。たまたま俺の知り合いに、もう一つの一流メーカーであるエプリアンの社員の知り合いがいた。そこで俺はうまく利用する事を考えた。掛川さんに頼んで裏のDVDを五十枚ほど作り、その彼に各店舗に配布する用のインクをたくさん集めてもらい交換した。彼は非常に喜んで、買ったら二十万円相当ぐらいする量のインクをくれた。俺の行動に掛川さんはとても喜んでくれた。

「伊達さんがうちに来てくれて、本当に助かりましたよ。」

「いえいえ、こちらこそ本当に助かってます。」

「正規のインクを使って印刷すると、ジャケットってこんなに綺麗に印刷されるんですね。ビックリしました。やはり客が喜ぶようなものを出来る限り工夫して出したほうが、気分だっていいですよね。」

 どんな商売があったとしても、まず客を大事にしてこそ、すべてが成り立つ。それを自分の持論としていたので、掛川さんの言葉を素直に嬉しく思う自分がいた。

「今度、秋葉原に新しく店をオープンするじゃないですか?」

「はい。」

「伊達さんがもし来なかったらって思うと、準備段階でゾッとしてまよ。」

「何、言ってるんですか。そういえば以前は歌舞伎町で店をやられていましたよね?」

「ええ、二年間はもったんですけど、さすがにこの浄化作戦でやられてしまいました。」

「それ以降は今度の秋葉原以外、何かやられたんですか?」

「ええ、横浜に一度出したんです。」

「横浜ですか。」

 新宿の次は横浜。うん、場所的にも悪くなさそうだ。目のつけどころがいいというか。

「歌舞伎町時代は一日平均で二十万ぐらいの売上はあったんです。」

「あそこは場所も良かったですからね。金、土なんて五十ぐらいあったんじゃないですか。」

「そうですね。ただ家賃は月百三十万しましたけど…。まあ、それでも充分にペイ出来ましたけどね。」

…で、肝心の横浜はどうだったんですか?」

「一ヶ月で三万しかなかったんです。」

「じゃあ、一ヶ月で約百万弱ですね。」

「違いますよ、伊達さん。一ヶ月トータルでたった三万です。」

「本当ですか?いくら何でも一ヶ月で売上が三万だなんて…。」

「さすがに一ヶ月で店を閉めましたよ。その物件を借りる時に、最初、私が誓約書を書いていたんですよ。最低半年間はこの物件を借りますって…。だから保証金も全額どころか一円すら返ってこなくて、四百五十万の損失です。」

 もうちょっと交渉次第で何とかならなかったのであろうか。一ヶ月でせっかく借りた物件を手放して保証金が戻らないぐらいなら、せめてカラ家賃を払いながらも、店は維持しておけば…。そう感じたが、俺は声にするのを躊躇った。掛川さんに対して、失礼な発言は出来る限りしたくなかった。

「それはキツイですね。でも、店の売り子は一ヶ月で三万しか売れなかったなんて、毎日何をしてたんです?」

「客が来ないの一点ばりでした。さすがにその人は辞めてもらいましたけどね。」

「じゃあ、今回の秋葉原は絶対に成功させないと駄目ですね。」

「だから伊達さんにずっと来てほしかったんですよ。」

 こんなに働きやすい職場なら、もっと非情になってガールズコレクションを早く辞めておけば良かった。掛川さんと話していると過去の自分の行動を恨めしく思う。

「もっと早くここに来れれば…。すみませんでした。」

「そんな伊達さんが謝る事なんてありませんよ。あ、そういえば、このシリーズのDVDジャケットがないので、伊達さんにこれも作ってもらいたいなと思っていましてね。」

「ああ、任せてください。そんなのお安い御用ですよ。」

 俺はパソコンのプログラムデータの中から、フォトショップを起動させる。仕事は仕事でちゃんとこなしていたが、俺は小説『はなっから穴の開いていた沈没船』の扉絵もついでに作り始めた。

「そうそう、伊達さん。」

「はい、何でしょう?」

「坂本さんって知ってますよね?」

 その名前を聞いただけで、神経が音を立てて敏感に反応する。本当かどうかまで分からないが、俺の左肘に生霊までとり憑かせやがって…。

「ええ、もちろん知ってますよ。あいつだけは許せないですけどね。」

「伊達さんとの間で、色々あったみたいですね。」

「話せばキリがないんですけどね。それであいつがどうしたんですか?」

「私の知り合い関係に伊達さんは今、どこで働いているのかと、色々と聞いていたみたいなんで…。もちろん、ここにいる事は誰も話してないですけどね。」

 二度と俺に関わるなと言ったのにあの野郎…。憎悪が全身から噴き出す。今さら俺に何の用があるというのだ。これ以上、くだらない追求をしてくるなら、俺もあいつとはキッチリけじめをつけてやろう。

「伊達さん、どうかしましたか?」

「あ、いえ…。すみません。あの時の事を思い出すと、どうしてもムカつくんです。忘れようといくら思っても…。あいつらのせいで、俺は自分の子供をおろしたんです。すべてあいつらのって訳じゃない事ぐらい理解してます。ただ、そのあとの台詞や行動が俺には絶対に許せないんです。すみません、訳分からない事を言ってしまい…。」

「私も彼とはあまり面識ないのですが、いい評判は聞きません。もう彼とは関係ないんだし、嫌な事は忘れましょう。」

「ありがとうございます。」

 この人、掛川さんとならうまくやっていけそうだ。人生プラスもあれば、マイナスもある。ここら辺でようやくプラスに傾きかけてきたのかもしれない。俺は全力で掛川さんの店をサポートして頑張ろう。家に帰っても、DVDのデータをまとめる為、小説そっちのけでエクセルデータを開いて作り出した。

一ヶ月働いて約三十万円の給料をもらえている現状。正直、今の給料面では満足はしていないが、この俺を救い上げてくれた恩義がある。俺がここへ来る前に横浜の店で赤字を出しているし、掛川さんも実質は苦しいはずだろう。秋葉原の新しい店をオープンして、結果が出るまでは今の条件で頑張るしかない。それまでは何があっても弱音を吐いてはいけない。俺の持つ力すべて駆使してやる事が、掛川さんに対する礼儀である。これからは出来る限り、プラス志向でいくしかないのだ。

「応援しててくれよ、雷電…。」

 俺は心の中でそっと呟いた。

 

 翌日、事務所へ行くと掛川さんの様子が少しおかしかった。

「掛川さん、どうかしましたか?」

「まいりましたよ…。」

「何がですか?」

「今度の店の名義人、まあ私の後輩ですけど…。いきなり出来ないって今さっき連絡あったんです。」

 何て無責任な奴なのだろう。まだ見た事もない掛川さんの後輩を恨めしく思う。

「他に誰か当てはあるんですか?」

「いえ、本当に先ほど急に言われたばかりなので…。」

 頭を抱え込む掛川さんをこれ以上は見ていられない。俺は歌舞伎町の身の回りの人間を思い浮かべた。田中、大山、杉田、所、森田、東園、田村に志村…。もっといるだろう。誰か現状で今の職場に不満を持つ奴がいなかっただろうか…。考えろ、もっと思い出せ…。掛川さんが困っているのだ。誰かを引き抜いてでも人材を用意しなくては…。

「あ…。」

 自分の頭が速く回転しているのを感じる。

「ど、どうかしました、伊達さん。」

「一人、心当たりが…。あ、でもあまり期待はしないで下さい。実際、ビデオ屋はやった事ない人間ですから…。でも、俺に何だかんだ結構なついているんで、うまく誘えれば何とかなるかもしれないんです。今、一応連絡してみますね。それで店の名義をやるなら、どれくらいの給料を払えますか?」

「月で五十万です。」

 体を張ってやるのだから、最低でもそのぐらいは欲しい。さらに俺は続けた。

「掛川さん、もしですよ。店オープンして一日の売上が二十万を越すようなら、歩合金とかってつけてやれますか。例えば、二十万で歩合五千円、そのあと二十五万、三十万って、五万いくごとに歩合金を五千円ずつとか…。」

「二十で五千、その後、五万いくごとに五千ずつですか…。」

 掛川さんはしばらく考え込んでいた。俺の要求は別に悪い話ではないはずだ。歌舞伎町ならともかく、秋葉原で一日二十万の売上を作る自体、難しいはずだからである。DVDの空メディアは一枚六十円で仕入れている。インクは知り合いからかなりもらってきた。おまけにA4の光沢紙までつけてくれたから、残りの掛かる経費といったら人件費と家賃、光熱費などである。確か秋葉原の家賃は月九万三千円だった。DVDの新作も週二回は来るが、一枚に対し千円。だいたい十五タイトルずつなので、週三万円は仕入れで掛かる。利益を考えると、基本はDVD五枚で一万円だから、売上二十万いった時点で、五千円を歩合として従業員に渡したとしても全然黒字だ。

「難しいですか?」

「分かりました。もし、名義人として働いてくれる方がいたら、それは約束しましょう。その方にお願い出来ますか?

「では、電話してみます。」

 一人心の中でピッタリの奴がいたのだ。藤崎…。あいつなら、この仕事にうまい具合に向いているかもしれない。とりあえず携帯に連絡してみよう。

「も、もしもし…。」

 暗くボソボソした聞きづらい声が聞こえてくる。

「おう、藤ちゃん。」

「伊達さん。この間は本当にご馳走様でした。」

「いつの話を言ってんだよ。相変わらずだな。おまえ、あそこのキャバクラでまだ働いてるの?前にもう辞めたい、何かいいところないかって、いつも言ってたじゃん。」

「一応まだいますよ。でも本当に辞めたいですよ。」

 まさにタイミングバッチリだ。こいつの腰の低さは初対面の客なら、不快に思う人はまずいないであろう。あとは藤崎に覚悟があるかどうかだけだ。

「藤ちゃん、給料は今どのくらいもらえているの?」

「月で二十万ちょいです。」

「そうか…。藤ちゃんさ、いきなりだけど俺のところ来るか?前もどこかいいところあったら紹介して下さいって言ってたろ。」

うーん、少し考えさせてもらってもいいですか?」

「いや、時間がないんだ。今日一日ぐらいならいいとしても、明日以降だと遅い。確かに急に俺が言い出した話だから、混乱してるのも承知だ。だけど、うちのオーナーには給料面でいい方向に掛け合ったんだ。だから話だけでも聞きに来ないか?」

「分かりました。それで明日の何時ぐらいにですか?」

「いや、出来れば今すぐ来てほしい。強引なのは承知だけど…。駄目か?」

 俺の技術力に藤崎の腰の低さが加われば、きっと面白い店になる。最初の誘いの時点でワザと強引に話しているのも、上下関係をちゃんとさせたい為でもあった。こいつが俺の言う通りに動いてくれれば…。一種の賭けでもある。藤崎はしばらく黙っていた。

「……。」

「藤ちゃん、やめとくか?」

「待って下さい、今日、話を聞きに行きます。」

 携帯を少し離してから、大きく息を吐き出した。これでなんとかなりそうだ。

「ごめんな、無理言って…。ただ、他に紹介するにも今の歌舞伎町は、腐ったオーナーばかりじゃん。だから俺の目の届く範囲ならって思ったんだ。」

「すみませんです。あのー…、仕事ってビデオですよね?」

「ああ、そうだ。詳しい事は事務所に来たら色々話すよ。」

「分かりました。これから出るんで、新宿まで三十分ほど掛かりますけど大丈夫ですか?」

「問題ないよ。じゃあ、待ってるから、新宿着いたら連絡ちょうだい。」

 電話を切ると、掛川さんは嬉しそうな表情をしていた。これで少しは俺の顔も立つ事であろう。

 

 言っていた時間通りに藤崎は新宿へやってきた。身長百六十センチあるかどうかの小さく華奢な体。自分と同じ黒髪には好感が持てる。ワックスを使っているのか、漫画に出てきそうなくらいツンツンヘアーにしている。相変わらずの細いたれ目。雰囲気は昔と全然変わっていなかったので、少し安心した。新宿区役所で待ち合わせ、事務所に連れて行く。実際こうして藤崎と会うのは一年半ぶりなので、行くまでに懐かしい話を個々に言い合った。自分が百八十センチあり筋肉質なのに対して、小さく線の細い藤崎。この二人が一緒にいると、凸凹コンビとよくからかわれた。街ですれ違う通行人は俺たちをどんなで見ているのであろうか。

「藤ちゃん、もうちょいで事務所だけど、その前に一つ言っておく。」

「はい。」

「やった事ないのは分かるけど、ビデオ屋って仕事は理解してるよな?」

「はい、名義としてですよね。」

「実際はパクられる商売だ。もし、捕まったら前科者になるんだぞ。」

「ええ、分かってます。それは覚悟の上です。」

「そうか…。じゃあ、オーナーのところへ案内するよ。」

 俺の誘いで、藤崎は裏稼業に片足を突っ込もうとしていた。包み隠さずすべて説明して本人の了承済みで、働く決心をしてもらわない限りやらせてはいけない。それでも今、こうして俺と一緒にいる事に対して、多少の罪悪感はあった。掛川さんの事務所は、区役所通り沿いのあるマンションの四階にある。俺たちはエレベータを使わず、階段で四階まで上った。

「掛川さん、紹介します。自分の後輩でもある藤崎です。」

「はじめまして。」

「掛川です。はじめまして…。今日は無理言って申し訳ないです。」

 挨拶もそこそこに、俺は仕事の説明を開始した。

「まず場所は秋葉原で店を出すんだ。新宿と違ってあの場所は、まだ警察もノーマークのはずだ。実際にビデオ屋自体、秋葉原は全部でまだ五件ぐらいしかないのが現状だ。」

「え、五件だけですか。商売的にはそれで大丈夫なんですか?」

「今度、新しい線路も増えるし、メイド喫茶やらで秋葉原は、今後もっと注目される街になるはずだ。だから今の時点で顧客を獲得出来るように頑張り、軌道に乗ったら会員制専門にして、看板は出さずにひっそりやるというのが理想だね。」

「はあ。」

「まず給料面だけど、一ヶ月で五十万。」

「はい。」

「歩合とかもあるけど、その前に言っておく事がある。」

「はい。」

 掛川さんは俺を信頼しているのか、一切口を挟まずに黙って横で聞いていた。

「藤ちゃん、さっき名義人としてって言ったけど、簡単に言えば対警察のパクられ要員だ。もし捕まった場合、自分がすべてやったと裁判でも供述するようなんだぞ。」

「はい、それは分かっています。」

 そうは言いながら、藤崎の表情は強張っている仕方ない。そうなって当たり前の話を俺はしてい

「捕まると弁護士を使って保釈申請が通るまで、大体一ヶ月から一ヵ月半は留置所に入ってる事になる。保釈後、一ヶ月から二ヶ月の間に裁判で判決が出る。まあ、ビデオの刑はしょんべん刑で軽いから、今だと実刑二年の執行猶予三年って判決になるだろう。罪状は猥褻図画(わいせつとが)になるはずだ。」

 俺は先にデメリット面から藤崎に話し出した。この不景気に五十万円という給料は保証されるが、いつ捕まってもおかしくない商売である。口では大丈夫ですと言いながら、警察に捕まってからビビリ、すべてを謳われしまっては意味が何もないのだ。

「自分は特に何も出来ないし、車の免許だって持ってません。だからそんなに給料も稼いだ事だってないし…。だからパクられるのは覚悟の上です。」

「……。分かった。今、話したのがデメリットだ。では店がオープンしたとして…。」

 俺は給料面の歩合などについて、藤崎に詳しく話し出した。

「分かりました。自分、頑張ります。」

「分かった。それで店のオープンだけど、もう一週間を切ってるんだ。それで出来る限り早目に今のところ辞めてもらいたいんだけど。」

 強引な要求を次々に飲ませるやり方。話していて自分がになってくる。さすがに藤崎は困惑の表情を見せ

「あ、あのー…、今のとこ、辞めて飛ぼうとはしてますけど、仲のいい従業員がいるんで自分が出てる間、休ませてあげたいんです。」

 こいつの人のいい部分が俺は好きだった。しかし今はうちの店を成功させなければいけない立場にいた。それに掛川さんの期待を裏切りたくはなかった。俺は心を鬼にしなくてはいけない。

「それっていつぐらいに辞められるの?」

「え、ええ…、少なくても五日間は…。」

「藤ちゃん…。これからうちでやってくんだろ?ましてや、おまえはこの仕事が初めてだろ?気持ちは分かるけど、その辺は考えてほしいだよ。すぐとは言わないけど、覚えなくちゃいけない事がたくさんあるんだぞ。そんな五日間も待ってたら、オープン前日になっちゃうよ。」

「で、でも…、休ませてあげたいんで…。」

「いいか、おまえは店を飛ぶって言ってるんだぞ?そんな他の従業員を一日二日休ませて何になるんだよ。みんなにちゃんと話せば分かってくれるだろ…。俺もこんな切羽詰った状況で無理難題言ってるのも分かるけどさ。」

「で、でも…。」

「伊達さん。」

 横で静観していた掛川さんが話に挟んできた。

「彼にも都合があるだろうし、彼の言う通り五日間待ってもいいじゃないですか。」

「え、だって…。」

 オーナーの鶴の一声に対し、言い返せない自分がいた。それにしても、この仕事をした事のない素人を何の準備なしに、オープン前日まで放っておくのはさすがに不安だった。言いたくない台詞を掛川さんに代わって言ったつもりでいたのに…。

「藤崎さんでしたっけ?じゃあ、五日後お待ちしてますよ。」

「す、すいません。では自分、これから仕事なのでそろそろ行きますね。」

 藤崎は俺に会釈すると、気まずそうに事務所を出て行った。俺には掛川さんの真意が分かりかねなかった。これが初めて俺と掛川さんの間に出来た小さな溝でもあった。

 

 帰ってから優奈に藤崎の件を話した。最後で少し揉めたものの、藤崎と一緒に仕事出来るという事に、楽しみでワクワクしているのも事実だった。

「何か嬉しそうね、修也。」

「うーん、あいつと仕事一緒にやる事になるとはって思うと、やっぱ嬉しいんだよな。」

「群馬に行く途中で電話してきた人でしょ?」

「ああ。」

「修也が嬉しそうなら私はそれで良かったわ。」

 掛川さんとも事は優奈には伏せておく事にしておいた。ちょっとした考えの行き違いという形で自分の胸に閉まっておきたかった。

「もう、左腕はなんともない?」

「俺ははなっから何も感じていないって。」

 あの群馬の家で起こった目前の不思議な光景を思い出す。俺自身がいまだに恨みを持った三人の生霊がこの左肘に…。確かに俺には何の現象も起きていない。目に見えて分かるのは、この肘が透けた映ったあの一枚の写真だけである。

「ただ、これから一週間は店のオープン準備で大変だな。」

「でも藤崎さんとかも来るし、少しは助かるんじゃないの?」

 俺は躊躇いながらも、事務所での話を優奈に説明した。掛川さんの件を出すと、悪口になるような気がして今まで伏せていたのだ。話を聞き終えた優菜は眉間にしわを寄せながら、何か考えているようだった。

「どうしたよ?」

「ううん…。」

「その顔は何か言いたい事があるって顔だろ?」

「こんな事を言っちゃなんだけど、掛川さんも何を考えているのかなと思って…。」

「まあ、藤崎に気を使ったんだろ。」

 この件に関してはあまり考えないでおこう。そう思うのがベストのような気がした。

 

 翌日、掛川さんと一緒に秋葉原の借りた物件を視察しに行った。実際に行ってみると、住所は外神田で秋葉原ではないのが判明したが、世間的に裏秋葉原と呼ばれているエリアであった。そのエリアは九割方、パソコン関係の商売が占めていた。すぐ近くの小さなPCパーツ屋に沢山の人が群がっている。パッと見、ガラクタしか置いていないような気がするが、彼らにしてみればお宝を探しているのであろう。異様な雰囲気に包まれた秋葉原。路上でアプリケーションソフトを売っている露店の人間、ゲームの基盤だけを売っている店などもある。俗にいうオタクたちの姿があちこちで見られた。

 うちの店の場所は小さいビルの二階で、一階にはPCパーツ屋が入っていた。両隣の店もPCパーツ屋で、向かいはゲームソフトを売っている店だった。新宿歌舞伎町とはまた一味違う熱気が辺りには充満している。案外、これからこのような場所は人が大勢集まってきそうな気配があった。商売的にはやってみると面白いかもしれない。階段を上がると二つの部屋と流し台、トイレがある。俺たちの店は道路に面した手前の部屋ではなく奥のほうだった。鍵を開けて中に入ると、正面に窓がある以外は何もない十坪ぐらいの空間がある。頭の中で店のレイアウトを考えてみた。

「どうですか、伊達さん。」

「そうですね…。店の位置的には目立たない場所になるので、どううまく客に伝えられるかが問題ですね。看板も商売が商売だけにあまり派手にできないだろうし…。ただ、この街の雰囲気を見ていると、今後面白くなりそうですね。」

「横浜の件で失敗しているので、どうしても弱気になってしまうんですよね。」

「ああ、それなら問題ないですよ。一日十万は売上が作れる店には出来ますよ。それなら赤字にはならないじゃないですか。」

「うまくいきますかね…。」

「掛川さん、もうこの物件借りちゃってるじゃないですか。俺は掛川さんを儲けさせる為に来たんです。秋葉原の同業じゃ、逆立ちしても勝てないような店にしますから安心して下さい。」

 力強く俺は言い切った。自分自身を奮い立たせる為にも、俺はいつも大きな事を言うようにしていた。最初に言ってしまえば、どっちみち行動するしかなくなるからである。

「棚とかはどうするんですか?」

「ええ、まだ横浜の店のほうに置いてあるので、それを使おうかと思っていまして…。」

「じゃあ、明日はトラック借りて移動の準備ですね。」

「伊達さん、トラック運転出来ますか?」

「そうですね。四トンまでならなんとか。今日は事務所帰って、店の営業内容用のものをデザインして色々作っておきますよ。」

 早速その日は事務所に帰り、看板に貼る用のデザインと切り文字用のデザインを考え出した。しかし、アイデアがまったくといっていいほど何も浮かんでこない。何故だろう。いや、当たり前だ。まだ店名すら考えていないのだから…。もうあと一週間しかないのだ。

「そういえば掛川さん。店の名前…、店の名前どうするんですか?」

「うーん…、どうします?」

「以前、横浜でやってたというお店の名前は何だったのですか?」

「フォークです。」

「フォーク?え、あの食事で使うフォークですか?」

「ええ…。」

 掛川さんは照れ臭そうにしていた。俺自身、どうコメントしていいか返答に困ってしまう。ビデオ屋の名前などそんなにこだわっているところもないので、店名なんて何でもよかった。しかし、よりによってフォークとは…。

「じゃあ、スプーンなんてどうです?秋葉原のは。」

「スプーンですか?いや、そのシリーズは何か嫌なイメージがあるので、ちょっと…。」

「じゃあ、どうします?そこまでこだわらなくてもいいと思いますが…。」

「うーん、スプーン以外なら…。」

「じゃあ、ナイフとか…。」

「ですからそっち系はやめましょう。」

「ではフルーツ系はどうですか?」

 メロン、アップル、オレンジ、パイナップル、キュウイ、ストロベリー、レモン、グレープ、チェリー、マンゴー、バナナ、ピーチ…。頭の中で色々と思い浮かべてみた。

「メロンとかどうです?」

「いや、それじゃシンプル過ぎません?どうせなら、パイナップルをちょこっと変えて、パイナポーとかどうです?」

「パ、パイナポーですか?そ、それはさすがに…。」

「じゃあ、ピッチピチはどうです?」

 自分で言い出しておきながら、店名を考える事から段々と話が逸れているような気がしてきた。

「伊達さん、シンプルでいいです。シンプルで。」

「例えば?」

「そうですね、アップルでいいです。」

「なら、いっその事、りんごのほうがインパクトありませんか?」

「りんごですか…。」

「アップルって店名なら過去、歌舞伎町でもあったと思うんです。それならりんごってほうが目立つし面白いと思いますが。」

「そうですね…。分かりました。りんごでいきましょう。」

 話し合いの結果、店名はりんごに決定した。店のイメージカラーは赤。俺はそれを考慮しながら看板用のデザインを始めた。

 

 時計を見ると夜中の二時になっていた。

「もうこんな時間か…。」

 独り言を呟いても、辺りはシーンとしたままだった。当たり前だ。この事務所には今、俺一人しかいないのだから。秋葉原で新規オープンするビデオ屋りんごに関する物のデザインをしていたら、こんな時間になっていた。俺の長所でもあり、短所でもあるこの集中すると止らなくなる部分。掛川さんは十二時頃に帰ってしまい、今はこの部屋に俺一人だけなのだ。

 区役所通り沿いのマンションの四階の一室。俺は部屋の天井の四隅をゆっくり眺めてみた。真っ白な天井。いつもと何も変わりはない。見慣れたはずの事務所も夜中に一人でいると少々薄気味悪く感じてくる。俺はもともと音楽を聴くという趣味を持ち合わせていない。静かな空間にいる事には慣れてはいるが、今はこの静けさが怖く思う。少し臆病になったのであろうか。いや、この間、群馬に行った時の件が頭の片隅に残っているからではないだろうか。

 左肘を見つめてみる。どこにも異常は見えない。群馬の先生はこの左肘に生霊がとり憑いていたと言った。しかもあの坂本らの思念が生霊となってだと…。俺には何も感じないし、何も見えない。今になって思えば胡散臭く感じる部分はある。だけど優菜のあの苦しみかたは嘘だったのか。あの先生の俺に対して言った言葉は…。優菜が俺を騙すはずはない。あの先生だって事前に優奈から俺の事を詳しく聞いていれば、あそこまで予知したように言えるであろう。ただそんな事をして誰に何のメリットがあるのだろう。そう考えると不思議な体験をしたとしか言いようがなくなってしまう。

「早く仕事を済まさないと…。」

 声に出してワザと喋ってみた。これ以上、変な事を考えたくなかった。早いところ仕事を終えて、さっさと寝てしまおう。俺はフォトショップを稼動してりんごの絵を描いてみた。続いて藤崎の顔を頭の中で思い浮かべながら、似顔絵を描いてみる。自分で描いていて思わずにやけてしまうぐらい、藤崎の似顔絵は特徴をとらえていた。続いてDVDのロゴを作成。この三つをバランス良く、いかに組み合わせるかが大事だ。りんごの絵のレイヤーを一番下に、続いて藤崎の顔。一番上にロゴ。アニメのセル画を重ね合わせるように一枚の絵を作っていく。りんごと藤崎の顔は多少立体感があったほうがいいだろう。俺はそのレイヤーをダブルクリックして

 

 

 

 

 

六月に入り、優奈の誕生日がそろそろ迫ってきている。プレゼントはものじゃなく、旅行がいいと希望していたので、俺は優奈の好きなようにさせた。五月の半ばぐらいには箱根のあじさいが見たいと行きたがっていたので、ほぼそこへ行く予定になっていた。ある日、急に優奈が俺に話し掛けてきた。

「ねえ、旅行の行き先、ちょっと変更したいんだけど。」

「何でだよ?」

もともと出不精で面倒臭がり屋の俺は、優奈の気まぐれに少し腹を立てた。旅行自体が面倒で嫌なのだ。

「あくまでもね、気のせいなんだけど…。」

「何だよ?自分で箱根って言っておいて、一体どこに行こうってんだよ。」

「長野。」

「はぁ…?何でそうなる訳?理由は…。」

「長野に修也と一緒に来てほしいんだって…、雷電にそう言われているような気がしてね。実際私だって何で急にこんな事を言い出したのかよく分からないのよ。ただ、そうしてほしいって、修也に伝えるのをお願いされている気がするんだ。」

「はぁ…?何で長野なんだよ?その根拠は?」

「分かんないよー、そんなの…。だからあくまでも、私がそう感じただけってさっきから言ってるでしょ。」

ちょっとした肌寒さを覚え、俺はパソコンを開き、雷電について調べてみた。検索エンジンで雷電を検索すると、山のように関連サイトはあった。こんなにも有名だったのか。

雷電は、千七百六十七年(明和四年)信州(長野県)に生まれたらしい…。それで優奈が長野と言い出したのも頷ける。しかし優奈のやつ、前にも増して勘が鋭くなっているんじゃないだろうか…。

江戸相撲の浦風林右衛門の門弟となって十八歳で江戸に上り、二十三歳にして雲州松江藩主のお抱え力士となり、藩ゆかりの四股名(雷電)をもらって(雷電為右衛門)を名乗ったらしい。二十九歳で大関に昇進し、四十五歳で引退するまでの十六年間二十七場所で大関を保持した。また、強すぎるため「かんぬき」「張り手」が禁じ手とされましたと伝えられているみたいだ。生涯の相撲成績は、二百五十四勝十敗、引き分け他二十一回。勝率は九十パーセントを超え、連続優勝七回と、いずれも古今最高を記録している。相撲史上最強の力士と言われているほどの化け物だ。

優奈が長野と言っていたが、調べていく内にどんどん不思議な感覚に包まれていった。あと三週間ほど経てば、俺は雷電の生まれた地へ行く事になる。これも俺の背負った運命でもあるのだろうか。旅行とは無縁だった俺も長野へ行く事には次第に興味が沸いてきた。

もし、時間があったらまた群馬のあの家に行ってみたい。そう素直に感じた。

 

雷電の生まれた時代は、「天明の大飢饉」の頃。民衆は天の無慈悲にさいなまれ、為政者の搾取に苦しんでいた頃みたいである。その当時の相撲は、横綱の谷風が出現して、ようやく近代相撲の兆しが見えてきていたが、その実態は藩に召抱えられ、飼われていた男芸者や芸人だった。勝負は馴れ合いでするものであったし、勝ち負けに対し武士達が口出しして、藩に都合のいいように勝敗が捻じ曲げられていった。要は八百長試合が堂々とまかり通っていた酷い時代だ。雷電は恵まれた体とたぐい稀な力を持って、そういう馴れ合いが常識であった相撲界に単身挑んで行った。彼は阿修羅のような形相で、相手力士を力でねじ伏せ、突き飛ばし、土俵に叩き付けていった。そのような雷電の姿勢をとがめる親方連中、武士達にも、彼は一歩も譲らない頑固者と言えば言いのだろうか。いや、違う。自分の信じた信念に対して、絶対の自信を持っていたからこその行動であろう。雷電を色々と調べていく内に、俺はどんどん彼に惹かれていく。

 ふんどし一丁で相手と立ち会うのが相撲だ。まったくの無防備の姿で相手に立ち向かうのだから、全力を尽くすのが相手に対する礼儀であるはずだ。それで怪我をしようと命にかかわろうと、力士という道を選んだ時にその覚悟は出来ている。大衆の意識改革をするには確かに非情にならないといけない部分はある。雷電の心境が、俺には痛いほど理解出来た。

当時、農村において子供は貴重な労働力だったみたいで、雷電のように巨体と怪力を持った男の子は、家族の希望だったであろう。だけど俺を捨てた親父とは違い、雷電の親父さんは自分の子の中に力だけじゃなく、知性がある事も知っていたようだ。家に置けば生活は楽になる。しかしそれではこの子は駄目になると、心を鬼にして雷電を横綱の谷風の元に預けた。それは雷電にとって親と故郷を捨てるのと同じであったらしい。すごい時代のようだ。少しは俺の親父も見習ってほしいものだ。

 まさに背水の陣…。雷電には帰る故郷はない。全力ですべて物事に対して立ち向かうしかない。このような雷電の姿に、兄弟子達も目覚めていったようだ。豪華な食い物や女をあてがわれる代わりに、武士のご機嫌取りに没頭していた力士たち。雷電効果で、本来の闘う本能が次第に甦っていく。年下の雷電を見本として、みんな凄まじい稽古を積み、土俵でその力の限りをぶつけあう。民衆もまた、そのような雷電の姿に熱狂する。相手を全力で投げ飛ばす憤怒の阿修羅の姿は、まさに時代を覆うやりきれない絶望的な状況を突き破ろうとする姿であり、大地にめり込まんばかりの四股は、時代の闇に潜む悪鬼どもを踏み潰している姿であった。雷電は怒れる巨人であり、同時に心優しき巨人であった。土俵は女人禁制。相撲の見物すら女には許されない時代であった。女達にとって、力士とは遠くから見る存在でしかなかったようだ。もし女として生まれたら、男尊女卑の酷い時代だったので可愛そうに思う。それにしても現在と比べると、今の女は本当に馬鹿が多くなった。この時代の女連中の爪の垢でも煎じて飲めと言いたくなる。

 当時は、女達にとっては悲嘆の時代でもあったようである。生まれてくる子供のうち、半分は乳離れもしないうちに栄養失調などで亡くなっていた。この頃は未曾有の大飢饉だから仕方がないと言えばそれまでだが、今の日本は豊か過ぎるのだ。こんな事を偉そうに考えている俺自身でさえ、自分の子供を自分の都合でおろしてしまっている。

今、乳を飲ませている赤ちゃんが,来年まで生き延びるには奇跡にでもすがらなければいけない。そんな時、親は無双の金剛力に頼ろうとする。この子に生きる力を授けてくれるとしたら、それは天地をも揺るがす雷電の力でしかありえない。そんな女たちが抱いた子供を見ると、雷電は必ず抱き上げ、頬ずりして祝福したらしい。小さきもの、いたいけなもの、身を守るすべすらないものに、己の天下無双の力を授け、生き延びるようにと願いながら…。この辺から俺の子供好きがきているのだろうか。俺も雷電ぐらいの力があれば…。いや、自分の子供さえ守れなかった男が何をほざいているんだ。一体、俺は今まで何をしてきたというのだろう。さらに続きを調べる。

雷電は弟子一人を連れ、飢饉の酷い村々を回る。生きる気力すら失い徹底的に打ちのめされた人々を前に、雷電は弟子にぶつかり稽古を命じた。少年は全力で雷電に向かうが、まるで容赦しない。手心を加えず少年を叩きのめしたらしい。悪鬼の如く立ちはだかる雷電に、意識朦朧としながらも少年はぶつかって行く。その姿にいつしか村人たちは立ち上がり、必死に応援する。自分達の声が少年に力を与えるようにと…。そしてついに少年が雷電を押し出す。次の朝、あの無気力だった村人達が、手製の弓矢、竹槍、クワや鎌を持って兎や鹿を追っている声で雷電は目覚めた。座して死ぬのはごめんだ。どうせ死ぬなら力いっぱい闘おう。遠い先祖達が野山を駆け巡ったように、自分達も猪を追い詰め、鹿を狩ろう。やがて飢餓の村に宴が始まる。村人達の頬が夕日に照らされる。雷電とはそんな相撲人であったと書かれている。まったく大した人物だ。現代のIT産業がどうだこうだ抜かしている連中に見せてやりたい。まあそういった人種はかえって金にもならない事をと、小馬鹿にして笑うだけかもしれないが…。

雷電について調べていく内に彼の生き様を思うと、何故か嬉しく誇りに思う自分がいる事に気がついた。最強の力士と言われ、現世においてもまだ名を轟かせている雷電。本当にこんな大人物が、俺の前世だったとでも言うのだろうか。

 

 家に帰り、優奈を誘って一緒に食事へ行く。

「優希や優太も一緒に誘えば良かったかな?」

「うーん、大丈夫でしょ。何だかんだいって、修也は色々面倒見てくれてるし、たまには二人でゆっくりというのも悪くないもん。」

「お、ここのハンバーグうまいな。」

「あ、本当だ。」

「じゃあ、お土産で優希や優太の分も持ってってやりなよ。」

「そんなに気を使わなくてもいいのに…。」

 そう言いながら優奈はとても嬉しそうな表情を見せた。

「修也の新しい職場はどう?」

「すごくいいよ。前のガールズコレクションと比べる自体間違っているけど、オーナーの掛川さんもすごく気を使ってくれるし、俺は何とかして今のところは成功させたいね。」

「楽しそうに仕事してるみたいで良かったわ。ずっと修也はギスギスしてたからね。」

「そういえば坂本の野郎。掛川さんに言われたんだけど、俺が今、どこで働いているのか色々と探ってるらしい。本当にあいつはうざいな。」

「……。」

「どうした、優奈?」

「何かその名前を聞いただけで体が身震いする。」

「確かにそうだよな。嫌な思いさせてごめんな。」

「ううん…、大丈夫。食事もしたし、修也の部屋、ちょっと寄ってこうかな。」

 会計を済ませ、俺の家へ戻る。部屋に入るとコーヒーを炒れてソファに腰掛ける。

「今日はあいつらのお土産があるんだから、泊まらないでちゃんと帰るんだぞ。」

「はーい、分かってまーす。」

「そういえば先生の言っていた盛り塩やった?」

「あ、すっかり忘れてた…。」

「じゃあ、今日帰る時、私が塩を買っておくね。」

「まああれ以来、特に何もないからそこまで気にする事ないんじゃねーか。」

 話しながら睡魔が襲ってくる。あくびを連発するぐらい眠くなってきた。ウトウトしかけ、俺は布団の上に寝転がる。

「もう寝るの?まだ十二時半だよ。」

「ちょっとだけ…。」

 夢うつつといった表現が適切であろうか。目を閉じながら優奈と会話をしていた。自分でも何を言っているのか分からなくなってきた。

 真っ暗な暗闇。さっきまで部屋の電気が点いていたはずなのに…。だとすると、夢でも見ているのか。何の音もない真っ暗な静寂の闇。自然と寂しさを感じる。

「ザ…、ザザ…。」

 変な音が聞こえたと思ったら、視界の右上の方向に、白い顔のようなものが見えてくる。いや、俺は今、目を閉じているのだから、脳裏に白い顔のようなものが急に映り込んだとでも言ったほうがいいのか。その白い顔は次第にハッキリ見えてくる。その顔は目もなく、逆さまにぶら下がり、血を垂れ流しているように見える。頭の奥で警戒音がなるのを感じる。ヤバイ…、このままではヤバイ…。

「どうしたの、修也?汗でビッチョリだよ。」

 目を開くと優奈が心配そうに俺の顔を覗き込んでいる。現実に戻ってきたんだ。何故か自然にそう思った。だが俺の脳裏にというのだろうか、先ほどの顔のようなものがずっとこびりついているような妙な違和感があった。

「俺、寝てたのか?」

「うん、横になったと思ったら、もう寝ちゃったのってぐらい早く…。」

「夢か…。」

「汗を急にかきだして変にうなされていたから、私が声を掛けたら今、目を開いて…。」

「そうか…。パソコンばかりやっていたから、少し神経的に疲れていたのかもな。」

「まったく心配させないでよ。じゃあ、このお土産、遠慮なくうちの子に渡しとくね。いつもありがとう。それじゃあ私、そろそろ帰るね。」

「悪いな、ウトウトしちゃってたみたいで…。」

 さっきの夢みたいな中の出来事は、優奈には伏せておく事にした。

「荒塩、帰りに買っておくからね。」

「あいよ。」

 まったく心配性なやつだ。玄関まで見送ってから、俺は小説の続きを書く事にした。

 

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