2024/12/2
前回の章
最も愚直で売れない小説家。
たった一人のファンの為に、しゃかりきに小説を書く俺。
こんな称号がお似合いだ。
もうみゆき以外、誰も俺の作品など気にしないだろう。
現在無職で書く事しかできない。
ギネス記録を狙っていた『鬼畜道 ~天使の羽を持つ子~』のデータは、パソコンの故障と共に無くなってしまった。
しほさんらが去ったすぐの出来事だけに、何かしらの罰でも神様が当てたのだろう。
さて、めげずに『パパンとママン』の続きを書こうじゃないか。
第十一章 《同窓会》
とうとう待望の日曜日がやってきた。
僕はママンにお願いして、少し早めに定食屋を閉める許可をもらう。
ムッシュー石川も楽しみにしていたが、『月の石』の変なピアニストの神威龍一に挑み、一発でのされ、また入院生活を送っている。
高校時代にもやられ、社会人になってからも同じようにやられた。
本当にあれは馬鹿だ。
ああいうのを人生の負け犬と言うのだろう。
まああんな変態が来ないほうが、いい方向に物事も向くというものだ。
今日は日曜のせいか、客入りが多い。
忙しくて猫の手も借りたいぐらいだが、見返りはある。
若干十八歳にして勝ち組の階段を上がる僕は、またパパンの様子を伺い、挑発して入院を伸ばす事も忘れちゃいけない。
ムッシューが入院してから二日経つ。
僕の財布は七万二千円のお金が入っている。
今日でうまくいけば十万円の大台に乗るだろう。
こんな大金持ちになった僕を見て、みゆきちゃんはすごいって思うはず。
思わず淫らな想像をしてしまうなあ、デヘヘ……。
二十歳前にして世界一綺麗な嫁さんをもらうのも悪くない。
僕のママンは確かに美人だ。
お尻をプリプリ振ると、小汚いオヤジ共はみんな、目をむき出し身を乗り出しながら凝視してしまうぐらいだ。
でも、みゆきちゃんの美しさに比べたら、ママンもその辺のカナブンと変わりはない。
中学の時であの美しさだ。
あの子、今頃どのぐらい可愛くなっているのだろうか。
よし、まだまだ頑張るぞ!
本日のお献立は『巌流島で戦った宮本武蔵も愛したおむすび たくあん付き』。
どの辺が愛しているのかまるで分からないが、ママンは巌流島まで行き、海水から塩を取ってきたと嘯く。
おむすび三つとたくあん三つ、そして『あさげ』というインスタント味噌汁という手抜きのセットだ。
これで九百円はちょっと高いと思うけど、何故かよく出る。
そして『スペシャル定食』。
これはママンが食材で余ったものをフライや天ぷらにして色々作ったものを三つお客さんに選ばせる定食である。
様々な種類あるけどよく見ると、ご飯に塩を掛けてそのままフライにしたものとか、メチャクチャなものまであった。
それでも味付けがいいのか、今のところお客さんから苦情はない。
味噌汁は『あさげ』でなく『ひるげ』じゃなきゃいけないらしい。
ママンもこだわっているのか、手抜きなのかハッキリしてほしいものだ。
しかし、これで四百円は安い。
最後に『ノアの箱舟に乗った人々が食べたがったもの』。
もう料理名だけじゃ、誰も分からないだろう。
いや、これだけは僕だってどんな料理かすら分からない。
ママンがあらかじめ仕込んでおいた料理をアルミホイルで全部包み、注文が入ったらオーブンで十五分焼き上げるだけ。
「お客さんがこのアルミホイルを開ける権利があるのだから、もしおまえさんが客に出す前に中身を見たらクビだよ」と意味不明な台詞を言っていた。
だから全然分からないのである。
気になるお値段は何と二千百円……。
不思議とそれでもお客さんは注文をする。
アルミホイルを見た客は、「おぉっ!」と驚きの声を上げながら何故か手づかみで食べ、誰にも見せようとしない。
どんな料理かまるで分からないが、食べ終わったあとお客の口の周りがナポリタンを食べたあとのようなケチャップだらけになっているという点が特徴である。
「ちょっといい匂いがするじゃあーりませんか」
「ゲッ、パイナポー……」
このクソ忙しいのに厄介な客が来たもんだ。
大方『ノアの箱舟に乗った人々が食べたがったもの』のケチャップの匂いに釣られて来たのだろう。
「おい、お兄さん、早くおあいそしてよ」
無愛想な三十代前後の男が、不機嫌そうにレジの前で待っている。
こいつ、余裕ないなあ。
絶対ゆとり世代だろう。
「へ、へい、只今」
まあゆとり相手にも笑顔を絶やしちゃいけないのがこの商売。
お、なかなか僕っていい事思ってんじゃないの。
いずれ日本を背負って立つ僕だ。
『勝ち組の哲学』という本を出した時にでも、今の事は書いておくか。
「わあ、ちょっと…、何なんだ、あんたは? やめろ、やめろっ!」
「ん?」
さっきのゆとりがデカい声を出して騒いでいる。
見るとパイナポーがゆとり男の口の周りについたケチャップを指で削り取っては舐めていた。
「あ~ん、これって上等なナポリタ~ンじゃないの~。ん~、トレビア~ン」
「や、やめろ、このババー。気色悪い。離れろ」
パイナポーの興味が、ゆとり男に行くならそれはそれでもいいか。
「もっと…、もっとジュテーム」
いや、待てよ?
嫌だけどとめないと客は怒って金も払わず帰ってしまうだろうし、そうすると僕の給料が減ってしまう。
何てはた迷惑なババーだ。
「おーい、努。忙しそうだなあ」
「あ、ランバラル」
「ん? おまえのところは相変わらず騒々しいなあ」
ランバラルこと武田五郎は、パイナポーとゆとり男の絡みを見て、大笑いしている。
「笑ってないでとめてよ」
「しょうがねえな……」
「うっ!」
出た。
ランバラルの縄跳び。
「ワハハ、ザクとは違うのだよ、ザクとは」
彼十八番の鞭叩き。
容赦なく縄跳びはゆとり男とパイナポーにビシビシと当たる。
「何だ、この店は! ふざけんじゃねえ」
泣き叫ぶゆとり。
確かに気持ちは分かる。
食事に来て会計が遅くなり、口の周りのケチャップを変なおばさんに舐められ、いきなり縄跳びで叩かれているのだから。
「あぁ~、もっと…、もっとぉ~。う~、ナポッ、ナポッ…。あーっ、ナポリタ~ン!」
この女、本当に狂ってやがるな。
打たれる度に「ナポッ」って本当に薄気味悪い。
今日このあと、こいつの店へ行かなきゃならないのがとても気が重いなあ……。
それでも僕はゆとり男からしっかり二千百円をもらい、パイナポーを店から追い出した。
ゆとり男は「何でこんな目に遭ってんのに金まで」とブツブツ言いながら店を出て行く。
もうきっとここへ来る事はないだろう。
まあ、別にいいけどね。
ランバラルは縄跳びを丁重に折り畳み、懐へしまう。
「ふー、面白かった。俺も腹減ったから『ノアの箱舟に乗った人々が食べたがったもの』でも注文しようかな」
「あのさ、悪いけどお願いがあるんだ」
「お願い?」
「『ノアの箱舟に乗った人々が食べたがったもの』はタダにしてあげるからさ、僕が作った料理をお客さんに出すの手伝ってくれない? あと水がなくなった人に注いでほしんだ」
「う~ん……」
「じゃあさ、時間給プラス五百円出すから頼むよ。ランバラルもママンに借金あるんだろ? お願いだから頼むよ」
「よっしゃ、俺も手伝ってやろうっ!」
「あ、その代わりお客さんに縄跳びで『ザクとは違うのだよ』とかナシだからだね」
「ああ、もちろん分かってるわ」
こうして僕は悪友ランバラルという援軍を得て、何とかこの忙しい状況を乗り切ろうと立ち向かった。
今日は同窓会の為、夜の営業はなく昼の営業をちょっと増やし、それでお客さんには了承をしてもらっていた。
いつもより短い時間なのに、客数は半端じゃなかった。
あのランバラルまで汗だくになって料理を運んでいる。
「はい、『スペシャル定食』三つ。このトレーをお客さんに見せて、好きなのを三つ選ばせて! それと『巌流島で戦った宮本武蔵も愛したおむすび たくあん付き』。スペシャルはひるげを使ってね。間違えちゃ駄目だよ。あさげとかは袋を破ってそこにあるお椀に。そんでそのポットでお湯を注いでから出してね」
「おう、任しとけ」
まるで戦場のような慌しさの中、僕たちは必死に頑張った。
また入り口のドアが開く。
「ん?」
少しだけ開いたドアの隙間からは、先ほど追い払ったパイナポーがジーッと中を覗き込んでいた。
しつこい女だ。
まだあのケチャップの味を忘れられないようだ。
「ランバラル。入り口に変なのがまだいるよ。追い払って」
「おおよ!」
ランバラルお得意の縄跳びを取り出し、振り回した瞬間だった。
彼の武器は途中で切られ、宙を舞う。
「ゲッ!」
完全に逆上したパイナポー。
片手に大きな出刃包丁が光っている。
「ナポナポナポナポ……」
このままじゃ命に関わるかもしれない。
本能的に感じた僕は、冷蔵庫からケチャップを取り出し、パイナポーの顔面に「食らいやがれ!」と発射させた。
「あ~ん…、これってナポリ? あーっ、ナポッ、ナポッ。トレビア~ン」
顔面についたケチャップを指で触りながら口へ持っていくパイナポー。
おぞましい。
もはや人間に見えなかった。
「俺の鞭が…、うぅ……」
縄跳びの無くなったランバラルは、メソメソとその場にしゃがみ込み泣いていた。
武器の無いこいつなんて、クリープを入れないコーヒーみたいなもんだ。
「もっと…、もっとナポリタン……」
パイナポーが顔についていたケチャップをすべて舐め終え、こちらへ迫ってくる。
これはヤバいぞ?
僕はひらりと身をかわし、外へ飛び出す。
「ナポーッ!」と奇声を発しながらパイナポーは追い駆けてくる。
「ほら、くれてやるよ」
ケチャップを交通量の多い道路へ放り投げると、パイナポーはもの凄い速さでダッシュして、空中でそれをキャッチした。
このババー、走り幅跳びをやっていたら世界記録を簡単に敗れるんじゃないかってぐらいの跳躍力である。
恐るべし。
「あ~、あ~、あぁ~っ、あーちーちー、あーちー、エキゾチックジャパン」
訳の分からん歌を唄いながらパイナポーは道路のど真ん中でケチャップをペチャペチャ舐めている。
その時背後からクラクションを鳴らした赤い車が迫り、パイナポーは思い切り跳ね飛ばされた。
まるでゴムマリのように空高く舞い上がり、すぐ地面へ落下した。
「だ、大丈夫ですかっ!」
ひょっとして死んじゃったんじゃないかってぐらいの衝撃を受けているのだ。
さすがに僕は駆け寄った。
「あ~、おいしぃ~、ナポリ~ヌ~」
「……」
こいつ、こんな状況になってもケチャップを離さず、ペロペロ舐めてやがる。
でも、重症なのか、身体は小刻みに痙攣していた。
これって完全に交通事故だよな?
僕はパイナポーを豪快に跳ねた赤い車を睨みつける。
すると、その車はすごい勢いでそのまま逃げてしまった。
おいおい、当て逃げかよ……。
「大丈夫っすか、ママ?」
「あ…、あなたね? 来てくれたのね……」
ヤバい。
さすがに弱ってきているぞ。
「すぐ救急車を呼びますから」
僕は集まってきた野次馬に救急車を呼ぶよう手配した。
「ううん、そんな事いいの。それより私のお願いを聞いてくれる?」
「はいっ! 何すか?」
「あ、あのね…、ゴフッ……」
血を吐きながらゆっくり目を閉じるパイナポー。
「ママッ! 大丈夫ですか? しっかり!」
「キ…、キ……」
「『キ』がどうしたんですか? もうちょっとで救急車来ますから。喋らないで」
「キスして!」
いきなりパイナポーはガバッと起き上がり、僕の唇を奪う。
何が起こったのか全然わからない僕。
「んーっ!」
必死に抵抗する僕。
あ、舌なんか捻り込んできやがった……。
「もっとダーリン! 好きっちゃあ」
もの凄い元気じゃねえかよ……。
こいつ、全然ダメージなんかなかったのか?
ようやく野次馬たちが引き剥がしてくれる。
さっき血を吐いたと思ったのも、ただのケチャップだったようだ。
「……」
よくも僕の大事なファーストキッスを……。
しかも、こんなババーに……。
泣きながら僕は定食屋へ戻った。
どんなに傷ついても、どんなに心に大きな空洞ができても、今の僕は経営者なのだ。
テンションなど最下位まで落ちた僕。
それでも自分の仕事だけはキッチリこなした。
雨にも負けない。
風にも負けない。
でも、ケチャップババーには負けた……。
いや、あれは騙されただけだ。
ふざけやがって。
そっと唇に指先で触る。
誰にも犯された事のない天使のような唇が……。
爬虫類のようなヌメッとした舌が僕の口内へ捻り込んで来た時、このままはらわたまで食い尽くされてしまうんじゃないかという錯覚に陥った。
仕事が終わると、トイレに駆け込んでゲーゲー吐き、何度もうがいをして口をゆすいだ。
何もかも汚された気分だった。
こうなったら今日これから始まるクラス会。
あの絶望の美女のみゆきちゃんに、うまい事口説いてキスをしてもらう他ない。
天使のような唇が汚されたのだ。
それを癒すには、本物の天使にしてもらうしかないのだ。
幸い今日の売上は何と四万。
ランバラルも頑張ったから三千円ぐらいあげてやろう。
あとは金をチラつかせ、金に物を言わせ、あのみゆきちゃんを……。
うー、想像しただけでピンコ立ちっす。
「う、うぅ……」
自分の武器である縄跳びを包丁でぶった切られたランバラルも、店が終わったというのにまだ女々しく泣いていた。
「ほら、今日はお疲れさん、ランバラル」
彼は千円札三枚を見ると、サッと手に取り財布にしまう。
そしてまた泣き出した。
ちゃっかりしてやがんなあ、この自衛官め……。
時計を見ると、夕方の六時を回っていた。
少し早いけど、行くか『月の石』へ。
「そろそろ行こうよ。もう時間だよ」
「うぅ…、ヒ、ヒートロッドが……」
「何だよ、らしくないなあ。縄跳びなら、僕が買ってプレゼントしてあげるから」
「ほ、本当か?」
「嘘なんかつかないよ。ほら、そろそろ時間だよ」
「わ、分かった……」
縄跳びがなければ、しょせんこの程度の男だったランバラル。
コンビを組むムッシュー石川も減らず口のウザいだけの男だった。
『蝿もたからない者たち』……。
本当にクソ以下の存在だ。
僕はみゆきちゃんに逢う事を胸に秘めながら、威風堂々と街を闊歩する。
横にはしょげ返ったダサ坊のランバラル。
まるで僕のお供をするかのようにコソコソと歩いていた。
鞭がなければただの臆病者に過ぎない。
以前雑貨屋『タマらん』で購入した一万円の『ビバ、ツトム88』扇子を片手に、パタパタ扇ぐ。
これはよほどの事がなければ滅多に出す事のないものだ。
今日はよほどの事があるからこそ、こうして引っ張り出してきた訳である。
うちの定食屋の前の細道を真っ直ぐ歩き、突き当りのT字路を左折すると、因縁の『居酒屋 兄弟』の前を通り過ぎる。
中には人生の負け犬の巣窟である小松菜泥棒老夫婦や、泥棒に入ったオカマの怪しいオヤジなどが寂れた酒を啜っている。
ふん、この犯罪者一歩手前軍団め。
だいたいあの昭和を彷彿させる厚化粧の女将は一体何なんだ。
「この間もあの小汚い定食屋の花壇から、小松菜二束パクってきてやったぜ」
「ほう、そりゃあすげーや、ギャハハ」
「じゃあ、今日は小松菜パーティーと洒落込むかい」
吹き溜まりのタン壷にも劣る連中が……。
勢いよく殴り込みを掛けたいところだが、これから楽しい同窓会が待っているのだ。
ランバラルが縄跳びを持っていればまだ勝機はあったけど、今は使えないただのクズと化している。
あとでママンに報告だけはしておこう。
キコキコ……。
自転車を漕ぐ音が聞こえたので振り返ると、桶屋のジュンが補助付き自転車で懸命に漕いでいるところだった。
十八にもなって未だ普通の自転車に乗れない哀れな男だ。
「おい、桶屋のジュンじゃないか。君も同窓会へ行くのかい?」
「は、話し掛けないで、集中してないと倒れちゃうんだから」
じゃあ、素直に歩いてくればいいのに……。
いつもならすぐに苛めるランバラルも、今日だけは何も反応しない。
桶屋のジュンはそれを見て、ホッとしたような表情になる。
途中おもちゃ屋さんがあったので、僕はランバラルに縄跳びを買ってやった。
「グ…、グフフ……。ヒートロッド……」
縄跳びを手にした途端、ランバラルの目つきが変わっている。
桶屋のジュンは怯えたような表情に切り替わった。
彼に武器を与えるの、ちょっと早かったかな……。
「ワハハ、ザクとは違うのだよ、ザクとは」
「痛い痛い痛い痛い……」
やっぱり……。
ビュンビュンと叩かれ痛がるジュン。
「ほら、やめなって」
仕方なくとめに入る。
「ワハハ、ザクとは……」
「ランバラル! そんな事ばかりしていたら返してもらうよ?」
「ちっ、分かったよ」
本当この男、武器があるないでこうまで口の利き方まで違うのだから、末恐ろしい奴だ。
僕たち三人はそのまま無言で歩き、『スナック 月の石』の前まで到着した。
先ほどファーストキスを奪われたばかり。
その憎き相手がママをしている店『月の石』。
同窓会にみゆきちゃんが来るという情報がなければ二度と行きたくない場所だった。
ランバラルを先頭に、桶屋のジュン、僕と中へ入る。
「いらっしゃーい」
北海道人妻のれっここと青木怜子と、ボインナースの新道貴子が出迎えてくれる。
桶屋のジュンは二人の美女を見ただけで極度の緊張が全身を包んだのか、息が荒くなっていた。
「やあ、君たち、久しぶり」
黒ぶちメガネを掛けた七三分け頭の男が近づいてくる。
「あ、生徒会長っ! 久しぶり」
あだ名というか生徒会長へなるべくしてなったという生真面目な男。
牛乳ビンの底のような分厚いメガネは昔と変わらない。
「他には誰か来ているの?」
「あそこに亀田がいるよ。昔から変わらず暗いままだけど」
「おーい、亀田ーっ!」
ランバラルの呼びかけに対し、微動だにしない亀田。
振り返る事さえなく、目の前のスナック菓子をポリポリと勝手に食べている。
後ろ姿しか見えないが、焼きそばのような天然パーマと頬のブツブツニキビは未だ健在だ。
昔からもっさりとしてパッとしない男だったが、現在も変わらない。
大方たるんだ三段腹を揺らしながら部屋に籠もり、オナニー三昧の日々を送っているのだろう。
「あの野郎。久しぶりの再会だってのに、挨拶どころかこっちすら向かないじゃねえか。よし、これで叩いてあいつの目を覚ましてやる」
懐から縄跳びを取り出しすランバラル。
「やめなって」
慌てて僕はとめた。
「あとは誰かいないの?」
「女子で一名、トイレに行っているのがいるよ」
ひょっとしてみゆきちゃんかな?
う~ん、でも天使のような彼女がウンチなんてするはずないしなあ。
まだ来ていないのかな。
「まあとりあえず席に座ろうよ、みんな」
生徒会長はどんなところでも場を仕切れる優秀な人材だ。
でも、十八歳にしては頭のてっぺんが妙に薄くなっている。
テーブルの上にはスナック菓子や唐揚げ、そしてミートローフ、サラダ、フライドポテトとウインナーのアラカルトなどが並んでいた。
今現在集まっているのは僕、生徒会長、ランバラル、桶屋のジュン、そして亀田の五人。
あと一人の女子はトイレに行っているらしい。
全部でまだ六人。
みゆきちゃん、来ないのかな……。
僕らの目の前を新道貴子が大きなボインをゆっさゆっさと大きく揺らしながら飲み物を運んでくる。
みんな、ボインに視線が釘付けだ。
真面目な生徒会長の股間まで、テントを張っているぐらいだった。
このむっつりメガネが……。
バタンッ!
威勢よくトイレのドアが開く。
ずんぐりむっくりしたまん丸体型の女が出てきた。
まさか……。
「ひょ…、ひょっとして…、そこにいるのは努君……」
中学時代抱きつかれ全治一ヶ月の怪我を負わされた怪力女の豆タン子だった。
とっさに僕は腰を浮かせ、臨戦態勢に備える。
豆タン子は大袈裟に両腕を広げ、鼻息を荒くしていた。
気をつけろ。奴は来るぞ……。
「好きっちゃあ~っ!」
「努…、どいていろ。奴はザクより強い……」
目の前には縄跳びを持ったランバラルが立ちはかる。
何かちょっと頼もしいぞ。
ランバラルが「食らえっ!」と縄跳びを振り上げた瞬間、豆タン子はさらに加速して、もの凄いタックルで彼を吹っ飛ばした。
「……」
何だか以前よりもパワーアップしていないか?
僕は交通事故に遭ったかのように身体をピクピクさせているランバラルの元へ向かう。
「おい、大丈夫か!」
「や、奴は…、ニュ、ニュータイプか……。ガクッ……」
自分で『ガクッ』とか口で表現しているぐらいだから大丈夫か。
それにしても僕はこの窮地をどう脱出したらいい?
「ずっと遭いたかったかったんだからね、努君」
「会いたいの漢字がおまえ、間違っているぞ」
「もう、離さないから」
そう言って豆タン子は舌をベロンと出し、口の周りを一周させた。
「うぅ……」
恐ろしい。
何て長い舌なんだ……。
「豆子、おやめ」
背後で声が聞こえる。
振り向くと、この『月の石』ママのであるパイナポーが立っていた。
やっぱりさっきの事故じゃ、ダメージなんてなかったんだ、このアマ。
「お母さん……」
「ええっ?」
今、豆タン子は何て言ったんだ?
「おやめなさい。彼はね、もう私のものなんだから」
「いくらお母さんだって、私の初恋を邪魔したら許さないわよ?」
何という衝撃な事実。
パイナポーと豆タン子は親子だったのか……。
「もうね、彼とはAを済ませた仲なのよ、豆子。あんたの出る幕なんてないのね」
嫌な事を思い出させやがって。
豆タン子は僕を見て目をウルウルさせているが、まったく可愛くない。
「ほんとなの、努君?」
「ああ、本当さ。今日中に私はCまでやっちゃおうかなって思ってんだから」
パイナポーの台詞にゾワッと鳥肌が立つ。
史上最大の醜い親子喧嘩に対し、僕らは誰一人声を出す事ができなかった。
従業員のれっこやボインの貴子も、ただ事の成り行きを眺めているしか術がないようである。
その時、入り口の扉が静かに開いた。
男連中の視線が一斉に向く。
まるで後光が差したようなオーラを纏いながら、ゆっくりと『スナック 月の石』へ入ってくる人物。
一歩歩く度微かに揺れる空気は、この広大なカオスに包まれた暗黒の世界を徐々に和らげてくれる。
こんな奇跡的な事が自然とできる人間なんてそうはいない。
「み、みゆきちゃん?」
「あら、みなさん、お久しぶり」
どんな映画でもかなわないような感動が全身を貫く。
中学時代はまだあどけなさが残っていた彼女だが、今ではすっかりとエレガントで軽やかな大人の色気も備え、また屈託のない笑顔で周囲の人間を癒してくれる。
さすが『絶望のマドンナ』と呼ばれただけはあった。
何故『絶望のマドンナ』なのか?
それは同じ学校の男子生徒が陰でつけたあだ名だったのだ。
彼女は誰にでも優しく亀田みたいな薄気味悪いオタクでも、苛められていると身をていし、かばっていた。
人の痛みが心の底から分かってくれる子だったのである。
どんな状況でも終始笑顔を絶やさず、僕ら男子生徒はどれだけ彼女の存在で救われた気分になっただろうか。
すべての男が彼女に惚れていた現実。
おかげで中学時代、一組もカップルなどできなかったぐらいなのだ。
だから女生徒はヤキモチのあまり、みゆきちゃんを『八方美人』だと陰口を叩くしかなかった。
そのぐらい彼女は、素敵で崇高な存在だったのである。
つまりすべての女生徒が絶望したほどのマドンナという意味なのだ。
もそっと亀田が無言のまま立ち上がり、トイレへ入っていく。
あの野郎、彼女のいる空間の空気を吸ってしまったもんだから、我慢できなくなってトイレでマスターベーションでもおっぱじめるのだろう。
男の反応とは真逆に、女共の視線は鋭くなっていた。
従業員のれっこや貴子。
彼女らも美人ではあるが、みゆきちゃんに比べたらその辺にいるダンゴ虫と同レベルだ。
本人たちもそれを自覚しているからこそ、ヤバいと自覚しているのだろうな。
「あんた、なかなかの美人じゃないのさ。ようやく私とタメ線張れる女が登場した訳だね。まあ、そんなところに立ってないで座りなよ」
パイナポーがシーンとした空気の中、言葉を発した。
こういうババーの自信って一体どこから来るのだ?
不思議でならない。
思いっきり勘違い女。
みゆきちゃんを目の前にして物怖じしない馬鹿。
さっきの台詞を思い出すだけで無性にイライラしてくる。
「オラッ、どの辺があんたさ、タメ線張ってんだよっ!」
珍しく青筋を立てながら桶屋のジュンが、パイナポーに怒鳴りつけていた。
こいつがこんなキレているところなんて、生まれて初めて見たぞ……。
「今の言葉、取り消せ……」
ヨロヨロしながらもランバラルが起き上がってくる。
彼は昼間パイナポー、夜は豆タン子と親子二代に渡ってやられながらも、懲りずに立ち向かおうとしている。
「あ、あぁ…、み、みゆきちゃ~んっ!」
トイレから亀田の叫び声が聞こえた。
汚ねえな、あいつ……。
みゆきちゃんを想像しながら一発出しやがったな……。
「男子生徒全員を代表して私が発言します。豆タン子のお母さん、今の発言、取り消してもらえませんか?」
牛乳ビンの底のようなメガネの奥で、虫のような目をしながら生徒会長が堂々と胸を張りながら口を開く。
「おだまりっ!」
「ふぎゃっ!」
パイナポーの強烈な張り手で生徒会長は吹っ飛んだ。
一応僕たちって客じゃないの?
待てよ、僕だけじゃん。何も言ってないの……。
みゆきちゃんに嫌われちゃうかもしれない。
よし、次は僕の番だ。
「おい、キサマ! 取り消しやがれっ!」
「な、何でそんな事言うん? うち、ダーリンにそんな事言われたら、生きていけんちゃ」
僕の言葉にパイナポーは目を潤ませている。
第一誰がダーリンやねん。
気持ち悪いなあ。
殺伐とした雰囲気の中、「バーン」と低音のメロディが鳴った。
「あ、おまえは……」
あの狂ったピアニストの神威龍一がいつの間にかステージのピアノに座っていた。
「みんな見苦しいぜ。今日は君らの同窓会じゃないのか? ほら、立ってないでみんな席へ座れ。そして俺が演奏をプレゼントしてやる」
こいつはあのムッシュー石川を一撃で病院送りにした野蛮人だ。
言う事を素直に聞いておいたほうが身の為だ。
大人しく席へ腰掛ける。
「みゆきさんと言いましたっけ?」
神威はマイクを手に持ち、みゆきちゃんのほうへ手をかざしながら話し掛けていた。
このキザ野郎が……。
「は、はあ……」
「あなたの為に私はピアノを捧げたい…。では、一曲目ザナルカンド、行きます……」
こいつ、今さっきみんなに演奏をなんて抜かしといて、舌の根も乾かない内に何て事を。
この軽薄野郎が……。
でも、怖いから心の中で呟くだけにしとこっと。
奴の演奏が始まる。
れっこや貴子はそれを聴きながら両手を組んで、うっとりしてやがる。
この尻軽女共め。
「ゲッ……」
パイナポーと豆タン子の馬鹿親子は、二人共パンティの中へ手を突っ込んで、オナニーしちゃってるぞ……。
みゆきちゃんは大丈夫だよね?
僕は恐る恐る彼女のほうを振り向いた。
うん、目を閉じて静かに曲を聴いているだけだ。
そう音楽はこうやって優雅に楽しんで聴くものなのだ。
さすが『絶望のマドンナ』だ。
いつまでも変わらない君でいてくれよ。
そう僕は心の中で微笑む。
ザナルカンドが終わると、女だけから盛大な拍手がパチパチと起こる。
再び神威は立ち上がり、マイクを持って口を開く。
「続いてドビュッシー作曲、『月の光』……。この曲も…、みゆきさん……。あなたへ捧げたい……」
あのデカブツめ、何を格好つけていやがんだ。
「うぉ~、テメーッ! ムカつくんだよっ!」
ランバラルが感情を剥き出しにして、襲い掛かる。
いいぞ、やっちめえ!
神威は縄跳びをひょいと避け、相手の懐へ潜り込む。
ランバラルの背中しか見えない状況の中、神威の右腕が真横に見えた。
ん、変な握り拳をしているな。
ギュっと握り締めた拳なのに親指だけがピンと横に伸びている。
そう思った瞬間すぐ、とんでもない速さで神威の親指はランバラルの横っ腹へ突き刺さった。
「うぎゃぁ~っ!」
横っ腹を押さえながら地面をのたうち回るランバラル。
うわっ、血が出ているよ……。
「神威龍一究極打撃技『打突』……。人間の体に穴を開ける事だけを目的とした殺人技。俺の行く道を邪魔する人間は、容赦なく潰すぞ。できれば怒りたくねえんだ。静かにしてろよ」
何だかあいつ、危ない上におっかねえぞ……。
泣き叫ぶランバラルをパイナポー親子は冷静な表情で手と足を持ち、無情にも店の外へ放り捨てた。
本当に酷い店だな。
「では、気を取り直して『月の光』、演奏します」
ピアノの前に座ると、神威は再び曲を弾きだした。
すげー二重人格だ。
警察は一体何をしているんだ?
ここに凶悪な犯罪者がいるというのに……。
さっきのザナルカンドに比べ、今度の曲は妙に長いぞ。
聴いていて非常に退屈だった。
「ふぁあ~」
思わずアクビが出てしまう。
するとれっこが「しー」と口に手を当てて注意してきた。
チッ、このアマ、何様のつもりだ。
人妻のくせに色気づきやがって……。
演奏が終わると再び女性陣からだけの拍手が起きる。
見ていて非常に不愉快だ。
だって今日は僕らの学年が主役の同窓会なんだから。
また目立ちたがり屋の神威がマイクを握った。
「今日はみゆきさん、こんな場末の飲み屋へお越しいただけ光栄です。ザナルカンド、月の光…。この二つの曲は以前、一人の惚れた女の為にピアノを始め、三十歳を過ぎた私がひたすら毎日のように弾いた曲です。でも、彼女は発表会にも来てくれず、私はフラれました……」
だからレパートリーがあの二曲しかないのか、あの男は。
「一人の女の為に始めたピアノ…。でも、私は誰にもピアノを捧げていない。だから今日、あなたの為に捧げたかったんです……」
こいつ、話が長いなあ。みゆきちゃんに迷惑だろうが。
「ちょっとステージまで来ていただけませんか、みゆきさん」
困った表情でみゆきちゃんは立ち上がり、ステージへ行く。
パイナポーや豆タン子はハンカチを口で「い~っ」ってくわえながら悔しがっていた。
「こんな私ですが……、結婚して下さい……」
思わぬ告白にシーンとする店内。
この男は本当に馬鹿か?
『絶望のマドンナ』であるみゆきちゃんがどこの馬の骨とも分からない奴なんぞの嫁になる訳ねえだろうが。
マドンナ……。
イタリア語では、我が淑女という意味を持つ言葉。
広い意味では、聖母マリアという意味合いもあるらしい。
どちらにしても、あんな野蛮で大男が簡単に口説ける女ではないのだ。
「ご、ごめんなさい……」
ほら、見ろ。
フラれやがった、ザマーミロ。
「わ、私のどこに不満が……」
女々しい野郎だな。
さっさと去れ、ボケ。
「あ、あの~…、もう私…、結婚しちゃってて、人妻なんですよ……」
「えーっ! マジかよ!」
すべての男が同時にデカい声を張り上げた。
「そ、そんな……。ザ・ショック」
生徒会長のメガネがショックでパリーンと割れる。
みゆきちゃん、嘘だろ?
嘘って言ってよ……。
「うわーっ! 秋奈ーっ!」
神威は泣きながら狂ったようにピアノの鍵盤を叩いて錯乱していた。
僕たちはこの世の終わりみたいな顔をしながら、泣いて家に帰った。
よし、終わりっと。
あ、竹花さん出さなかったなあ。
パパンも出してないや。
次章は肥溜めブラザース復活の巻でも書いてみるか。
「……」
何なのだろう、この虚しさは……。
みゆきへ媚びるかのように『パパンとママン』を書き、作家として俺はまるで成長などしていない。
こんなものを書いてどうしようと言うのだ?
もう色々指摘してくれるしほさんはいない……。
こんなもの、ギャグ漫画と変わらないじゃないかよ。
『鬼畜道 ~天使の羽を持つ子~』こそ、俺にとっての文学ではなかったのか?
データは確かに消えた。
でも、それで俺はお茶を濁すような小説しか書けなくなったのかよ。
違うだろ?
俺はあの時誓ったはずだ。
物凄い作品を書き上げると……。
いいのかよ、こんな事をしていて。
みゆきからメールが届く。
『パパンとママン』最高という感想。
そう…、俺は誰もいなくなり、みゆきへ依存していただけなのだ。
応援してくれるのも、傷を癒してくれたのも感謝を未だしている。
ただ、彼女じゃ、俺の成長の糧にはなっていない……。
もちろんみゆき自体には何の責任も無い。
この作品のケジメをつけよう。
俺はこんなものでなく、また『鬼畜道 ~天使の羽を持つ子~』を書かなきゃ駄目だ。
今の自分をジャンボ鶴田師匠や三沢光晴さんに胸を張って見せられるか?
つい、卑屈になってしまうだろう。
もっと胸を張って生きろよ。
そして少しは考えろ。
そろそろ休業補償も切れ、働きにも行かなければならない。
今の俺は最底辺。
自覚しろよ、もっと。
もう誤魔化して生きるのはやめよう。
あの当時の全日本プロレスにいた頃を…、誇りを持てたあの頃へ戻らないと。
小説を書きながら、世間を相手にプロレスをするんだろ?
うん、みゆきには悪いが、次で『パパンとママン』は完結させる。
それから次をどうするか考えようじゃないか。
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