大仏鉄道遺構めぐり 大仏鉄道とは明治の5大私鉄の1つといわれた関西鉄道㈱が名古屋方面から 大阪への進出を目指し「加茂駅」から現在の奈良駅北1.1Kmのところに作った 「大仏駅」間を結ぶ8.8Kmと翌年開通した奈良駅までをいう。 大仏駅の開業は明治31年4月19日、加茂駅~大仏駅が開通し赤いイギリス製の 蒸気機関車が伊勢や名古屋方面からの大仏参拝客を乗せて賑わったそうです。 この花形路線も急坂の黒髪山トンネル(勾配25%)越えの難関では走行は困難を 極め、新たに木津駅経由の平坦路線が開通したため徐々に乗客が減少、1907年 鉄道の国有化法により僅か9年間で廃止になりました。橋脚や隧道等が元路線 沿いに周囲の里山風景に溶け込み、100年前のそのままの姿で残っていました。 1月18日、私達は澄み渡る青空と温暖な天候の中 JR京都加茂駅から歩きました。 ![]() ![]() 線路の正面は加茂駅。JRの踏切から写す。駅を出とところの、マンホールのふた模様がきれい。 ![]() ![]() JR大和路線に平行した大仏線の軌道跡にC5756が保存されていた。このSLはS34年現天皇陛下が 美智子妃殿下とご成婚後に畝傍御陵・伊勢神宮に参拝された時のお召し列車を牽引したものです。 ![]() ![]() 川沿いに続くこの道も線路が通っていたのではないでしょうか~? 青い空、風もなく暖かいのどかな 美しい田園風景が広がります。 ![]() ![]() 観音寺橋台・後方が私鉄関西鉄道大仏線の橋台、手前がJR大和路線です。 右は通り過ぎてから振り返って橋台を写す。大仏鉄道の橋台の方が背が高い 電車が通る所をみたかったのですが、1時間に1本位とか? 残念でした~ ![]() ![]() 観音寺小(橋台)築堤で 生活道や水路を 切断しないために 切石を積んで 橋台を設けています。すぐ横をJR大和路線が走っているため立ち入ると危険な ため柵が設けられています。 右の写真はすぐ横には静寂な竹林の道が続く。 ![]() ![]() 田んぼのあぜ道の横に、お地蔵さんが祀られており、ホットする景色です。 右の写真は枕木と線路のレールを使って柵をしてあぜ道をつくっています。 ![]() ![]() 鹿背山橋台・明治期の物とは思えないほどしっかりした石積みの作りです。 右はこのあたりにあるマンホールのふた木津川を渡る渡し船が描かれている ![]() ![]() 梶ヶ谷トンネル・大仏線の築堤を造る際、農道と水路確保のために造ったトンネル。 アーチはイギリス積みレンガ、側壁は御影石と贅沢な造りになっている。 ![]() ![]() 梶ヶ谷トンネルをくぐったところです。壁は煉瓦、側壁は御影石、アーチ部分の煉瓦は 長手積み、坑門はイギリス積み保存状態は良好で、当時の技術の高さがうかがえます。 大仏鉄道の代表的遺構の一つだそうです。 ![]() ![]() 赤橋・上部は道路として転用。 下から見ると石と木で作られています。 レールが剥がされ アスファルトが敷かれた 当時のままだそうです。 ![]() ![]() 長閑な田園風景が続き癒されます。このあたりのマンホールのふたの絵は 鹿が描かれています。もうすぐ奈良市内に入るのでしょうか。 ![]() ![]() 県境手前右手にヨーロッパ風の要塞(木津南給水施設)がみえてきた。右は 黒髪山トンネル南側の旧・奈良ドリームランドの入口です。2006年8月に閉園 となり、現在までそのままの状態です。跡を過ぎて、旧奈良市街へ下っていく。 ![]() ![]() 奈良市鴻池球場の前を通りました。その向かい側の右の写真は、奈良市鴻池陸上競技場です。 ![]() ![]() 奈良市中央体育館。体育館前の鴻池にはアオサギや鴨たちが多く群れていました。 中央体育館のはるか奥には 若草山と原始林の残る春日山が望める。 ![]() ![]() JR加茂駅から歩き始めて奈良駅まで12・3㎞を歩きました。ゆっくりと 休憩して5時間ほどかけて完歩しました。疲れた足を休めたいのと 熱いコーヒーでお茶しようと、駅前の商店街で喫茶店を探しました。 ![]() ![]() 飛び込んだお店で、ラッキーにもシンガーソングライターの地元の可愛いお嬢さん、 若林美樹さんのライブステージが行われていました。数曲熱唱されたあと、 思いがけずに私達のテーブルまで挨拶にきてくれました。4月には梅田でCD 発売記念ワンマンライブをされるそうです。いっぱい挑戦して頑張ってね~ 素敵な歌をありがとう~ 明治の終わり、大仏さんへ向かう 鉄道があった。大仏鉄道遺構めぐり、は わずか9年の幻の路線跡に当時のままのレンガ造りの橋脚などが残っており 周囲の里山風景とも一致してロマンいっぱいのハイキングを愉しめました。 年月を経ても当時のままの建造物が新たな風景に融合して残ってほしいです |