羅臼はまだ桜が咲かず海岸に雪が残る。流氷が去ったこの時期の知床は水温が極端に低い。また北と南、どちらの風も突然吹き海は一瞬で変化する。静かな海はない。そんな中で私は毎年漕いできた。ドライスーツは必須だ。しかし着ていても荒れる岩礁帯に放り出されて波に翻弄されれば助かる可能性は低い。突然巨大なブーマーが現れ、潮と風が強い知床岬一帯はルートファインディングが特別難しい。それでも岸近くを漕ぐ。まだ助かる可能性があるからだ。沖では瞬時に致命的事態を招く。沖は潮が速く不規則な波が常に上下している。風が吹き出せば波が一気に高まって動力船でも操船が困難だ。私は凪が良くてもこの場所の通過は口が渇く。緊張と恐怖からだ。そんな中で観光船KAZU I の事故は起こった。4月24日、この海で尊い26人もの命が奪われた。私たちは今回、遭難者の捜索のため半島羅臼側をアイドマリから知床岬まで往復した。寒気が強く残る今年は陸波が危険なほど大きかった。いつものように複数のヒグマが海岸近にいた。かれらの様子からこの海岸に遭難者はいないようだった。
雪崩事故もそうだが後に原因がわかっても死者は還らない。事故には理由がある。それを防ぐには事故の要因を取り除き、過信せず用心するしかない。長く知床沿岸を漕ぎ、多くの事故を見聞きし、自分でも何度か事故を起こしかけた者として、今回の事故を考察してみようと思う。報道にあるような議論に終始すれば、再び同様の事故が起こるからだ。
観光船は知床観光の花形だ。半島への交通手段が船しかない知床では、奥地を見ようとすれば船に乗るしかない。その結果、小型観光船が一気に増えた。特に自然遺産指定のあとでそれは顕著だ。人々は雄大な景色とヒグマを求めて船に乗る。観光船ビジネスは遊漁船とともに知床の経済を支えている。観光を国の基幹産業と捉える国は、規制緩和に現されるように、これらの自由な民間の経済活動を後押ししてきた。私はそこに何か大きな見落とし、慣れや過信などがあるように思える。それは主に経験値の軽視に現れるような効率優先の考え方かもしれない。この国ではすでに時間をかけて得られる地道な経験の蓄積や技術の習得は必要ない。歴史や先人の声に耳を傾ける人も少ない。学校や講習会で知識を得て資格を取得すれば、経験がなくてもガイドにさえなれる。
誰も言わないので指摘するが経験ある船頭なら天候急変時に文吉湾避難港に逃げ込むことを考えたはずだ。国交省が造ったこの港は、本来そのためのものだからだ。しかし5mの防氷堤を乗り越える波の中で、仮にそれを考えても港口の浅瀬の波を突破して避難するのは容易ではない。老練な船乗りなら可能だが躊躇して迷えば彼らでも出来ない。しかし船を壊してでも港に逃げ込めば助かる。ブリッジに座る船長には防氷堤が見えていたはずだ。しかし港口の波にひるんだか、或いは文吉湾北西の瀬に乗り上げるかして危険を感じ、宇登呂に舵を戻したのだろう。ひよっとして港があることを知らなかったのかもしれない。突風と波の連続で舳から数発の波を食らえば船は水船になる。ハッチの閉鎖が不十分ならエンジンルームにも浸水する。この時、船を壊しても岸を目指せば助かる可能性はあった。しかしKAZU Iは宇登呂に針路を取った。水船になってもまだ走れたのだろう。だから西の波を右舷側に受けながらも走れた。しかし左前方にカシュニの滝が見え始める頃、沖合1kmで吸気から水を吸い込んでエンジンが止まった。そして沈んだ。せめて岸に近ければ、まだ生きる望みはあったかもしれない。
報道を見ていると疑問がわく。電子機器の不備が言われているが、それがなくても経験豊富な船頭なら船を走らせられる。機械を過信しすぎている。国は8億円かけて船を引き揚げると言う。何のためか。政治家と国の威信のためか。奄美沖で沈んだ北朝鮮の工作船を引き揚げるのとは訳が違う。業務上過失致死罪の罰金は最高100万円だ。わずかな懲役刑と罰金のために金をかけるべきではない。それよりも今後、このような事故が2度と起こらないよう考えるべきだ。知床だけでなく今回のような事故が起こる可能性はこれからも続く。だから具体的な対策を考えるべきだ。何よりも低水温対策をもっと真剣に考えるべきだ。少なくともライフジャケットだけでこの海では助からない。自動膨張筏もブーマーや繋いだ本船により破壊される。また海に浮かんでも複雑な波の中では乗り込みが困難だ。
私は知床の小型観光船では夏を除きライフベスト(PFD)だけではなくドライスーツの着用を義務づけるべきと思う。ネオプレンガスケットの簡易型のもので良い。国が現在の観光政策を変えないなら、せめて具体的な安全対策に補助金なりの費用を回すべきだ。ドライを着ていれば落水しても生存率は飛躍的に高まる。ライフジャケットだけが義務というのは漁師ならいざ知らず、観光客の安全を真面目に考えるならあまりにも無知だ。GPSなどの電子機器は便利だ。その義務化も必要だろう。しかし機械は必ず壊れる。そしてそのバックアップにはやはり経験豊富な人材の育成が必要だ。カヤックもそうだが、知床で動力船を走らせるなら海岸地形に熟知していなければならない。しかしそんな講習が行われているだろうか。何よりもそこまで海に明るい船頭が何人いるだろうか。だから岸に寄りすぎて毎年のように事故を起こす。KAZU I の失敗を非難しても何も生まれない。また自分だけは大丈夫というのはもっと始末が悪い。批判するのではなくこのような事故が2度と起こらぬよう考えるべきなのだ。
今年も知床エクスペディションを続ける。知識は経験に置き換えられない。後進にそれを伝えなければならない。地道な経験の積み重ねと用心深さだけが事故を防ぐと私は信じるからだ。それにしても気が重い。齢のせいだろうか。自戒と哀悼の念をこめてこの原稿を書いた。26人の冥福を祈りたいと思う。それぞれの故郷ではすでに桜も散り初夏の装いだろう。本当に気の毒なことだ。 合掌
冥福を祈るのは早いです。
こうした事故の後、どうしても批判的になってしまいますが、今後そこに訪れる人、それを受け入れる人があるべきかということに示唆に富んだコラムでした
新谷さんは今回の事故の為、カヤックで沿岸近くの捜索を行なっていたそうです。その後、その様子を僕に電話してくれました。
今回の事故の、捜索以前に新谷さん地元、ニセコでも25年前同じように雪崩事故の捜索をしていました、そして帰らぬ被害者を何度も目の当たりにしていたそうです
これが現在の新谷さんが運営しているニセコ雪崩研究所の活動のきっかけになっていると聞きます、そして結果雪崩事故は劇的に減りました
新谷さんがニセコで雪崩の取り組みの中で、雪崩事故をこれまで防ぐための情報を発信していたのは、地道に山の分析を行い細かい具体性をもって取り組んできたからだと思います
そしてなによりも、山の魅力をスキーヤー、スノーボーダーの立場に立って考えていたからだと思います
実際に山や海に入りその恐ろしさと魅力を知っている、そしてリスクの重さを正確に測れるのはこうした経験とそれを知るための弛まぬ努力、冷静な観察によるものです。その姿は山でも海でも一貫していることがわかります
自然の脅威はあります、ただ事故があるたびにに危険だからと遠ざけてしまえば、忘れた頃に同じ事故はきっと起こるでしょう。新谷さんはこうした事故の後も知床をカヤックで漕ぎ続けるのも、今後に続く人に伝えてることがあるらだと言っていました。益々また一緒に知床行きたくなりました
新谷さんの解説で事故の状況が良く解りました。
やっぱりマスコミ報道、役所の対処はどの分野でも肩書きにこだわり、
実務経験豊富者のコメントは余り受入れ無いですね。
日誌、いつも楽しく読ませて頂いてます。