ただ、ただ、ぼくのアウトプットの場です。

厳密日記ではないけど、日記として記してます。毎週基本的に、火曜、木曜、土曜の午前中に更新します。

成年後見制度とは?!

2024-01-14 14:45:00 | 日記
約30年ぶりにサーカスを観に行きました。どこのサーカスかというと、木下サーカスです。30年前は友達のお母さんに連れていってもらいました。30年後に自分の子供と一緒に見れた幸せと、木下サーカスさんにありがとうの気持ちでいっぱいです。幕張(千葉県)で確か2月まで行われいるので、もしよければ足を伸ばしてみていただければと思います。間違いなく、観る価値は個人的にはありました。

さて、今日のアウトプットはうって変わって成年後見制度についてです。

長い漢字が続くとうわっ!って思いますが、この制度は説明するのにも法定後見制度やら任意後見制度やら家庭裁判所やらと、なんだかお堅い漢字が出てくるので、敬遠しがちになってしまいます。

でも将来自分や家族がこの制度を前向きにも後ろ向きにも使わざる負えない状況になるかもしれないので、今日は記事にしてみます。

成年後見制度は、意思能力に欠ける認知症の高齢者や精神、知的障害者などを守るための権利擁護の仕組みと一般的には考えられています。#もう堅い。

ようは自分でお金の管理や契約書のやり取りができなくなってきたら利用する制度となります。いやいや、自分のことなんだから自分でお金は管理するし、契約書だって大丈夫ですからって思ってたとしても、例えば銀行でお金がおろせなくなったら銀行さんから、成年後見制度を利用してくださいと言われたり、施設入所することになったときに、施設の方から成年後見制度を利用してくださいと言われてしまうこともあります。認知能力が落ちると、自分では大丈夫と思っていても、社会がそうはさせてくれない制約がいろいろと出てくるんですね。

もし、成年後見制度を利用することになると、後見人という方を家庭裁判所が選んで後見人としてその人につきます。そうすると、後見人が財産管理や施設入所などの身上監護 #身体のことや生活のことを考えてくれることです。を行ってくれます。

この後見人って誰がやるの?家族?って思う方がいるとは思いますが、これは弁護士や司法書士、社会福祉士などの専門職後見人と呼ばれる方々であったり、NPO法人や社会福祉協議会などの法人後見人と呼ばれる方々であったり、研修を受けた一般市民からなる市民後見人、あとはもちろん家族や親族の場合があります。

これは自分や家族がこの人で!!とは決められず、家庭裁判所が選びます。そして選ばれた人は原則一生変更は認められません。
#どんなに嫌な後見人だったとしても。

このように、今お伝えしただけでも結構強制力がありそうな制度だな…と思う方もいるとは思います。そう、そうなんです。この成年後見制度は個人の人権を擁護する側面もありながら、人権を侵害してしまう側面があるんです。

だって例えば後見人がつくと、お金の管理が後見人が行うこととなります。そうすると、髪を切りたい。旅行行きたい。あれこれ買いたいと言っても認めてもらえなければ、全てできないんです。現役時代に老後を見据えてお金を貯めてきても、見ず知らずの後見人さんにお金を握られて過ごすことになるんです。なかには、勝手に土地や建物を売られ、身上監護の名のもとに、施設に入所することになる方もいらっしゃいます。

これのどこに人権を擁護するためのと思えるものがあるんでしょうか。

もちろん、本当に本人のことを考え、本人の意思決定を丁寧に丁寧に行い、本人のために寄り添ってついてくれる後見人さんもたくさんいます。

大切なのは、この成年後見制度は人権を擁護する側面と人権を侵害する側面があるとの認識です。

この成年後見制度は2000年に介護保険制度と共に生まれました。その間大きな改正はされずここまで運用されています。それが2027年に初めて制度改正される流れとなってきています。

ぼく個人としては立場的には、成年後見制度を推進する立場にあります。ただ、何度も言いますが、成年後見制度は権利を侵害する怖れがあることを忘れてはいけないと思っています。

成年後見制度を推進する主張の人。成年後見制度を反対する主張の人。もちろん立場のちがいはあるとは思いますが、改正の話しが進んでいくなかで、より良い制度になっていけば、ぼくももっと仕事がし易いなぁと期待してます。

もし、ご興味がある方は頭の片隅に入れていただければと思います。それではまた!

※ちなみに今日の話しは基本的には法定後見制度の話しとなっています。任意後見制度となるとまたちょっと変わってきますが、長くなるのでやめました。ご了承くださいませ。

↓ご興味あれば。でもこれも一つの考え、主張であることを忘れず。
#https://www.facebook.com/100064911301414/posts/pfbid02FKiodScL1XqznYJMHj3y8qzWkbfLMv1qiL5x2NBZvEFHieSq4bpuQyjmcNwboNhnl/

目標の設定 パート②

2024-01-11 23:30:00 | 日記
寒い。でも日が延びてきた気がします。

さて、今日は昨日の続きをアウトプットしていきます。昨日は高齢者の目標設定の仕方について記述しました。

高齢者の目標は過去と現在が大切であると。

突然ですが、ここで想像してみてください。自分が70才くらいになったときに、突然脳梗塞で倒れ、片麻痺となり、思うように生活が送れなくなる。さぁ現役時代は仕事に費やしたから、老後はのびのび暮らすぞと思いきや遊びにもいけない。家族からは介護の負担が大きいと言われ、ケアマネージャーの勧めでデイサービスに通うことになる。喪失感いっぱいのなかで、職員から何か目標ありますか?目標を決めていきましょう!とキラキラした表情で言われる。きっと心のなかで思うでしょう。「ねーよ!」って。

現実似たような状況になる方は結構います。歳を重ねると、喪失感が増えていきます。その喪失感はどこからくるのでしょうか。それは、役割を失うことからきます。

人は意識していなくても、知らず知らずのうちに役割を担います。例えば、お腹に命が宿るそのときから「胎児」という役割を担います。そして生まれたら「乳児」や「赤ちゃん」、「子ども」、「小学生」、「中学生」、「社会人」、「父親」…などなど。人生のステージごとに役割を担っていきます。そしてその役割を意識することによって、「主体性」も芽生えたりもします。そしてその役割や主体性は人生のなかで増えたり、減ったりもします。ただ、定年後からは何かアクションを起こしていかない限りは基本、役割は減っていきます。それに伴い、主体性も減少していきます。これが老後です。

これは何も社会のなかでの話しだけではなく、家のなかでも起きてきます。例えば、身体能力の低下や体力の減少で家事でできることが少なくなる。力仕事ができなくなる。孫の面倒が見れなくなってくる…など。小さなことから大きなことまで自分のできていた、役割を担っていたことができなくなるのです。そして主体性を失い、何事にも受動的となる。言われないとやらない。言ってもやらない。そんな老人になっていきます。

その状況のなか、未来の目標を決めろと言われても、喪失感や役割がなくなっているのに無理な話しです。

だから、高齢者の目標を定めるときは過去がポイントになるんです。「ちょっと前まではできていたのに、今やれなくなってきたことはありますか?」と一つ一つ丁寧に聞き取りをしていきます。そうすると、前までは洗濯だけはできていたのに、とか仏壇のお水の取り替えはできていたのに、などの過去行えてきたことを知ることができます。そこで初めて「では、まずは洗濯ができるようになることを目標にしましょうか」となるんです。そこから、まずは洗濯に必要な動作(屈むとか、物干しに手をあげるとか、立ってる重心バランスとか)のリハビリ。また、今の身体でも行える環境設定(座れるように椅子を用意するとか、物干しを低くするとか)をします。そして、一つ一つ小さな成功体験を積んでいくと、今度は主体性が芽生えてきます。主体性が芽生えいけば、やる気につながり、次の目標設定であったり、ちがう役割を担っていけるようにもなります。

これが高齢者に対する目標設定の方法です。高齢者はとにかく、主体性と役割を創出させていくのが、リハビリであったり、介護の醍醐味だと思います。

でもこの役割の創出。ここにスポットをあてると、何も高齢者だけの話しではないのです。そう、21世紀最大の問題と言われているのが「孤独」問題です。この孤独問題にも、役割や主体性の創出というのが一つのポイントとなりそうです。

2回に渡って今回は目標設定についてアウトプットというか、言語化してみました。皆さんはどのように老後を迎えたいですか?今日のアウトプットが一つの参考になればとは思います。それではまた会いましょう。では!

目標設定の仕方。

2024-01-10 23:25:00 | 日記
ぼくは様々な仕事をしてきましたが、介護畑には10年程おりました。10年で何がわかるんってんだって思う人もいるかもしれませんが、それなりに学んだことがあります。

それは、目標の作り方(設定の仕方?)は、年齢によって変わるってことです。もっと極端にいうと、若い人とお年寄りでは目標の設定方法が異なってきます。

若い世代だと、何か目標だったり、目的を設定する場合、未来(やりたいこと)から逆算して目標を決めます。例えば旅行に行きたいから、今はお金ないけど、お金をためて旅行に行くぞとか、この仕事したいから、勉強して資格とって、この仕事をするぞとか。もちろん例外もあるだろうけど、基本は目標を定めるとき、現在や未来を見ていくなかで、目標が生まれます。

では一方で、ご高齢者の方々はどのように目標を定めていくのか。そもそも老人になっても日常生活を送るなかで目標を定めるような機会があるのか?と思う方もいるでしょう。

でも実はあるんです。

介護保険を利用して、何かサービスを使うようになってくると、ケアプランという計画書が必要となってきます。でも大丈夫ですよ。このケアプランは原則ケアマネージャーさんが作成するので。そして、そのケアプランのなかで目標(短期目標だったり、長期目標だったり)を定めていきます。または通いで、例えばデイサービスとかを利用する際には、そのデイサービスが作成する計画書にまた目標を定めていきます。

そして、ここで目標の定め方に注意が必要です。若い世代だと目標の取り決めは現在と未来です。ただ、これが老人ともなると、現在と未来の目標を決めましょう!と言ったところで、未来はそう長くないしなぁ。とか現在すら介護保険も使うくらい弱くなったのに、何を今さら目標なんだか…とか考えてしまいます。

ではどうやって老人は目標を定めていくのか。それは結論を言うと、過去と現在を考えていくなかで、目標を定めていきます。過去にやってきたことが何らかの原因でできなくなった。それを出来るようにしていくのが、目標となります。

ここで改めて整理すると…

若い世代 現在と未来。

高齢者 現在と過去。

これが老人の目標を定めるときに、必要な目標設定方法となります。

なぜ、この目標設定方法が良いのか。その理由はまた次回に記述します。それではお元気で!

認知症の予防のために。

2024-01-10 00:40:00 | 日記
認知症800万人問題。2025年問題と言われた問題の一つが、もうせまってきています。

この2025年問題と言われる問題は、ぼくが大学生のころも確かグラフとかで勉強した気がします。それがもう翌年に迫っていることを考えると、自分がこの問題の当事者なんだなと改めて自覚するのと、月日が経つのは本当に早いということです。

先日、その認知症のことで東京都があるエビデンスを出しました。それは犬を飼っている高齢者は、認知症になる確率が犬を飼わない人に比べると40%低いとの結果が得られたという内容でした。

なるほど。とぼくは思いました。ぼくはもともと動物好きで、犬や猫とも一緒に住んでいたときもありましたが、確かに犬のお世話ってめちゃくちゃ大変なんですよね。ご飯あげなきゃいけない。トイレトレーニングしないといけない。予防注射打ちにいかないといけない。などなど、細かいこと合わせると無数にあります。ちなみに猫を飼っていても、認知症予防にはならないみたいです。

犬ってまず、散歩が必ず必要ですよね。犬種にももちろんよりますが。基本は雨の日も雪の日もとにかく散歩が必要となります。歩くってとても体に良いことだと見たり、聞いたりしたことってありますよね。でもわかっていても、普段歩くってなかなか難しいって思うんです。でも犬がいる生活だと、こんなこと言ってられない。必ず散歩しないといけないっていう意識になります。でもこれによって認知症の予防に繋がるとのことです。また、1日通してぼぅーっと生活を送るのではなく、散歩の時間を意識して毎日生活を送るので、生活のメリハリがつきやすいんですよね。

あと、もう一つ。犬の散歩に行くと、犬を飼っている飼い主の方々と、仲間になりやすい点があげられます。つまりは犬を飼っている同士のコミュニティが形成されやすい状況になるんですね。これも生きる上で大切な要素となります。

誰かに自分の存在を知っていてもらうのって、面倒くさい人間関係もあるとは思いますが、自分の居場所を確保できるってことにも繋がります。

歩くこと、コミュニティに属していること、この二点がどうやら認知症予防につながるようです。

ちなみにこれは以前、ラジオかなんかで聞いたことがあるのですが、これも東京都だったかな?ちょっと忘れましたが、歩道が広い街と歩道がなかったり、狭かったりする街とでは、認知症になる確率が違うというお話しを思い出しました。もちろん、歩道が広い方が認知症になりにくいという結果見たいです。

これもやはり、歩くということが大切だという認識が高まる記事だとは思います。

話を戻しますと、じゃあ認知症にならないように犬を飼おうと思っても、自分の方が犬より早く死んじゃうかもしれませんし、犬がもし死んでしまったらその喪失感で、逆に認知症のリスクを高めてしまうかもしれません。

メリットやデメリットを考え、ぼくも決して遠くない老後のために、散歩とコミュニティを考えていきたいと思いました。ちなみに飼うとしたら、柴犬だなぁ。とくに黒柴。かわいいんだなぁ。そんなこんなでまた会いましょう。それではまた!



お役人。

2024-01-07 08:35:00 | 日記
ぼくの住んでる田舎町では、今日成人式です。天気も快晴でよかった、よかった。

昨夜は子ども家庭庁の方が、この田舎町にお越しくださいまして、子ども家庭センター、要保護児童地域対策協議会、児童福祉法改正についてなど、幅広くお話し(勉強会)をしていただきました。

ぼく個人的にもともと思っていたことなんですが、国のお役人ってなんか淡々と仕事をしてそうとか、固いイメージがあったりしてたんです。ただ、この仕事につき、昨日の子ども家庭庁の方、成年後見制度の方、ひきこもり支援の方など、中央省庁の方のお話しを聞く機会がぐぃんと増えたなかで、思ったことが一つあります。

それは、めちゃくちゃ熱っ!!熱量はんぱない!!ってことです。

国民のために考え、より良い生活につながるように、その強い思いを制度や法律にのっけていくんです。そして、もちろん尚且つ頭が良いという…

熱量×知的なんて最強&最高ですよね。そのスペックがうらやましい。(もちろん本人の努力の賜物ですが)

でもね、国民の方々に届くまでには、その思いや熱量はどんどん薄らぎ、なんか冷たい法や制度に変わってしまうんです。まぁ公に出すお堅い文章に思いや熱量をのせるのは無理な話しだし、その1人が熱い思いで、こうしていった方がいい!と進めていったところで、もちろん物事は審議会やら委員会など開催して、複数名で進めていくので、たとえ熱い思いで取り組んでいても、それが全てを反映されるわけでもありません。

さまざまな要因や背景が重なり、本当のお役人の方々の熱い思いは、血の通ってなさそうな、どこか冷めた文章で届くことになるのかなと思います。

あと、これも大事ななんですが、やはりたとえばテレビとか専門家とか、講演会などで先生と呼ばれる方々がお話しをされるときがあると思います。そのとき、変なバイアス、つまりはその人個人の考えや意見を入れることにより、本来のその思いが変に歪曲される可能性もあるとの認識は必要なのかなと思います。

どうしても人づてになると、事実が曲がるみたいな…特にテレビは気をつけた方がいいかなと個人的には考えてます。もちろん情報が溢れてるネットもですが。

そうしたなかでぼくは、今まで通達等で打ち出されたものをただただ、どう落とし込んでいくかが目的となり、本来の法や制度の目的を見失いがちになっていた自分を知りました。

大切なのは、その法律や制度の目的の背景です。そして、中央省庁のお話しを聞く機会というのは意外とシンポジウム等々であったりもします。そうしたものに足をのばして、直接お話しを聞く機会を自ら作っていく意識をもっていくのが大切だなと思いました。

それではまた!