ただ、ただ、ぼくのアウトプットの場です。

厳密日記ではないけど、日記として記してます。毎週基本的に、火曜、木曜、土曜の午前中に更新します。

身寄りありき問題。

2024-01-06 07:00:00 | 日記
ようやく新しいアウターを購入できたので、前全開アウターとはさようならしました。この時期は特に冬物のバーゲン価格が多くてありがたいです。

今日は、身寄りありき問題についてのお話しです。仕事柄、身寄りがいなかったり、身寄りはいるけど頼れない方(関係性が悪い、破綻している)とも接することがあります。

とくにこれはぼくの肌感覚ですが、この身寄り問題を抱えてる人は増加傾向にあるように感じてました。

そんななか、この前ぼくが住んでいる地域で成年後見制度に関するシンポジウムがありました。ぼくもそのシンポジウムのスタッフとして参加していました。成年後見制度については、これだけの説明するだけでも2000文字以上にはなってしまいそうなので、またちがう機会でアウトプットしていきます。

そこには元厚生労働省の方もご出席いただき、お話しのなかでいくつか大事な視点だなと思ったことがあったので、そのうちの一つを記しておきたいと思います。

日本には身寄りがいない、身寄りに頼れないという問題に直面したとき、「うわぁ、身寄りいねーのか」みたいにどうしてもネガティブな反応を取られます。つまりは身寄りがいない、身寄りに頼れない人をダメだという認識が強いんですね。これは日本の文化や歴史的背景、習慣みたいな、誰が悪いとかではなく、根本的にそういう考えになってしまいがちなお国柄もあるのではないかと考えられます。

でも本来であれば、たとえ家族であろうと親族であろうと、1人1人にそれぞれ当たり前に人生があり、何かあったら当たり前のように、家族や親族をあてにしてしまう考えは、もう改めていかなければならない時代にはなってきていると思います。

もちろん、家族や親族がいればどうしても頼らなければならない時はあるとは思います。ぼくも全てがおかしいと言っているわけではない。でも、身寄りありきの考えで最初から支援に介入していく、そうせざる負えない状況から支援を考えていく、この考え方自体を改める必要があるとのことです。

つまりは、身寄りがいなくても頼れなくても当たり前だとの考えを、社会に認知させていく啓発であったり、制度であったりを充実させていく働きが必要だなと思いました。またぼく自身も自戒をこめて、改めて支援についてを向きなおしていかなければならないと考えさせられました。

そういった意味でも、この成年後見制度は身寄りありき問題を解決する一つのツールではあります。また、事前に成年後見制度を含めて、あらかじめ支援の関係機関が連携しあい、対応方法について話しておく方法もあります。

ただ、ここで成年後見制度において注意しておくべき点があります。それは成年後見制度は権利擁護(人権をまもる)の一つのツールであって、何もかも成年後見制度で片付けるという考えは危険との認識が必要です。この制度は確かに、権利擁護の側面もありますが、その人個人の権利を奪うという側面も背中合わせで持ち合わせているので、権利を侵害する可能性があるということも踏まえて、制度に対して向き合っていくことが大切だと思います。

身寄りありき問題。これは、身寄りがいて当たり前との世間の認識からきています。身寄りがいない、頼れない人がいても、問題にならない社会をつくっていく。田舎町に住んでいるぼくができることは限られてはいますが、小さな単位だからこそできる働きかけ、強みも必ずあるので、目の前の仕事だけでなく、その先にあるものをとらえ、今の子供たちに(もちろん自分の老後のためでもあります!)、経済的な側面だけでなく、このようなソフト面の生活のしやすさを残していきたいなと思います!それではまた!




変化。

2024-01-04 23:10:00 | 日記
年末年始にお休みするお店が増えてきた。こんな記事を読みました。ぼくが住んでいる町は田舎なので、年始から影響しているスーパーなどがあるけど、都内だと増えてきてるのかな?という印象です。

この変化がどこから始まったのかと考えるとコロナ禍からであり、その名残というか、習慣が年始は休みますという変化を与えているとも書かれていました。

確かに、コロナを経て、働き方や休みに対しての考えは変わったところがあります。飲食店にしても夜の外食よりも、昼のランチの方が客足は多く、これもコロナ禍からの変容だとも言われてます。なので、状況や時代の流れのなかで、営業時間を変えたり、休みを含め営業形態を変えていくことは自然なことなのではと思います。

むしろ、何も変えないというのは不自然であり、時代に淘汰されるものではなかろうかとも思います。

周りがやっているから、正月も営業する。流れでやる、周りがやってるからただ追従する。これは普段仕事に関わらず様々な場面でありそうです。

時代の変化を感じながら、常に変化を意識して行動していく。地道ではありますが、これが生き残っていくための生存方法なのかなとも思います。

でも注意が必要なのは、どこまでいっても学んでいくこと。行動していくなかで、失敗はつきものです。でも学んでいればその失敗を最小限に食い止めることができ、死にません。

変化と行動。そして学び。加速的に多様化するこの世界で、この意識が求められそうです。それではまた!

高望みしてます。

2024-01-04 00:35:00 | 日記
ぼくには子供が2人います。まだ2人とも未就学児で、朝起きてから寝るまで、もう自分の時間はほぼなくなります(今は半別居中なので、時間的な余裕はできましたが、精神的な余裕はなくなってます)。

仕事柄、発達障害のお子さまともお会いすることが多いので、発達障害に関しての本を読みました。そこでは発達障害には関わらず、子育てにおいて共通する親の高望みについて自戒をこめて書き残しておきます。でも、これは子育てだけではなくて、職場でも必要な考えなのかもしれません。

本のなかで、親は無意識に子への最低ラインを定めているとありました。そのラインは…

①理想的なライン いつでもよい結果が出せるって感じです。いわゆる優秀な子ですね。
②平均ライン 他の子と比べたときに見劣りしない感じです。
③平均よりちょっと下のライン せめてこれくらいはという感じです。
④子育てが楽になるライン 目標とか期待をかけずにのんびりと子育てをしていく感じです。

ぼくは子供に対する高望みのラインは①と②のラインだと、思ってました。でも実は高望みのラインは③でした。理想は求めてない、平均もいかなくていいよ、でもせめてこれくらいはという思いを意識化、無意識化に常に子供に求めてました。

うちの子供はこれくらいはできるだろうと、無意識のうちにハードルを設けて、子供に対して求めていました。

日々様々なことが起こるなかで、そのハードルが子供にとって低いものであれば問題はないと思います。でもきっとそんなことばかりではなく、知らず知らずのうちに子供はそのハードルに苦しんでいたのではないかと思います。

子供がそのハードルに達しないと、注意したり、なんでもっとこうしないのみたいな、圧力を有言、無言のメッセージで与えていたと思います。

ここでのポイントは④のラインとなります。せめてここまでの意識をなくし、子供のやり方でOK的な考えでいくと、逆に子供はプレッシャーを感じることなく、のびのびと成長していきます。もともとある意味期待していないので、褒めすぎることも、叱りすぎることもなく、子育てができます。

これは会社でも当てはめることができそうだなと思います。人に期待し過ぎるから、不満や余計なストレスを感じてしまうのかなと。

せめてここまでの意識をなくし、やってくれてたら、ラッキー、ありがとう!みたいな気持ちで過ごせば、また違う風景をみれるのかなと思いました。

今日は自戒をこめて書きました。知らず知らずに、自分より立場が弱い者に対して、プレッシャーをかけていたなと改めて思いました。でも知ったことを大切にまた取り組んでいきます。それではまた!

承認欲求。

2024-01-02 17:56:00 | 日記
遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。

お酒を飲む機会が多かったこともあり、試みはしましたが、途中で寝落ちしてました。

今日は厄介な承認欲求について記していきます。すごく大切なことだとは重々承知してますが、部下とか、他人の承認欲求って面倒くせーなって思ってしまいます。承認に飢えてる、承認がほしーっていうのが、漏れ出ている人もなかにはいるとは思いますが、そういう人がいるとぼくは逆に承認したくなくなります(根が腐ってるんで。あまのじゃくなんです)。

他人の承認欲求も面倒だなと思ってますが、それ以上にメンドーだなと思っているのが、自分の承認欲求です。無意識化で欲求を欲してたんだろうか…とあとから振り返るとそんな場面があり、自分で自分をうわっと思います。

この承認欲求ってモチベーションだったり、安心感を得るには重要な要素だというのはすごくわかるんですが、実は機会損失も起こしてるんじゃないかとも思います。

というのも、たとえば自分が抱えてる仕事やケースがあったとき、本当であればもっと自分より得意な人がいれば、ぽぃって渡しちゃえば、時間も労力もかからないのに、ここで邪魔しちゃうのが自分のくだらないプライドや承認欲求です。

このプライドや承認欲求のせいで、もっと効率的に、質も高く仕事をまわせるのに…。ケース対応もここまで事がこじれることがなかろうに…。と思うことがあります。

くだらない承認欲求なんか捨てて、適材適所の仕事をしていきたいなぁと改めて思いました。それではまた。