災い転じて福となす。
因果応報。行いの善悪に応じて、それぞれの報いがある。と、言うことです。
悪因悪果。悪いことをすれば、悪い報いを受ける。
他人を苦しめ、悩ましめ、不幸にすれば
今度は自分が、他人に苦しめられ、悩み、不幸に成るのです。
これが、ものごとの道理です。
信じないから罰はあたらないなんてことはないのです。
他人をいじめること自体、すでに罰があたっているのです。
確かに、いじめられる被害者にとって、いじめられることほど
つらく、苦しく、みじめな思いをさせられる。
肉体的な苦痛に、精神的な苦痛も伴います。
疎外感に、孤独感、それが絶望感に変わったら、どうなると思いますか。
いじめは犯罪です。
いじめられている人の心を傷つける行為です。
いじめられている人の命をないがしろにする行為です。
自分より弱い者しか、いじめない。
決して、自分より強い者には向かってはいかない。
やはり他人を苦しめたならば、その責任はとってもらいたいものです。
例えば、小学生の時、誰かをいじめたら、その報いが
中学生になった時に、いじめられる。
あるいは、高校生になった時に、いじめられる。
あるいは、社会人になって、職場でいじめられる。
いじめと言う悪業を犯しておいて、今後、平穏無事と言うことはない。
その悪果が、いつ、どのような形で起こるかは
本人自ら知る由もないことです。
災難は忘れたころにやって来る。
いじめられている人も悲観ばかりせず、自らを卑下せずに
悪いほうへ、悪いほうへと
自分を追い込むことを しないで下さい。
このようには考えられないだろうか。
いじめられない人間になろう。
加害者よりも強い人間になろう。
例えば、護身術を習得する。
剣道でも、柔道でも、空手でも、合気道でも、ボクシングでも
精神と肉体を鍛え、相手を見返してやる。
決して、いじめられた恨みを晴らすために強くなるんではなくて
あくまでも、自分自身を変えていくのです。
自分が変わらなければ、何も変わらないのです。
自分が変われば、環境も、状況も、変わって来るのです。
相手に変わってもらう、いじめをしないように、なってもらうの。
自分が自分で、いじめられないようになる。
今現在、いじめを受けている人に対して
酷なことを言うように聞こえましょうが
私自身も苦しんだ過去があります。自殺をも考えましたが
死への恐怖の前に、死の苦しみを考えると、死にきれませんでした。
せっかく親からいただいた命です。これからの人生を全うするために。
私は、基本的に、いじめを受けている人間の味方です。が
いじめられる側の人間も、いじめる側の人間も、共に救われる道を
考えずにはいられません。
祈りで、人間の心を変えることができるのでしょうか。
合掌