神佛の加護をいただく

神佛の
ご加護をいただくには・・・
密教修行を通じて体験したことを書き続けたいと思います。

毎日の祈りは願いから

2019年03月03日 10時28分28秒 | いじめ

ご訪問いただきまして、ありがとうございます。

善行院 (ぜんぎょういん) 雄徳 (ゆうとく) と申します。  合掌

 

イジメの被害者 無事息災の為に 南無大慈大悲観世音菩薩

イジメの加害者 降伏退散の為に 南無大聖大悲不動明王

 

諸行無常 (しょぎょうむじょう) という教えがあります。

事態は必ず変化するということです。

事態の変化の遅速はあります。

 

イジメの被害者はいつまでも、イジメの被害者のままではなく、

イジメの加害者はいつまでも、イジメの加害者のままではなく、

いつかは立場が逆転するということです。

 

人を不幸にしたら、自らが不幸になる、ということです。

お互いに善くも悪くも、変わることになるのです。

その気になればの話ですが、イジメの被害者も

イジメられる、苦しみの条件は不変ではありません。

 

殺すものは殺され、怨むものは怨まれる。

罵るものは罵られ、怒るものは他人の怒りを受ける、と

釈迦牟尼佛陀さまが、時の国王などの権力者たちが

殺し合い、奪い合う姿を見て、嘆いた言葉であります。

 

イジメをするものは、やがてイジメられ、

イジメを傍観し無視すれば、イジメられても無視される。

言葉の暴力、罵詈雑言するものは、罵詈雑言される。

のちのち、同じような目に遇わされるものです。

悪業を行えば、不運になる。これ鉄則です。

業 (カルマ) の輪により仕返しを受けることにもなるのです。

 

では、何をもってして、変えることができるのでしょうか。

それは、自らの心を変えることしかないのです。

 

自分がダメな人間だから、

イジメられるのではないのです。

イジメられる側に原因があるとか、

傍観者たちが無慈悲なことを言いますが、

イジメられた方は肉体的にも精神的にも

ダメージはトラウマ級に傷ついているのです。

 

イジメた方には何も残らない、といいますが

知らず知らずのうちに、怨みをかっているのです。

そして、知らず知らずのうちに、恨まれているものです。

恨みには時効はありません。

イジメた人が生きている限り、持続されるのでしょう。

やがて、来世に持ち込むことに成るのです。

 

被害者が自殺した場合、もし怨念があれば凄まじいものでしょう。

被害者家族の加害者家族への怨みつらみも、

無視することはできないでしょう。影響あり。

 

相手が死んでしまえば、それでお終い的なことは、ありません。

肉体は滅んでも、識が残ります。識とは心のことです。

この心の中に、イジメられた時の念がこもっているものです。

 

後先も考えずにイジメなどすることが、

のちのち、自分で自分の首を絞める羽目になるのです。

 

イジメの加害者の心の中は、どのようなものでしょうか。

人間性の低さ、精神性の幼さ、悪い心の持ち主が発する言葉は、

そのまま、悪しき心の状態を表しており、悪行悪業となるのです。

 

イジメの被害者側が救われなければ、

イジメの加害者側も救われることはないのです。

 

自らの心を変える。

 

追い詰められて死ぬことに一生懸命にならないで、

死のうとする勇気よりも、生きていこうとする勇気をもって、

自分自身がイジメを克服する為の努力に励むことができれば。

 

自分と周りを忍耐強く見定めて、自分をよりよく変えていく、

克己心 (己に打ち克つ心) を養うことができれば。

 

自らを変えていく。

 

自分の人生なのだから、自らの命を大切にする。

一度きりの人生、損しない為に、努力を惜しまない、

しあわせに成る、そういう生き方もあるのです。

 

弘法大師、空海さまのお言葉に

人を導くものは教えであり、

教えのもとになるものは道である。

その道を説く人がなければふさがり、

教えを演べることがなければ廃れてしまう、と。

 

誰かが、この業 (カルマ) の教え。

自業自得。因果応報。善因善果。悪因悪果。

 

誰かが、この因果の道理を説かなければ、

この教えが、やがて廃れてしまうことに成るのです。

 

佛法興隆、正法護持の為に弘めなければならないのです。

 

イジメられる方が悪いなどと無慈悲なことを言う前に

イジメられない人間に育てる、しかないのです。

 

イジメをする方が悪いと非難する前に

イジメをしない人間に育てる、しかないのです。

 

神佛の加護がいただける人間に育てる、しかないのです。

 

信心することは、自らを救うことに成るのです。

 

イジメ被害者の無事息災を願う祈りは、

イジメが息むことを心から念じております。

 

イジメ加害者の降伏退散を願う祈りは、

これ以上に悪業を積まさせない為の想いで一杯です。

 

イジメが無くなりますように。

虐待が無くなりますように。

 

これが、私の願いです。

 

終わりまで読んでいただきまして、ありがとうこざいました。

 

あなたの抜苦与楽の為に

南無大日遍照金剛  南無大日遍照金剛  南無大日遍照金剛

 

合掌

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