南無帰命頂礼大日如来遍照金剛
なむ きみょうちょうらい だいにちにょらい へんじょうこんごう
南無帰命頂礼大聖大悲不動明王
なむ きみょうちょうらい だいしょうだいひ ふどうみょうおう
岩手に続き 青森でも イジメによる被害者である
善男子 善女人の中学生の尊い命が失われました。
『イジメがなければ もうすこし生きられたのに 残念です』
との 最後のメッセージ。
スマホのメモアプリ内の遺書。
それらのニュース記事を読むにつけ
心が痛みます。あまりにも痛ましいことです。
今までに イジメを苦に 自らの命を絶つという行為をされた
善男子 善女人の方々の魂が 安らかでありますように・・・
離苦得脱 追善佛果菩提の為に祈りを捧げるのみです。 合掌
イジメの被害を受けてから
死を選ばざるを得なくなった心境を想うに
イジメの加害者には到底理解知りえない
肉体的苦しみ 痛かったことでしょう。
精神的苦しみ 辛かったでしょう。
それら等に苛まされたことでしょう。
肉体的に傷を負わされ そのうえ 精神的にも傷を負わされた。
さまざまな屈辱を受けられたことでしょう。
ここで問題になるのは
イジメは イジメられている方 (被害者) が いけないのか。
イジメは イジメている方 (加害者) が 悪いのか。
どちらに非があるのでしょうか。
加害者の弱い者イジメは
被害者が弱いから イジメられるのでしようか。
それは イジメられる側にも イジメる側にも 原因があります。
過去にイジメをした原因があるから
現在その結果としてイジメられるのです。
過去にイジメられた原因があるから
現在その結果としてイジメる側になるのです。
怨憎会苦 (おんぞうえく)。
憎しみ 怨みをもつ者と会わなければならない苦しみです。
イジメられる人も 怨憎会苦なのです。
イジメる人も 怨憎会苦なのです。
そして イジメられる側の 『何故 イジメられなければならないのか』
相手に対して 『何も悪いことはしていないのに』 という思い。
加害者に 『もう イジメを止めて下さい』 と言っても
相手には届かない思い。
その自分の思い通りにならない苦しみを
求不得苦 (ぐふとっく) というのです。
求めても得られない苦しみです。
それから 両親に対して心配をかけたくないから
イジメられていることを隠している。
担任の先生に相談してもらちが明かなくなると
全部自分一人で背負いこんでしまい
目の前の現実から逃避するために
死を選ばざるを得なくなる。
もう 死ぬしかないんだと。これが死苦 (しく) です。
死ななければならない苦しみです。
そして 生きていくことが苦しみになるのです。
これが生苦 (しょうく) です。
両親からすれば 突然の 愛する息子 愛する娘との死別。
このことが両親にとって苦しみとなるのです。
これが 愛別離苦 (あいべつりく) です。
愛する者と別れ離れになる苦しみです。
では どうすれば イジメから解放されるのでしようか。
それは イジメられない人間になることです。
例えば お腹を蹴られて痛い。痛くてしょうがない
授業どころではなければ、保健室に逃げ込むことです。
そして 早退することです。まずは身を護ることを優先すべきです。
それ以降もイジメが続くならば 保健室登校でもいいのです。
それから 必ず両親に相談することです。
先生に イジメの事実を伝えても
先生に 救いを求めてはなりません。
学校に イジメの事実を訴えても
学校に 救いを求めてはなりません。
何故ならば 学校の担任先生との時間と
両親と一緒に過ごした時間のことを考えてみて下さい。
先生と両親 どちらが同じ時間を長く共有していましたか。
子供にとって両親は保護者なのです。
先ずは 保護者である両親に救いを求めて下さい。
イジメられるから学校には行かない。
わざわざイジメられるために学校へ行くことなどないのです。
そして 担任教師から 学校側から
どうして登校してこないのか と 問題提起させるのです。
次に イジメの加害者たちのことです。
イジメ 勝手に死んだんだ。
死んだ方が悪いくらいにしか思っていないでしょう。
イジメの事実を認めて 謝罪する気などさらさらないでしょう。
それよりも 自己正当化するでしょう。
時が経って イジメで他人を死に追いやってしまった罪悪感に
悩まされるようなことになれば それは もう後の祭りです。
悪いことをしておいて 何も悪い報いが起きないときは
それで当たり前だと勝手に思っているものです。
ところがです。何かの悪い報いが起こると とたんに苦しみに変わるのです。
自分がやるから 他人もするし
他人がするから 自分もやろうと思うものです。
イジメられないために イジメる側に加担する。
悪業の連鎖が 悪果の連鎖を生むのです。
まあ その間に 岩手の件ですけれども 第三者により
ネット上に 加害者宅の写真や 表札の取られた玄関の写真とか
テレビでモザイクのかかった校長の顔も さらされたようですし
氏名など アップされたようです。
業因業果 (ごういんごっか) 。業のことをカルマといいます。
行為ということです。
身業 口業 意業とは、人間に具わっている
身体の働き 言葉の働き 心の働きのことです。
この三つの業により 人間は善いことをすれば
人間は悪いこともするのです。
この身体を使っての暴力 殴る蹴る叩く等・・・
言葉の暴力 人間のクズだとか ウザい キモイ 臭い 死ねだとかの
悪口雑言 誹謗中傷等・・・
意業は 心の中で思うことです。
言葉には出さないが 心の中で密かに悪意を抱くことです。
これらが イジメをする側の 加害者たちの 現世での悪因になるのです。
この様なことにならない為には イジメをしない人間になることです。
原因無くして 結果を得るという このことわり 有ること無しです。
善を行うこと無くして 苦から免れる このことわり 有ること無しです。
因果の道理に目覚め 自分の罪業を懺悔 (さんげ) して
イジメられる側も イジメる側も 共に救われる道を歩まないかぎり
このこと以外には イジメの被害者も 加害者も無くならないでしょう。
南無大日遍照金剛 オン アビラウンケン バサラダト バン
南無大日遍照金剛 オン アビラウンケン バサラダト バン
南無大日遍照金剛 オン アビラウンケン バサラダト バン
そして 神佛のご加護をいただける人間になることです。
最後まで読んでいただき 有り難うございます。
有り難うございました。
合掌
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