信じて 念じて 行ずる 感謝の心
悩まないように 苦しまないように 神佛の加護をいただくには
信じて
南無大日遍照金剛 南無大日遍照金剛 南無大日遍照金剛
なむだいにちへんじょうこんごう
南無とは 帰命します。信じます。
大日とは 大日如来さまのこと。密教の総本尊さま。
宇宙。あらゆる存在を包容する
無限の空間と時間の広がりのなかで
宇宙いっぱいに 遍く 光り 耀く 偉大なる存在のこと。
遍照とは 宇宙に遍満する 大いなる生命のこと。
金剛とは 大生命体である宇宙は 生じたものではなく
また、消滅するものでもなく 未来永劫に生き続ける
大いなる実在のこと。
まずは このことを信じる。
正身端座します。背筋を伸ばします。猫背には注意してください。
腹式呼吸で息を調えます。息を吐き切ります。そして、ゆっくりと吸います。
息を吐いては吸う。息を吐いては吸う。十回してみましょう。
心を落ち着かせ リラックスします。
次に 右の手と左の手を 胸の前で合わせます。
肩に力が入らないように 合掌します。
視線は 半眼にして 鼻先に 合掌の手の先が 見えるようにします。
合掌の意味は 南無大日遍照金剛と一体に成ること。
手を合わせ 南無大日遍照金剛と一体であると
念ずるのです。心に言い聞かせるのです。イメージするのです。
私たちの五体である身体 命 心である ミクロコスモスが
大宇宙の大生命体 マクロコスモスと一体であると。
悩み苦しみの原因
悩み苦しんでいる人にとって 自分は小さな者だ
他愛のない者 つまらない者 必要のない者だとか
勝手に考えがちですが 決して そのようなことは ありません。
自業自得 善因善果 悪因悪果 因果の理法
業・因縁の理を知らずに 自らの知識のみで解決しょうとするから
行きづまり 立ち往生してしまい 悪い方へ悪い方へと 考えを募らせ
余計に悪い結果と成るのです。
自己中心的な行動 自我中心的な考え方。
感情主体で 心に落ち着きがなく 喜怒哀楽が激しい。
責任転嫁し 自己正当化を主張 つまり 我が強いんです。
俺我 俺我 私我 私我の 我が強すぎて
自分と他人を対立させるから 区別するから 差別するから
悩み苦しみを 自ら生じさせているだけなのです。
すべての ものごとは みな因縁より生ずる。
自分の因縁と 他人の因縁とが 日々の生活の中で 交錯しています。
人間 ひとりひとり 因縁が違います。
男性であり 女性であり 大人であり 子供であり
生活環境も 個人の性格も 血液型も 容姿も違います。
これら すべては因縁の現われなのです。
目の前に起こる現象 すべてが 因縁であるという道理を
心から理解出来れば 心に安らぎが生まれ 悩み苦しむことの少ない
自分に成れるのではないかと。
その為には 信じて 念じて 行ずることです。
このこと自体が善因であり 善果を得る為の方法です。
神佛の加護をいただける人間に成る。
信ずる心 心に真実の教えを念ずる 行をする。
他人の言動に左右されない心 執着しない心
このブログを書いている私自身、毎日実行しています。
常に 心に すべてのものごとは因縁による。
と、念じ続けています。
私の性格からして 他人の言動がとても気になって
カチンときて 感情的になり 心に 悩み苦しみが 生じました。
何で どうして そんなことをするのだろうか、とか。
何で どうして そんなことを言うのだろうか、とか。
いろいろと相手のことを 勝手に考え判断しては 妄想していました。
これは 私自身の因縁で こうなったのだと思っていました。
他人の言動が気になり 悩み苦しむ。こういう性格だから。
そこで 悩み苦しむ原因は 何であるかと 佛教書を読みあさり
苦しみの原因について 勉強しました。
そして 感情的にならず サラリと受け流すように
心がけることが大事である、と。
他人も自らの因縁で生きていますし その言動そのものにも
その人の因縁が作用しているのです。
成るように成っただけのことで とりたてて そのことで気に病むことなど
無駄な精神の浪費であること つまり そんなことは気にするなで
そのことに 執着しない考え方をすればいいと。
すべての ものごとは 因縁より生ずる。
自分と他人を対立させていた結果 自分で勝手に悩み苦しみを
味わっていただけだと 思い知らされました。
相手のことを否定するのでなくて
ただ ありのままに現実を受け入れることが大事だと。
つまり それも因縁です。
このことを日々 信じて 念じて 行をすることによって
自分が未熟であるという事実
それと 他人にも因縁があるということに 気がつかされました。
他人は 単に 何気なく 行動しているのが 多いので
別に他人に どう思われていようが 関係ないのです。
つまり 無意識のうちに 自己中心的な行動をしているのです。
そんなことに いちいち 腹を立てていたら こちらの身がもちません。
まったく 骨折り損の くたびれ儲けです。
その結果 自らの心 心の受け止め方を変えるのです。
真実の教えに基づいて 心のあり方 心の感じ方を変えるのです。
ものごとの見方を変える。現実の現象に対して 臨機応変に対応する。
それも 真実の教え ものごとの理を基準に変えていくのです。
例えば 雨が降っている。早く止まないかな。
嫌だなぁと、思うことがありますね。
この思いは 天気のいい日が 何かと自分に都合のいいからだと
勝手に思っているだけで 天気のいい日と 雨の日と比べて
やっぱり 天気の日が好きというだけのこと。
雨の日は 何かと嫌だなぁと 思うことは
これは 因縁に喧嘩を売っているようなもので
それも 勝ち目のない 単なる愚痴です。
晴天の日があり 雨天の日があるのも 因縁なのです。
雨の日には 雨の日なりの楽しみ方がある。それを見つける。
雨が降っても 有り難いと。
それに 一滴の雨も降らずに 晴天ばかり続いていたら どうなるでしょうか。
水不足になり 取水制限ともなれば 不自由するのは私たちです。
すべてのものごとには つながりがあるのです。
南無大日遍照金剛、と。信じて 常に 心に 念じ続ける。
この行いをすることによって ストレスを解消して
日々 心安らかに 気持ちのいい毎日を過ごせますように。
神佛の加護をいただく。
まずは 感謝の心を 育んでください。
合掌
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます