昭和人俊やんの鐵活日誌回顧録帳

大病からちょうど1年

ちょうど去年の今頃、私は神奈川県藤沢市内の某病院の集中治療室にいた。
2022/10/18、早朝2:30頃、夜勤中に胸に激痛が走り緊急入院。体には点滴などの管が巻かれ、集中治療室で寝たきり状態。
窓はあるものの、見えるのは隣の病棟の建物のみ。自分がどこにいるのかもわからない。わかっているのは「藤沢市内」であることのみ。
朝方、ヨメが駆けつけて来た。今にも泣き出しそうな顔だった。

あれから今週でちょうど1年、何とか無事生きてこれた。
喫煙もダメ、重量物運搬もダメ、走ることもダメ、とにかく血圧を上げてはならない。いろいろ不都合はあるが、何とか普通に生活はできている。
喫煙は思ったよりすんなりやめられた。30年も吸ってたのに。
夜勤もダメになった。再発症リスクが上がるのと、万が一職場で再度倒れても責任取れないからだ。もし再度職場で倒れて、発見救出が遅れて命を落としてしまった場合、会社の管理責任を問われることもあるという。
給料はガタ減りだがしょうがない。
増えたのは給料ではなく体重である。コロナで騒ぎ出す直前に比べ、13kgも増えた。コロナで生活がだらけ、更に退院後は血圧上昇を恐れて、異常なくらいバリアフリーを気にして体を動かすことを避けてきたため、そのツケかも。

病名は「大動脈乖離(かいり/=解離)」。要は大動脈血管の内壁に傷(亀裂)が入り、最終的に血管が裂けてしまうという病だ。
周りの人は「よう生きて帰れましたね。」という。それだけ死亡率の高い病だった。

実は52年前の1971年、母方祖父が職場で倒れ、そのまま亡くなった。大動脈瘤破裂だった。私のとは類似の病だ。
その51年後の去年、逝去時の祖父の齢になった私が職場で倒れた。もう偶然としか言いようがない。
祖父は亡くなったが、私は何とか死を免れた。
ヨメも、実家のオフクロも、叔母(オフクロの妹)も皆言う。
「親より先に死ぬなってことよ。」
「お爺ちゃんはあんたを見守ってるんだよ。」
祖父に感謝である。

写真は生まれて間もない私を抱く祖父の姿で、デジタル化した古いアルバムより。
デジタル化した祖父の写真は数枚あるが、見るたびに涙が出そうになる。
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