鹿児島県立松陽高等学校公式blog

学校での活動等をお知らせします。

始業式・授賞式

2015-01-08 17:52:12 | 学校行事

 

始業式 校長講話から一部を紹介します。

〇1月3日(土)の午後、土曜セミナー特別編に取り組む3年生の様子を参観しました。教室はピーンと張り詰めた静寂と緊張感に包まれており、そこには、3年生が真剣な表情で必死に取り組む姿がありました。その姿に,力強さと頼もしさを感じさせられました。必ず、勝利の女神は、頑張っている3年生に微笑むことだろうと思い、教室を後にしました。いよいよセンター試験への「テンカウントダウン」に入ります。後は、自分の努力と謙虚さを武器に、ゴールを目指してやり遂げるのみです。これからは、体調管理も実力の一つです。「気迫と執念」を合言葉に、先生方を信じて栄冠を掴むことを心から願っています。

〇奈良の薬師寺の西塔を再建したことで著名な日本を代表する建築家、西岡常一さんにまつわるお話を紹介します。

〇西岡さんは、修行時代に棟梁から「礎石のどこに柱を乗せればよいか?」と聞かれました。何気なく「真ん中に置けばよいのではないですか。」と答えたら、棟梁から、「どこを見ているのだ。法隆寺に行って見てこい。」と怒鳴られました。法隆寺に行ってよく見てみると確かにどの柱も礎石の真ん中には乗っていない。中には石の外れのほうに乗っているものもある。そこで西岡さんは,柱は礎石の中心ではなく礎石の重心の上にきちんと乗っていることに気づくのです。柱の乗せ方は、礎石の見えている部分よりも、土の中に隠れている部分こそ大切にしなければならないことに気づくのです。私たちも、表から見ただけでは、本質がつかめないことが多くあります。見えている部分に惑わされることなく、一歩引いて物事の全体を探ることで、その重心、つまり物事の本質を的確につかむことができ、それにより微動だにしない土台が完成するのです。

〇西岡さんによると、宮大工の教えの中に、「木を買わずに、山を買え。」という言葉があるそうです。法隆寺や薬師寺では、柱などが木として山に生えていた状態のままに使われています。山の南面の木は南側に、北面の木は北側に使われ、向きも生えていたとおりの向きになっているのです。山の南側の木は成長が早いので節が多く、山の北側の木は成長が遅いので節が少ない。ここで見栄えがいいからといって、北側で育った木を南側に置くと、長い時間にはねじれてきてしまうのだそうです。切られても木はまだ生きていることから、山にあったままの状態で建物を造るのです。

〇西岡さんは、薬師寺の東塔と向き合う西塔を東塔より30cm高く作りました。なぜ、高さをそろえないのでしょうか。西岡さんは、「500年後には同じ高さになるはずである(ヒノキの乾燥収縮を計算して)。」と答えたそうです。ここまでくると、言葉に仕事師としての凄みが漂ってきます。私たちの生活では、日々の出来事に一喜一憂し、時には苦しさに押しつぶされそうになることもあります。しかし、500年先を見つめる目からみれば、今の苦労など、とるに足りないのかもしれません。所詮、私たちは歴史の一瞬を生きているのかもしれません。

〇人生という歴史の中で、新たな人生の歩みとして、平成27年という年がスタートしました。平成27年という年が、生徒諸君の一人一人の人生の、大きな節目、飛躍に向かうテイクオフの年になることを、心より願っています。 

〇最後に、西岡さんの言葉を紹介して3学期の始業式を締め括ります。「だいたい、木というものは、厳しい環境で育ったものほど強い。私は、山の中腹以上の常に風に当たっている木を、建物の中でも最も重要な部分の構造材として使います。」

 

引き続き授賞式が行われました。

 


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