(益子教会 毎週木曜10時半「聖書に親しむ会」で、旧約聖書を創世記から順に学んでいます。その概要を掲載しています)
「初めに、神は天地を創造された。 」 創世記 1章1節
旧約聖書の最初に、神様は天と地を無から創造されたことが記されています。「光あれ」との言葉から始まり、神様が言葉を発すると、その通りに造られていきます。その文体は一定の形式:「神は言われた。~となれ。」、そのようになり、神はそれを見て「良しとされ」、夕べがあり朝があり、第一日目である、という文体が第一の日から第六の日まで続きます。
最初に光を創り、光と闇に分けて昼と夜という一日の単位を創られました。そして、大空(水)を上と下に分け、地と海を分け、そして植物、天体、水中生物・鳥、その他すべての生き物、最後に人間を創られました。神様は人間だけを神様に似せて、かたどって創造されたとあり、自然界の他の造られたものを治めるように命令。そして、7日目に神様は創造の仕事を離れて、安息なさり、この日を祝福し、聖別されます。これが安息日の規定として、必ず7日目に仕事を休むよう、またこの日を神様のために他の日から取り分けるよう、後に十戒の規定の一つとなり、守られています。また、キリスト教ではキリストが復活された日曜日を安息日として礼拝の日とし、現代でも世界的に週に一度休みの日というのはここから由来しています。
人が他の生き物を支配するように命じられましたが、それは神が創られた天地とその命あるものを大切に管理するよう、神から委託された働き、責任であって、人間が好き勝手に枯渇するまで資源を採掘し、動植物を乱伐、乱獲することではないはずです。人が創造主である神から離れ、自分が神のようになろうとしたとき(これが罪の始まり)、神との関係も、人との関係も、自然と他の生き物とのかかわり方も全て破壊的になってしまったのではないでしょうか。地球温暖化、自然災害の増大と無関係とは思えません。
しかし、この創世記を通して、神様の創造の秩序から始まり、それが人によって損なわれてしまっても、失われた人間の救い、被造物全ての回復、新しい創造をすでに神様は計画されていたということを、新約聖書に照らされた光によって、私たちは部分的に理解することが出来るのが幸いです。その新しい創造がなされるのは、神の御子イエス・キリストによってであり、人がその罪を認め、神様を信れば救われるように、キリストが十字架にかかって下さりました。キリストこそ神の似姿であり、キリストを信じた者はの霊の働きにより、主イエス・キリストと同じ姿に造り変えられていくと使徒パウロが記しています*。人はあくまでも人であり、神にはなれません。それでも、人がキリストの十字架の救いを通して救われ、新しくされ、キリストの愛の性質を持つように変えられていく、キリストが復活されたように私たちも復活の体が与えられるという希望があります。神はなぜ天地を創造されたのか。なぜ神は人だけ、ご自分に似せて造られたのか?この問いに対する答えのヒントは、最終的に、今のこの壊れてしまっている世界が新しくされ、永遠に続く愛と平和の神の秩序の世界がもたされることを、最後の書簡、黙示録にいたる聖書全体を通して示されている神の御言葉から得られるのではないでしょうか。神様の大きな計画を信じ、神の御心がなることを祈っていきたいと思います。
*コリントの信徒への手紙2 3章18節、4章4節