先日、台風並みの暴風雨が関東一体を覆い、そんな日に限って埼玉の森林公園に夫と出かける予定を立てていました。しかし、他の用事で埼玉まで車で出かけていたため、雨風が車を叩きつける中「奇跡的にちょうど雨が止んでくれれば」と、一応公園の入り口まで行ってみました。時は朝の11時頃、突然雨が止み始めたのです。公園の受付の方も悪天候で誰も来訪者がいない中、物好きなビジターを「いやーちょうど止んできましたね!」と迎えて下さり、公園内を歩き出す頃にはすっかり雨は止んでいました。そして5㎞近く、桜や、ポピー、ネモフィラなどを鑑賞しながら広い公園内歩くことができました。実はこの冬の間、仕事と勉強、教会のこと等で全く時間がとれず、ゆっくり歩く時間もなかったので、神様は悪天候の中、歩く機会と久しぶりにリフレッシュする機会を与えてくださったのだと、その絶秒なタイミングに驚きと感動で、喜びがいっぱいの日となりました。このような、ほんの小さいことから、人生を変えるような大きなことまで、いつも神様のタイミングと配慮によって日々たくさんの恵みを与えられていることを改めて感謝しました。
主イエス様と私たちキリスト者の関係は良い羊飼いと羊の関係に非常によく描写されます。イエス様はご自分を「私は良い羊飼いです。」と言われます。良い羊飼いは自分の所有する羊を大切にケアし、守る。羊飼いは、羊を良く知っていて、羊も羊飼いを知り、その声を他の羊飼いのものと聞き分ける能力を持つそうです。羊は群れでしか行動できず群れからはぐれると自力で帰ってくることができないので、羊はその生活すべてにおいて、羊飼いを頼って生きる動物です。下記の詩編23編は良い羊飼いであるイエス様の愛のご性質が示され、弱く、助けが常に必要な私たちをイエス様は養い、導いて下さることが書かれています。
羊は羊飼いを信頼し、委ねて安心して生きるように、私たちはイエス様の羊であり、日常的に大切に扱われていること、また迷いそうになったら正しい道に軌道修正してくださること、危険な状況から守ってくださることを生活の中で体験し、その度に安心してすべてを委ねようと信頼することができます。何か心揺さぶることがおこっても、下記の詩編23編を思い出し、良い羊飼いであるイエス様がわたしと共にいて下さることを思い出し、私たちの魂のケアをしてくださるその大きな愛のなかに安心して憩い、イエス様の声(みことば)に聞き従って日々歩んで行きたいと思います。
「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
主はわたしを青草の原に休ませ
憩いの水のほとりに伴い 魂を生き返らせてくださる。
主は御名にふさわしく わたしを正しい道に導かれる。
死の陰の谷を行くときも わたしは災いを恐れない。
あなたがわたしと共にいてくださる。
あなたの鞭、あなたの杖 それがわたしを力づける。」 詩編23編1-5節
(引用 新共同訳聖書)