聖書のことばから  デボーション

聖書のことばから気づかされたことをつづっています。

十字架って素敵!?

2024-01-27 13:03:13 | 日記

「十字架のネックレスって素敵ですよね」最近、教会に来始めた高校生が言った言葉です。彼女が教会に来たいと思ったきっかけの一つは、教会の十字架、教会の建物、十字架のネックレスが素敵だなあと思ったからだそうです。きっかけが何であれ、教会を尋ねてきてくれたことは私たちにとって大きな喜びです。現代では、十字架のイメージはこのように素敵なものですが、もともとは処刑の道具です。しかも、イエス様が十字架にかかった時代は、最も残酷な処刑の一つでしたので、十字架イコール呪いのイメージであったと思います。処刑された人が復活した神であると、宣べ伝えられていた時、人々の常識的な反応はおそらく、ばかばかしいと思って信じなかったのではないかと想像します。しかし、同じ十字架の言葉が語られ、ある人にはそれが神様の力により信仰に導かれて、今日に至っているとは驚きです。これこそ人間業ではありえない、神様の業の力ではないでしょうか。

 キリストの使徒パウロが人々に最も伝えたかったことの中心的テーマは、この十字架の言葉です。十字架につけられたイエス・キリストを宣べ伝えており、それは当時のギリシア人にとっては愚かな話であり、ユダヤ人にとってはつまづきとなる内容でした。しかし、この十字架の言葉は神の知恵、神の力であると使徒パウロは説明しています。人の知恵では理解しがたい内容であっても、神の知恵にかなった、神様の救いの業が十字架の言葉に示されているからです。神様は十字架で死なれたイエス様を3日目に復活させ、そのことが福音として全世界に宣べ伝えられ、それを聞いた人々が信じて救いがもたらされる、という手段を神様はお考えになりました。日本の場合は、フランシスコ・ザビエル宣教師が大変な思いをして日本に福音を伝えて以来、迫害の時代を経て、今自由にキリストを信じて教会に集える時代となっていることを考えると、本当に昔の宣教師の方々の信仰と勇気と、それを導いてくださった主に感謝の思いが湧いてきます。

 イエス様の十字架の死は、私たちの罪のためであり、私たちが赦されて救いを得られるために、イエス様は復活されました(ローマ4:25)。洗礼が、古い自分のお葬式と新しい自分が生まれる誕生日を象徴するように、神様から与えられる霊(聖霊)によって神様の恵を知るようになり(コリント一2:12)、将来に救いが完成することを待望しつつ、この世の歩みを主イエス様とともに歩めることは幸いだと改めて思わされました。

「 十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。」コリントの信徒への手紙1:18


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