8月11日の祝日に、私の夫が牧師である益子教会ではゴスペルコンサートを開催しました。オリオリというゴスペルクワイアーのグループ(15名)を招き、当日は多くの方が参加されて狭い会堂がいっぱいとなり、観客とクワイアーの人たちが一体となって非常に盛り上がりました。このグループは音楽を愛し、歌を歌うことの喜びを体全体で表現されていて、ゴスペルの曲だけでなく、その他のジャンルも素敵なハーモニーで歌ってくださり、とても楽しいコンサートとなりました。やはり一番盛り上がったのはヘンデルの「ハレルヤ」でした。この歌を聞くと、若い時にクリスマス礼拝で歌うために、教会でのコーラスの練習を一生懸命したことを思い出します。あの時は無我夢中で歌っていましたので、歌詞に思いを込めて賛美する余裕がなかったのですが、歌い終わった時の達成感はあったことは覚えています。次回コーラスの機会があったら、歌詞の内容の一つ一つに思いを込めて、賛美できればと願います。
「ハレルヤ」とは、「主を賛美せよ」という意味で「主」とは神様のことです。ゴスペルは讃美歌ですので、「神様はなんて素晴らしい」ということを歌っており、欧米では教会のクワイアーで歌われるのが主流です。日本では、教会のクワイアー以外で、ゴスペルは歌のジャンルとして扱われ、教会外のグループでクリスチャンではない人たちが習って、歌を楽しんでおられます。ゴスペルの歌詞は詩編という聖書の書簡からたくさんその歌詞が使われています。詩編は、主に礼拝の中で歌われてきましたが、個人の祈りとしても使われてきたそうです。その内容も神への賛美だけでなく、神への語りかけ、嘆き、嘆願だったりします。嘆きの詩編であっても、最後の部分は神への感謝、賛美で締めくくられている詩編がほとんどです。つまり、困難な状況の中で、神へ助けを求める詩で始まり、最後には神が助けて下さるという、信頼の表明、信仰告白が盛り込まれています*1。
たとえキリストを信じる信仰を持っていなくとも、その人がゴスペルの意味を意識するしないに関わらず、神様をほめ称えているのは、素晴らしいと思います。信仰を持って礼拝の中で賛美し、また日常生活の中で賛美を口ずさみ、神様への感謝の思いを込め、喜びを持ってゴスペルを歌えることはもっと幸いです。ゴスペルは、信じる者すべてに救いをもたらす神の力です*2。つまり、神様がどんな状況からも救ってくださること、神様の人間に対する深い愛を示し、その主の慈しみ深さを経験した者は神様に対して感謝を賛美として捧げるのです(ゴスペルとは「福音」、「よい知らせ」という意味)。良い知らせの内容は、主イエス・キリストを通しての救いと希望です。どんな形であれ、日本にもっとゴスペル(福音)が歌われて、広がっていき、いつかその内容に興味を持ち、神様の祝福を受けとる人が増やされるよう願っていきたいと思います。
「ハレルヤ。新しい歌を主に向かって歌え。主の慈しみに生きる人の集いで賛美の詩をうたえ。」 詩編149:1
*1 W.H.シュミット、木幡藤子 訳、『旧約聖書入門下』、教文館、2003年、p202-210 参照。
*2 ローマ信徒への手紙1:16