聖書のことばから  デボーション

聖書のことばから気づかされたことをつづっています。

♪ハレルヤ♪

2023-08-20 14:17:22 | 日記

 8月11日の祝日に、私の夫が牧師である益子教会ではゴスペルコンサートを開催しました。オリオリというゴスペルクワイアーのグループ(15名)を招き、当日は多くの方が参加されて狭い会堂がいっぱいとなり、観客とクワイアーの人たちが一体となって非常に盛り上がりました。このグループは音楽を愛し、歌を歌うことの喜びを体全体で表現されていて、ゴスペルの曲だけでなく、その他のジャンルも素敵なハーモニーで歌ってくださり、とても楽しいコンサートとなりました。やはり一番盛り上がったのはヘンデルの「ハレルヤ」でした。この歌を聞くと、若い時にクリスマス礼拝で歌うために、教会でのコーラスの練習を一生懸命したことを思い出します。あの時は無我夢中で歌っていましたので、歌詞に思いを込めて賛美する余裕がなかったのですが、歌い終わった時の達成感はあったことは覚えています。次回コーラスの機会があったら、歌詞の内容の一つ一つに思いを込めて、賛美できればと願います。

 「ハレルヤ」とは、「主を賛美せよ」という意味で「主」とは神様のことです。ゴスペルは讃美歌ですので、「神様はなんて素晴らしい」ということを歌っており、欧米では教会のクワイアーで歌われるのが主流です。日本では、教会のクワイアー以外で、ゴスペルは歌のジャンルとして扱われ、教会外のグループでクリスチャンではない人たちが習って、歌を楽しんでおられます。ゴスペルの歌詞は詩編という聖書の書簡からたくさんその歌詞が使われています。詩編は、主に礼拝の中で歌われてきましたが、個人の祈りとしても使われてきたそうです。その内容も神への賛美だけでなく、神への語りかけ、嘆き、嘆願だったりします。嘆きの詩編であっても、最後の部分は神への感謝、賛美で締めくくられている詩編がほとんどです。つまり、困難な状況の中で、神へ助けを求める詩で始まり、最後には神が助けて下さるという、信頼の表明、信仰告白が盛り込まれています*1。

 たとえキリストを信じる信仰を持っていなくとも、その人がゴスペルの意味を意識するしないに関わらず、神様をほめ称えているのは、素晴らしいと思います。信仰を持って礼拝の中で賛美し、また日常生活の中で賛美を口ずさみ、神様への感謝の思いを込め、喜びを持ってゴスペルを歌えることはもっと幸いです。ゴスペルは、信じる者すべてに救いをもたらす神の力です*2。つまり、神様がどんな状況からも救ってくださること、神様の人間に対する深い愛を示し、その主の慈しみ深さを経験した者は神様に対して感謝を賛美として捧げるのです(ゴスペルとは「福音」、「よい知らせ」という意味)。良い知らせの内容は、主イエス・キリストを通しての救いと希望です。どんな形であれ、日本にもっとゴスペル(福音)が歌われて、広がっていき、いつかその内容に興味を持ち、神様の祝福を受けとる人が増やされるよう願っていきたいと思います。

「ハレルヤ。新しい歌を主に向かって歌え。主の慈しみに生きる人の集いで賛美の詩をうたえ。」 詩編149:1


*1 W.H.シュミット、木幡藤子 訳、『旧約聖書入門下』、教文館、2003年、p202-210 参照。
*2 ローマ信徒への手紙1:16


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いつ呼び求めても、近くにいる

2023-08-13 12:11:07 | 日記

  今年は日本全国で4年ぶりに開催されているお祭りや花火大会のことがニュースで報じられています。先月私の住む町でもおみこしがだされ、太鼓の音が夜遅くまでにぎやかに響き、多くの人がお祭りに参加していました。お祭りと宗教は深い関係があり、昔からなされてきている地域の行事であります。人が神を拝むとき目に見える像が必要となります。なぜなら、目に見えないものを信じるのは難しく、御神体というように神が宿っているとされる木、鳥居、キツネ、仏教であれば仏像と、目に見える何かを作って拝み、願い事をするものです。日本はいたるところに八百万の神々が溢れていますが、世界の歴史をみても、古代からほとんどの宗教は目に見える形・像を作って神とし、もしくは太陽、月、星を神として拝んできました。

 キリスト教の神様は目に見えません。神様は特定の人に現れて、メッセージを伝えますが、声だけで、もしくは夢や幻のなかで声が語られ、誰も神様の姿を見た人がいないと聖書にしるされています。キリスト教の前身であるユダヤ教は、神様がある日アブラハムという人物を約4100年前に呼び、彼の子孫から一つの民族:イスラエル民族を起こし、祝福することを約束されました。そして、神様はそのイスラエルの民族(ユダヤ人)から、全ての人々の救い主となる方を送り、ユダヤ人だけでなく救い主を信じるすべての民族が神様の祝福を受けるようになるとアブラハムと約束をされました。その救い主が、神でありながら人間としてユダヤ人から生まれて、この世にこられた神の子イエス・キリストです。

 クリスチャンが信じている神様は、冒頭の聖書箇所にあるように「いつ呼び求めても、近くにおられる我々の神」です。教会や神殿という特定の場所で礼拝しなければならない神様でもなく、お参りにいったり、祈祷師にお金を払ったり、お賽銭や献金をしてお祈りしてもらわないとお願いができないような神々ではありません。私たちの信じている神様は、人間を含めたこの世界を創造された唯一の真の神である、イエス・キリストの父なる神であり、そのキリストによって私たちも神様の子供とされ、「父なる神様」と親しく呼びかけ、個人的に直接お祈りできる神様であります。また、キリストを信じる信仰により、わたしたちはキリストのものとなるので、神様がアブラハムに対して約束されたことが、わたしたちにもあてはまり、信仰によりアブラハムの子孫であり、約束による相続人となると使徒パウロは記しています*1。また、このことを確証させてくれるのが、信じる者に与えられる聖霊であり、約束された御国(天国)を相続するための保証である*2とパウロはエフェソ信徒への手紙で記しています。

 この聖霊によって神様が近くにいると信じられます。365日いつ呼び求めても、聞いて下さり、イエス様がともにいて下さる(インマヌエル*3)ことを信じ、様々な困難があっても、安心して直接お祈りし委ねることができるのは幸いです。日常生活でこの神様から与えられている祝福を忘れがちですが、このことを覚え、主なる神様に感謝しつつ今週もキリストと共に歩んでいきたいと願います。

「いつ呼び求めても、近くにおられる我々の神、主のような神を持つ大いなる国民がどこにあるだろうか。」 申命記4:7

*1「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。 洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。 そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。 あなたがたは、もしキリストのものだとするなら、とりもなおさず、アブラハムの子孫であり、約束による相続人です。」(ガラテヤ3:26-29)

*2 「あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。 この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。」エフェソ1:13-14

*3インマヌエルとは「神は我々と共におられる」という意味 マタイによる福音書1:23


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