30年という月日は遠い昔のように感じます。その頃のことは断片的にしか覚えていませんが、最近、30年前も神様が私をどんなに憐み、恵みを注いで下さっていたことを思い出す機会が与えられました。先日、新しく教会に赴任した教師のための、新任教師オリエンテーションに参加する恵みに預かりました。研修は非常に盛沢山の内容でしたが、何よりも同期の仲間が与えられ、お互いの召命や今に至るまでの証し、神様の恵みを分かち合うことができ、このプログラムを準備してくださった先生方に主にあって感謝しております。
講師の一人である神学校の教授の方と夕食の席でご一緒し、ある共通の話題で盛り上りました。私が約30年前に米国に国際関係論を学ぶため留学していた時、お世話になっていたカリフォルニアにある日本人教会に、その方もほぼ同時期(私が引っ越した直後と入れ違いですが)に関わっておられたのです。実はその頃、私は信仰的にスランプに陥っていた時で、教会に行っても喜びがなく、神様は私を見放しているだろうと思って心の底に深い絶望感を持っていました。卒業後、就職もうまくいかずと、様々な面で人生のどん底時代と重なり、暗い思い出ばかり。しかし、その日本人教会(シカモア教会)の牧師さんのメッセージを通して神様が、「お前は大丈夫だよ、赦されているよ」と語られているように不思議と受け取れ、それ以来行く先々の地域の教会に参加し続けている間に、信仰が徐々に回復されていったことを改めて思い出したのです。神様はこんな前からだめな、弱い私を支え、導くために、多くの方々との出会いを与えて下さったこと、そして、今に至るのかと思うと神様のなさる恵みの業に驚きと感謝でいっぱいになりました。
困難な時、苦しい時、悲しかった時は、実は神様の恵みが一番注がれている時であり、それに気づくか気づかないかの違いで、同じ状況でもどん底が喜びと感謝に変えられると思わされました。この世に生きている限りおこりうる(それが自分の失敗に起因するもの、不可抗力的なものも含め)困難、辛いことを通して、その困難に神様は恵みを加え、困難の意味を変え益に変えて下さる方であることを多くのことを振り返り、気が付かされ、感謝しています。この神様の恵の御言葉をいつも心に蓄え、何度も読んで味わい、神様によって万事が益になるように共に働くという上記の御言葉あって希望を持ちつつ、キリストによる救いの喜びで、日々祈って聖霊の導きに従って歩んでいこうと思わされました。
「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」 ローマの信徒への手紙 8:28
(引用 新共同訳聖書)