真っ暗な道、もしくは停電になって暗闇になった時、懐中電灯やロウソクの光が必要です。
下記は、神様のみ言葉はわたしの道の光であり、歩みを照らす灯だという詩編です。灯とはいわゆる現代でいる懐中電灯のような、ランプの小さな光です。それは自動車のヘッドライトのようではなく、また道路の高いところにあるライトのように先まで照らす光ではありません。真っ暗な道を一歩一歩、歩んでいくとき、その足元を照らす光です。懐中電灯では遠くの先までは見えないけれども、その光があれば、とりあえず安全に歩いていけます。そうして、少しづつ進んでいくと見えない物が見えてきます。
神様の計画も同様ではないでしょうか。私たちは明日のことや 来年がどうなるかがわからなくとも、今日という日に 日々の食べ物が与えられ、守られる、他者と争わずにお互い赦し合う、そのような生活がみ言葉の光によって可能となります。そこには、神様にお任せするという信頼が必要となります。もし不安な気持ちになれば、信頼できるように「信仰を増し加えて下さい」と祈れば必ず恵みとして増し加えてくださいます。そしてその信仰があれば、この先どうなるのかなと不安になることはなく、落ち着いて日々暮らせます。神様の示す道は、少しづづなのです。一遍に一週間分、一か月分を詳細を示されません。信仰によって歩むとは、このようにすべてわからなくとも、神様に信頼して、今わかることで平安に前進していくことでしょう。
私たちの信仰は単に、自分が健康で、守られ、すべてが自分の思い通りにうまくゆくことを保証する神様を信じていることではありません。私たちの罪を贖うため十字架で死なれ、復活されたイエス・キリストの父である神様を信じています。それ程までにして、私たちを愛してくださる神様に対する信頼をもとに、たとえ目に見えなくとも 目に見える聖書のみことばを通して、私たちの歩みを一歩一歩確実に導いてくださると信じることができます。
日々、様々なことが起こり、その度に心が揺さぶられ、疲れてしまうこともあります。体調が悪いと思うようにことが進まず、焦る気持ちばかりが募ることも正直あります。しかし、日々聖書の御言葉に触れると、私の内に住む聖霊が、私が忘れている神様からの恵みを思い起こしてくれて、何が一番大切なのかといつも初心に戻されます。そしてどんなことでも祈り続け、また他の方々にも祈っていただくので、互いに祈りあえることが本当に励ましであります。私が歩む道をみ言葉によって照らして頂き、日々与えられている恵を感謝しつつ、主イエス様と共に歩んでいきたいと思います。
「あなたのみ言葉は わたしの道の光 わたしの歩みを照らす灯」 詩編119編105節 新共同訳聖書引用