最終日、起床4時。美術展を見るために4時起きをしたのは国内では初めてである。
阿修羅展がこのように大量の人々を増員させたのは不思議なことである。
奈良まで行けばいつでも見れたはすである。
というのは門外不出をうたい文句にしていたからである。
ところが興福寺建立から1300年が経過した記念として、阿修羅像を館外へ出すことになった。
実際は中金堂の建立へ向けての資金稼ぎであるためであろう。
予定よりも寄付が集まらなかったためだと思える。
数年前、東京芸大へも『ムチャク・世親』展示を試みたが、その時は阿修羅ほどの人気はなかった。
阿修羅はよく知られているが、私にとってはムチャク・世親はことのほか重要であった。
阿修羅展のために開場まで3時間半も待った。
先頭で待っている人たちの列がまばらで、実際頭はいくつにも分かれている。後方はどんどん伸びているが先頭だけは八岐大蛇の状態である。
そこへ、ゲートの一番先に潜り込んできた中年男性が現れた。
職員かと思い、鉄門のカギが開くのかなと先頭集団はそう思ったに違いない。
皆がその職員らしき男に注意していた。
ところがしばらくしても鉄門が開くどころか、男は持参したキャンプ用の小型パイプ椅子を開き、堂々とそこに腰を据えるなり、新聞を読みだした。
先頭グループは何となく唖然とした。
そこへ、先頭の方にいた女性が、「ちょっと、皆が並んでるのよ、いきなり来て一番前に座るのは非常識ね。」というが、男の方が、「みなさん並んでないでしょう。ばらばらにいるだけで先頭がどれかわからないじゃないですか?」
座ったままの男がそういうと、その他の先頭グループが近寄って来た、男に対してぶつぶつ言いだした。
7時半ごろの出来事である。
とにかく、最終日だから混雑を予想して多くの人たちが押し寄せていた。
開場は9時半である。
阿修羅展がこのように大量の人々を増員させたのは不思議なことである。
奈良まで行けばいつでも見れたはすである。
というのは門外不出をうたい文句にしていたからである。
ところが興福寺建立から1300年が経過した記念として、阿修羅像を館外へ出すことになった。
実際は中金堂の建立へ向けての資金稼ぎであるためであろう。
予定よりも寄付が集まらなかったためだと思える。
数年前、東京芸大へも『ムチャク・世親』展示を試みたが、その時は阿修羅ほどの人気はなかった。
阿修羅はよく知られているが、私にとってはムチャク・世親はことのほか重要であった。
阿修羅展のために開場まで3時間半も待った。
先頭で待っている人たちの列がまばらで、実際頭はいくつにも分かれている。後方はどんどん伸びているが先頭だけは八岐大蛇の状態である。
そこへ、ゲートの一番先に潜り込んできた中年男性が現れた。
職員かと思い、鉄門のカギが開くのかなと先頭集団はそう思ったに違いない。
皆がその職員らしき男に注意していた。
ところがしばらくしても鉄門が開くどころか、男は持参したキャンプ用の小型パイプ椅子を開き、堂々とそこに腰を据えるなり、新聞を読みだした。
先頭グループは何となく唖然とした。
そこへ、先頭の方にいた女性が、「ちょっと、皆が並んでるのよ、いきなり来て一番前に座るのは非常識ね。」というが、男の方が、「みなさん並んでないでしょう。ばらばらにいるだけで先頭がどれかわからないじゃないですか?」
座ったままの男がそういうと、その他の先頭グループが近寄って来た、男に対してぶつぶつ言いだした。
7時半ごろの出来事である。
とにかく、最終日だから混雑を予想して多くの人たちが押し寄せていた。
開場は9時半である。